后狩り

音羽夏生

文字の大きさ
上 下
10 / 87
侍童

5

しおりを挟む
 その日、王の許しの下、シェルは華美な侍童服を脱いだ。
 代わりに与えられた皇太子の侍従服は、活動的で無駄を嫌う皇太子の意向を反映し、機能的でありつつも細部まで上品な意匠が凝らされている。緊張しながら袖を通すと、自然と背筋が伸びた。
 皇太子が、ユングリング家の嗣子を侍従――専属の使用人としたことに、皇宮では様々な憶測が囁かれたが、それは概ね、このようなものだった。

 ――弟皇子を皇太子に擁立するため、あらゆる謀略を企てたユングリング大公が、そのすべてを退け皇太子の座を手に入れた兄皇子の軍門に降った証だ。

 嫡子ではあっても本領の大公国で過ごしたことは殆どなく、父に愛されたこともないシェルは、最愛の妹は別として、家に親しみを感じていない。父の犯した過ちの償いに使用人とされたのだとしても、宮廷人に「最も高貴な侍従」と揶揄されても、家の不名誉に自尊心を傷つけられることはなかった。
 仕え始めてからも、手元に置いて、気が向いた時に折檻するのかもしれないと覚悟していたが、多忙な皇太子には、侍従を痛めつけるために使う時間などないようだ。心にも体にも痛みを受けることなく、新米侍従としての日々は過ぎていく。

「シェルは瞳が黒い上に黒目がちだから、表情が読みづらいな。……猫と同じか」
「猫の都合は存じませんが、皇宮に仕える者は感情を表さないのが嗜みですので、それでよいのでございます」
「二人だけの時に、『ございます』はやめろと言っただろう。字数の分、時間の無駄だ」
「……そのようにお気が短いと、令嬢方が怯えてしまわれますよ」

 ミレニオに留学する頃にはそのような会話ができるほど、凍土のごとく硬いシェルの警戒心も、多少は和らいでいた。
 無駄を嫌う皇太子が、「ユングリング公子」という長い呼び掛けを嫌い、簡潔な名で呼ぶようになったことも、その理由の一つだった。家の名は、いつもその罪を思い出させる。
 始終緊張を強いられることはなくなっても、己の立場はわきまえている。ユングリングの名のせいで、いずれ傷つく日が来るであろうことも理解している。それでも、去れと言われるその日までは、侍従として勤め上げたい。新たな主人に仕える日々の中、折に触れてそう思う。
 厳しく冷徹な顔も持つが、下に付く者の働きを把握し、満足する仕事ぶりであれば身分を問わず言葉にして労う皇太子を、シェルは密かに敬慕するようになっていた。
 生まれてこの方、努力の成果を評価されても、大公家の公子なら当然と見なされるだけで、報われたことはなかった。
 学業も侍童の勤めも、報われるためのものではないと承知しており、だからこそ何の感慨も持たず、日々努めることができた。それが今では、この方のお役に立ちたいという気持ちが湧き出でて、毎朝腕を通す侍従服を誇らしく思う。
 重い因縁のある侍従にすら、奉仕の喜びと忠誠を抱かせる。これが、いずれ国を率いる帝王の器というものなのだろう。

(僕の忠誠なんて、殿下には信用に足るものではないだろうけれど)

 心からお仕えしても、それを悟られないようにしなければ、ご不興を被るかもしれない。ユングリングの者が何を企んでいるのかと、侍従から外され、国に戻されてしまうかもしれない。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

田舎者の愛し方

ふぇい
BL
「旦那様ァー!オラさ旦那様の傍にいられて嬉しいンだなァ」「僕もだ。今更なんなんだ?」そう言って端正な顔で微笑を浮かべるオルガートの顔と、屈託のない笑顔をいつまでも見せるノルドが今日も公爵家本邸を明るくさせる。これがオルガート公爵の邸、ホーノルド邸のいつもの姿のはずだった。ある少年がこの世界に現るまで。その少年は美しかった。この世界の者ではないとわかる彫りの薄い顔、所謂儚き美人。その少年はオルガートに恋慕を抱いた。その少年の健気な姿に心打たれ、いつも自分のような田舎貴族と懇意にしてくれるオルガートに恩を返したいと、きっと将来素晴らしい夫婦(男同士)になるだろうとノルドはどうしてか痛む胸を抑えながら、付き合おうと躍起になる少年の背中を押すのだ。 初作品となる拙作をどうぞよろしくお願いします!エセ方言なので所々おかしかったり設定ゆるゆるなところがありますが暖かい目でお願いします!!※女性はいますが同性婚が普通な世界です。かなりおそい投稿ですが、そんな長くはならないと思います。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

愛する人

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」 応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。 三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。 『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・話の流れが遅い ・作者が話の進行悩み過ぎてる

処理中です...