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侍童
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その日、王の許しの下、シェルは華美な侍童服を脱いだ。
代わりに与えられた皇太子の侍従服は、活動的で無駄を嫌う皇太子の意向を反映し、機能的でありつつも細部まで上品な意匠が凝らされている。緊張しながら袖を通すと、自然と背筋が伸びた。
皇太子が、ユングリング家の嗣子を侍従――専属の使用人としたことに、皇宮では様々な憶測が囁かれたが、それは概ね、このようなものだった。
――弟皇子を皇太子に擁立するため、あらゆる謀略を企てたユングリング大公が、そのすべてを退け皇太子の座を手に入れた兄皇子の軍門に降った証だ。
嫡子ではあっても本領の大公国で過ごしたことは殆どなく、父に愛されたこともないシェルは、最愛の妹は別として、家に親しみを感じていない。父の犯した過ちの償いに使用人とされたのだとしても、宮廷人に「最も高貴な侍従」と揶揄されても、家の不名誉に自尊心を傷つけられることはなかった。
仕え始めてからも、手元に置いて、気が向いた時に折檻するのかもしれないと覚悟していたが、多忙な皇太子には、侍従を痛めつけるために使う時間などないようだ。心にも体にも痛みを受けることなく、新米侍従としての日々は過ぎていく。
「シェルは瞳が黒い上に黒目がちだから、表情が読みづらいな。……猫と同じか」
「猫の都合は存じませんが、皇宮に仕える者は感情を表さないのが嗜みですので、それでよいのでございます」
「二人だけの時に、『ございます』はやめろと言っただろう。字数の分、時間の無駄だ」
「……そのようにお気が短いと、令嬢方が怯えてしまわれますよ」
ミレニオに留学する頃にはそのような会話ができるほど、凍土のごとく硬いシェルの警戒心も、多少は和らいでいた。
無駄を嫌う皇太子が、「ユングリング公子」という長い呼び掛けを嫌い、簡潔な名で呼ぶようになったことも、その理由の一つだった。家の名は、いつもその罪を思い出させる。
始終緊張を強いられることはなくなっても、己の立場はわきまえている。ユングリングの名のせいで、いずれ傷つく日が来るであろうことも理解している。それでも、去れと言われるその日までは、侍従として勤め上げたい。新たな主人に仕える日々の中、折に触れてそう思う。
厳しく冷徹な顔も持つが、下に付く者の働きを把握し、満足する仕事ぶりであれば身分を問わず言葉にして労う皇太子を、シェルは密かに敬慕するようになっていた。
生まれてこの方、努力の成果を評価されても、大公家の公子なら当然と見なされるだけで、報われたことはなかった。
学業も侍童の勤めも、報われるためのものではないと承知しており、だからこそ何の感慨も持たず、日々努めることができた。それが今では、この方のお役に立ちたいという気持ちが湧き出でて、毎朝腕を通す侍従服を誇らしく思う。
重い因縁のある侍従にすら、奉仕の喜びと忠誠を抱かせる。これが、いずれ国を率いる帝王の器というものなのだろう。
(僕の忠誠なんて、殿下には信用に足るものではないだろうけれど)
心からお仕えしても、それを悟られないようにしなければ、ご不興を被るかもしれない。ユングリングの者が何を企んでいるのかと、侍従から外され、国に戻されてしまうかもしれない。
代わりに与えられた皇太子の侍従服は、活動的で無駄を嫌う皇太子の意向を反映し、機能的でありつつも細部まで上品な意匠が凝らされている。緊張しながら袖を通すと、自然と背筋が伸びた。
皇太子が、ユングリング家の嗣子を侍従――専属の使用人としたことに、皇宮では様々な憶測が囁かれたが、それは概ね、このようなものだった。
――弟皇子を皇太子に擁立するため、あらゆる謀略を企てたユングリング大公が、そのすべてを退け皇太子の座を手に入れた兄皇子の軍門に降った証だ。
嫡子ではあっても本領の大公国で過ごしたことは殆どなく、父に愛されたこともないシェルは、最愛の妹は別として、家に親しみを感じていない。父の犯した過ちの償いに使用人とされたのだとしても、宮廷人に「最も高貴な侍従」と揶揄されても、家の不名誉に自尊心を傷つけられることはなかった。
仕え始めてからも、手元に置いて、気が向いた時に折檻するのかもしれないと覚悟していたが、多忙な皇太子には、侍従を痛めつけるために使う時間などないようだ。心にも体にも痛みを受けることなく、新米侍従としての日々は過ぎていく。
「シェルは瞳が黒い上に黒目がちだから、表情が読みづらいな。……猫と同じか」
「猫の都合は存じませんが、皇宮に仕える者は感情を表さないのが嗜みですので、それでよいのでございます」
「二人だけの時に、『ございます』はやめろと言っただろう。字数の分、時間の無駄だ」
「……そのようにお気が短いと、令嬢方が怯えてしまわれますよ」
ミレニオに留学する頃にはそのような会話ができるほど、凍土のごとく硬いシェルの警戒心も、多少は和らいでいた。
無駄を嫌う皇太子が、「ユングリング公子」という長い呼び掛けを嫌い、簡潔な名で呼ぶようになったことも、その理由の一つだった。家の名は、いつもその罪を思い出させる。
始終緊張を強いられることはなくなっても、己の立場はわきまえている。ユングリングの名のせいで、いずれ傷つく日が来るであろうことも理解している。それでも、去れと言われるその日までは、侍従として勤め上げたい。新たな主人に仕える日々の中、折に触れてそう思う。
厳しく冷徹な顔も持つが、下に付く者の働きを把握し、満足する仕事ぶりであれば身分を問わず言葉にして労う皇太子を、シェルは密かに敬慕するようになっていた。
生まれてこの方、努力の成果を評価されても、大公家の公子なら当然と見なされるだけで、報われたことはなかった。
学業も侍童の勤めも、報われるためのものではないと承知しており、だからこそ何の感慨も持たず、日々努めることができた。それが今では、この方のお役に立ちたいという気持ちが湧き出でて、毎朝腕を通す侍従服を誇らしく思う。
重い因縁のある侍従にすら、奉仕の喜びと忠誠を抱かせる。これが、いずれ国を率いる帝王の器というものなのだろう。
(僕の忠誠なんて、殿下には信用に足るものではないだろうけれど)
心からお仕えしても、それを悟られないようにしなければ、ご不興を被るかもしれない。ユングリングの者が何を企んでいるのかと、侍従から外され、国に戻されてしまうかもしれない。
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※
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