后狩り

音羽夏生

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入宮

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 やがて空になった筒は引き抜かれ、注ぎ込まれた液体が漏れないように、シェルは必死に尻に力を込めた。ここで粗相をするような、尊厳を損う真似は絶対にしたくない。

「ふ、……ん、くぅっ……ッ」

 きゅる、と腹が鳴る。声が洩れないように歯を噛み締めて耐えるが、そのせいで気がついた。――もしかして、尊厳を削り貶めるのが目的で、ここに連れてこられたのではないか。
 関わる人間を厳選すれば、出入りする人間が限られる後宮での出来事が外に漏れることはない。秘密裡にユングリングの後継者を閉じ込め、復讐するのに最適なのだ。今の後宮の人間――特に古くから皇帝に仕える人々にとって、ユングリングは忌まわしい敵の名を意味する。
 青ざめながら煩悶するシェルを気に掛ける様子もなく、宦官たちは椅子の下に盥を運び込む。そして、一切の感情を窺わせない声で告げた。

「あと二度湯で中を洗う決まりですので、早くお済ませを。これは御旨でございます。お励みください」



 御旨に抗うなどあり得ない。
 女官に先導され、覚束ない足取りで寝台のある部屋に戻った時、シェルは身も心も完膚無きまでに擦り切れていた。
 表面上は、どこも傷ついていない。徹底的に浄められた後、放心するシェルを拘束したまま、宦官たちは体の隅々まで執拗に香油を塗り込んだ。磨かれ潤わされた肌は瑞々しく艶めき、手厚く入浴の世話をされたようにしか見えない。
 証拠を残さないやり方で嬲り、責め抜くつもりなのかもしれない。しかし、こんな回りくどい方法を取る理由はわからない。いずれクリスティーナが取り仕切る後宮で、その兄を嬲ることに何の意味があるのか。

(もしかして……皇后の名でクリスを後宮に閉じ込めて飼い殺し、僕をその後宮で嬲って見せつけるおつもりなのか?)

 その残酷な企みは、兄妹の心を引き裂き、絶望の淵に沈めるに違いない。シェルとは違い何も知らないクリスティーナは、突然向けられたどす黒い悪意に、どれほど傷つくことだろう。
 それでも皇后を輩出したことで、ユングリングは帝国第一の家門の名を保つことになり、ミレニオ王国への言い訳は立つ。日常的に後宮へ連行され暴行を受けることになっても、外傷がなければ訴えることはできない。一族で最も高貴な血を持つ兄妹を手中に収め体面さえ保てば、ユングリングへの復讐は皇帝の思いのままだ。
 頭から、さあっと血が引くのを感じる。椅子に座っていることもできず、シェルはよろめきながら寝台へ移動し、倒れるように横になった。

(せめて、クリスだけには……お慈悲を……)

 クリスティーナを救う方法はないかと必死に頭を巡らせるが、それは妹が可愛いあまりの、ただの身勝手な願いに過ぎなかった。
 ユングリングは、皇帝の母妃と、幼い弟妹の命を惨たらしく奪ったのだから。

(……クリスを苦しめることになったら、死を選ぼう)

『自分の生を生きろ』

 かつて賜った、ただ諦め受け入れるだけの人生から、シェルを引き上げてくれた言葉。その真意がどのようなものだったとしても、それはシェルの小さな世界に射し込んだ一条の光だった。
 胸の中に大切に守ってきたその輝きに、結局は背かなければならない。それほど、ユングリングという業は重かった。
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