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侍童
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シェルが侍童となり、皇帝に仕えるようになったのは、十の年だった。
北海帝国で特別な地位にある四大公国の嗣子は、十になれば皇宮に上がり、年の近い皇族とともに教育を受けるしきたりとなっている。次代の『五柱』の育成と人脈形成という側面はあるが、有り体に言えば人質である。皇宮で教育を受けた者のみが大公位の継承を認められるため、嗣子以外の子供を適当に帝都へ送ることは、家の断絶を意味する。
たった十の子供にとって、皇宮での暮らしは少々酷なものになる。両親も乳母も、慣れ親しんだ屋敷の者たちも、誰一人として知る者のいない初めての環境で、数年を過ごさなければならないからだ。
皇宮では家格の高い公子として遇され、世話をする者が付けられるが、専属ではない。その時その時に別の顔が現れ、事務的に身の回りを整えるだけのため、好みや癖を細かに把握し先んじて気を回すような配慮は、当然ない。
そのことに腹を立て、家でするように癇癪を起こせば、大公家の不始末として逐一皇帝に報告されてしまう。その扱い自体が、公子の資質を計る試験なのである。
皇宮で働く者は皇帝に属する者であり、私的な感情で酷く扱ったり罰したりするのは、皇帝の持ち物に手を出すことになる。跡取りとして傅かれて育った子供は、皇帝という絶対至高の存在を目の当たりにし、序列と服従を学ぶのだ。
「……あれを」
「畏まりました」
シェルが皇宮に上がった時、ちょうど一人欠員が出て、最年少で侍童を務めることになった。
皇帝の裾持ちや些事の使いを承る少年侍従は、外国使節を迎えての謁見や宴席にも侍るため、貴族の子弟から見目良い者が選ばれる。貴族出身であれば家格は問われないが、シェルはたまたま皇帝の目に留まり、唯一大公家から抜擢された。
以来六年、学業と並行しながら出仕を続けている。先輩たちは皆ある程度の年齢になると勤めから退き、気づけばシェルは最古参だ。
皇帝が口にする「あれ」を、体調、機嫌、抑揚、状況から正しく判別し、望みのものを直ちに用意する手腕は、侍従長からも高く評価されている。六年の間に磨かれた観察眼と、ほんの幼い頃から大人の顔色を伺い身を守ってきた生い立ち、そして皇帝への畏敬が、こうして主人の意を汲むのに役立っている。
今日の「あれ」も過たず、所望された通りに窓を開け、外の空気を皇帝の寝台まで届けることができた。勇猛な海の戦士だった皇帝は、こうした天気の良い午後には、かつてのように風を感じたいと思う傾向があるようだ。
主人が機嫌良く午睡に落ちたのを確認して、シェルはそっとその場を辞した。本来昼の宮殿では、こうした身の回りの世話は、成人した専従の侍従たちの仕事である。しかし、珍しく季節の変わり目に風邪を引き込んだ皇帝は、わざわざシェルを側に呼んでいた。
体調がすぐれない時はいつも、最年長の侍童を侍らせる皇帝の姿に、低劣な噂が囁かれていることはシェルも知っている。勿論その矛先は偉大な皇帝陛下ではなく、いつまでもその座に執着する侍童であることも。
昼夜なく側に控える侍従たちは、機嫌や体調の悪い皇帝が、よく気がつく者を呼んでいるにすぎないと理解している。労わる言葉を掛けてくれる人もいる。シェルには、それで十分だった。
北海帝国で特別な地位にある四大公国の嗣子は、十になれば皇宮に上がり、年の近い皇族とともに教育を受けるしきたりとなっている。次代の『五柱』の育成と人脈形成という側面はあるが、有り体に言えば人質である。皇宮で教育を受けた者のみが大公位の継承を認められるため、嗣子以外の子供を適当に帝都へ送ることは、家の断絶を意味する。
たった十の子供にとって、皇宮での暮らしは少々酷なものになる。両親も乳母も、慣れ親しんだ屋敷の者たちも、誰一人として知る者のいない初めての環境で、数年を過ごさなければならないからだ。
皇宮では家格の高い公子として遇され、世話をする者が付けられるが、専属ではない。その時その時に別の顔が現れ、事務的に身の回りを整えるだけのため、好みや癖を細かに把握し先んじて気を回すような配慮は、当然ない。
そのことに腹を立て、家でするように癇癪を起こせば、大公家の不始末として逐一皇帝に報告されてしまう。その扱い自体が、公子の資質を計る試験なのである。
皇宮で働く者は皇帝に属する者であり、私的な感情で酷く扱ったり罰したりするのは、皇帝の持ち物に手を出すことになる。跡取りとして傅かれて育った子供は、皇帝という絶対至高の存在を目の当たりにし、序列と服従を学ぶのだ。
「……あれを」
「畏まりました」
シェルが皇宮に上がった時、ちょうど一人欠員が出て、最年少で侍童を務めることになった。
皇帝の裾持ちや些事の使いを承る少年侍従は、外国使節を迎えての謁見や宴席にも侍るため、貴族の子弟から見目良い者が選ばれる。貴族出身であれば家格は問われないが、シェルはたまたま皇帝の目に留まり、唯一大公家から抜擢された。
以来六年、学業と並行しながら出仕を続けている。先輩たちは皆ある程度の年齢になると勤めから退き、気づけばシェルは最古参だ。
皇帝が口にする「あれ」を、体調、機嫌、抑揚、状況から正しく判別し、望みのものを直ちに用意する手腕は、侍従長からも高く評価されている。六年の間に磨かれた観察眼と、ほんの幼い頃から大人の顔色を伺い身を守ってきた生い立ち、そして皇帝への畏敬が、こうして主人の意を汲むのに役立っている。
今日の「あれ」も過たず、所望された通りに窓を開け、外の空気を皇帝の寝台まで届けることができた。勇猛な海の戦士だった皇帝は、こうした天気の良い午後には、かつてのように風を感じたいと思う傾向があるようだ。
主人が機嫌良く午睡に落ちたのを確認して、シェルはそっとその場を辞した。本来昼の宮殿では、こうした身の回りの世話は、成人した専従の侍従たちの仕事である。しかし、珍しく季節の変わり目に風邪を引き込んだ皇帝は、わざわざシェルを側に呼んでいた。
体調がすぐれない時はいつも、最年長の侍童を侍らせる皇帝の姿に、低劣な噂が囁かれていることはシェルも知っている。勿論その矛先は偉大な皇帝陛下ではなく、いつまでもその座に執着する侍童であることも。
昼夜なく側に控える侍従たちは、機嫌や体調の悪い皇帝が、よく気がつく者を呼んでいるにすぎないと理解している。労わる言葉を掛けてくれる人もいる。シェルには、それで十分だった。
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