后狩り

音羽夏生

文字の大きさ
上 下
3 / 87
夜嵐

2

しおりを挟む
 蝋燭の薄明かりの中、何よりも可愛い妹に手招きされ、シェルは素直に頷いた。今夜は何も起こらないだろうという楽観と、慣れない剣の重さから来る疲労が、護衛番の警戒心をほどいている。扉の外、廊下に陣取っている従兄弟たちも同様で、何名かは部屋に引き揚げたようだ。
 数代ぶりの后狩り、しかもユングリングに連なる者がその標的となったことは過去になく、一族の者たちも護衛番の勝手がわからない。皇帝が視察から帝都に戻ったのは昨日、不在にしていた間の政務も溜まっているだろう。后狩りがいつ行われるかわからない以上、護衛番は数週間の長丁場を覚悟しなければならない。
 つくづく、不合理で野蛮で迷惑な慣わしである。

(あの御方が厭われるすべてを含有する蛮習なのに、何故后狩りなどをお考えになったのか……)

 使いを立て婚姻を申し込めば、智勇に優れた若き皇帝の求婚を拒む家などないというのに。

(いや……クリスをよく知るからこそ、后狩りを思い立たれたのだろうか)

 家柄はこの上なく教養も高く、穏やかな気質で、どこを取っても皇后に相応しい姫でありながら、クリスティーナには欠けているものがある。後宮の要となり、十人の妃たちを束ねる覚悟だ。全員が年上で皇子皇女を儲けている彼女たちの上に立つのが、クリスティーナには恐ろしく、憂鬱でしかないのだ。
 この国の有力者は妾を持つのが当たり前で、父である大公も正室以外に何人もの妾を持っている。シェルとクリスティーナは同母兄妹で、母は正室だったが、寵を競う妾たちの諍いを身近に見て育った。父大公に溺愛され、掌中の珠と育てられたクリスティーナを直接害する者はいなかったが、それでもおっとりした妹が、皇帝の後宮に入ることを恐れるようになるほど、十分に陰湿だったのだ。

「今夜はもう遅いわ、お兄様もお寝みになって」
「そうだね、クリスも疲れたろう。僕はこの長椅子を借りるよ」
「まあ、それではお疲れが取れないわ」
「万一陛下がいらっしゃった時に僕がいなかったら、我が家の面目が立たないだろう?」

 兄の体を気遣う妹にやさしく言い聞かせたが、クリスティーナは顔を強張らせて口を噤んでしまった。
 門柱に白羽の矢を立てられてから、妹は入宮を嫌がり泣き暮らしていたという。シェルが帝都に戻ってからは、その看病と再会の喜びに涙を見せることはなくなり、側付きの者たちを安堵させていたが、皇后の位に登ることを納得したわけでも、覚悟を決めたわけでもないようだ。

「ねえ、クリス。後宮を厭う気持ちはとてもよくわかるけれど、陛下に見初められるのはとても名誉なことだ。あの御方は、優秀な者しか側に置かない。ただ美しいとか家柄が高いとか、そういう理由でクリスを選ばれたのではないはずだよ」
「わたくしはそうは思いませんわ」

 普段は聞き分けのよい妹がすかさず反論したことに驚き、シェルは目を瞬かせた。蝋燭の灯りを映しているせいか、妹の黒い瞳は怒りにきらめいているようにも見える。
 その沈黙を突いて、クリスティーナは言い重ねた。

「だって即位なさる時、お兄様を侍従から外されたじゃありませんか」
「クリス……」

 皇太子付きの侍従はみな、主人の即位とともに皇帝付きの侍従となった中、唯一シェルだけが職を解かれ、皇宮内に与えられていた私室も失った。一年前のことだ。
 それは、新帝の信を失ったことを意味していた。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

悪役令息の伴侶(予定)に転生しました

  *  
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

元ベータ後天性オメガ

桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。 ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。 主人公(受) 17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。 ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。 藤宮春樹(ふじみやはるき) 友人兼ライバル(攻) 金髪イケメン身長182cm ベータを偽っているアルファ 名前決まりました(1月26日) 決まるまではナナシくん‥。 大上礼央(おおかみれお) 名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥ ⭐︎コメント受付中 前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。 宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

処理中です...