后狩り

音羽夏生

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入宮

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 それは、帰国してからも続いた。妃たちと過ごす夜を待てぬほどに、募るものがおありなのだ――皇太子の激務と重責を思い、粛々と受けとめたが、ずっと違和感は消えなかった。
 忍耐強く克己心に富んだ御方なのに何故、と。
 それでも主人の命に逆らうことはできず、醜聞を恐れ、同僚にも相談はできなかった。
 侍従として仕えた五年間、シェルの唇は皇太子のものだった。役目を解かれた今でも、他の接吻をシェルは知らない。

『そんなに緊張しないで、俺に身を委ねろ。音が立つように舌を絡めるんだ』

 かつて教えられたことを思い出し、懸命に皇帝の舌を追いかけ、縋り付く。時に大胆に触れ合い、ぬちゅ、ちゅく、といやらしく水音が耳を打つ。
 一年ぶりの、しかし親しんだ疼きが背筋を駆け上がり、くぅ、とシェルは鼻を鳴らす。その甘い呻きに、皇帝の目元がゆるんだ。
 銀の糸を引きながら、唇が離れる。
 浮遊感に座り込みそうになるのは、いつものことだ。それを大きな手が支えてくれるのも。
 震える膝を叱咤して、シェルは懸命に伸び上がり、目の前の濡れた唇を舌先でチロリとなぞる。小さく音をさせながらそっと唇を吸うと、恐る恐る向かい合う目を見つめた。これが口を吸われた時の、後始末の作法だと教わった通りに。
 視線の先の氷青の目が、満足そうに細められた。

「――いい子だ、口づけの作法は覚えていたようだな。だが、肝心の后狩りの作法は知らぬのか」

 触れられれば自然と開くようになるまでシェルを躾けた皇帝は、一年の空白を経てなお自身の接吻に従順な元侍従を褒めたが、シェルは喜べなかった。

(后狩りの作法を、知らないわけがない……)

 白羽の矢を立てられて以来、ユングリング家では過去の記録や儀典をあたり、失礼のないように万全に備えてきた。娘の同母兄弟が護衛に最も望ましいとされていたから、シェルはミレニオから呼び戻されたのだし、皇帝の来訪を察した時、これ以上声を出してはいけないとクリスティーナを諭した。
 それとも、気づかないうちに作法に反した行いをしており、それを正すために後宮に連れてこられたのだろうか。あの尊厳を損う仕打ちは、その罰だったのだろうか。
 ならば直ちに謝罪し、再度の訪れを請わなければならない。慌てて口を開こうとしたシェルを封じるように、皇帝の指が唇をなぞる。

「ユングリングの意志として后となるまで、一言も発してはならぬ。もしそなたが一言でも口をきこうものなら、ユングリングはなす術もなく一族の者を奪われた無力な一門となり、その誇りを失うことになる」

(……陛下……? 何を、仰せに……)

 皇帝の言葉が、わからない。
 后狩りが始まったら、口をきいてはいけない。そう諭したのはシェルで、相手はクリスティーナだ。白羽の矢を立てられたユングリング大公家の娘は、彼女一人だけだからだ。
 それなのに何故、シェルが諭されているのだろう。後宮に連れて来られたのは、クリスティーナではないのだろう。
 まるで、后狩りの獲物がシェルであるかのような――。

「だが余にも情けはある。こうして箝口布を付けていれば、どれほど快楽に鳴いても、その声は余だけのもの。誰も聞かぬゆえ、堪えず、好きなだけ余の名を囀るがよい」
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