天上の梟

音羽夏生

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幕間 琥珀糖の夢

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「これが、菓子…?」

 そうでございますよ、と微笑みながらヘルムートが答えてくれたが、それでも梟は信じられなかった。琥珀糖という名のそれは、宝石の原石か、色のついた氷にしか見えなかったからだ。
 霜をまとった氷のような、白い表面を通して見えるその小さな塊の中は、赤、黄、橙、青、緑――色とりどりに透き通っている。暖かく保たれた室内でも解ける様子がないところを見ると、氷菓ではないようだ。

 以前紫水晶の大きな結晶を見たことがあるが、外側の荒々しい不純物を取り除いたら、このような見た目になるのではないか。菓子と言いながら実は鉱物で、揶揄われているのではないか、と蜻蛉を見上げたが、安心させるように頭を一撫でして促してくる。
 梟はおそるおそる、薄い青の小さな塊を一つ摘まみ、口に入れた。

「……」

(…冷たくない…)

「……っ」

(…硬くない…)

「……!」

 その名からも飴かと思いきや、表面はごく薄い氷菓のような舌触りで、口の中で崩れると、その中はふるりとなめらかで柔らかい。

「……!!」

 やさしい味わいの果実のゼリーを覆う、シャリシャリとした不思議な食感の霜のような甘い被膜。皇宮に暮らすようになって初めてゼリーを口にした時も、まるで妖精の食べ物のようだと驚いたが、これは天空に住まう翼ある者たちの食べ物なのではあるまいか。美しく冷たく鋭いようで、儚く甘く口の中で蕩ける。
 これが、地上で、人の手が作り出した物だとは。

(…天空にあるという、清浄の地の産物としか思えない…)

 この衝撃を分かち合う相手が欲しくて蜻蛉を見遣ると、何故か口元を手で覆ったまま何かに耐えるような顔をしている。まだこの驚愕の菓子を口にしていないのに、すでに尊く珍しいものを味わったような様子を奇妙に思いながら、皿を取り上げ勧めてみるが、力なく手を振り断られた。

「…そなたがすべて食すがよい。この菓子がたとえこの世ならざる美味であろうと、そなた以上に、心から楽しむ者は他におらぬであろうからな」

 目を丸くして何段階にも衝撃を受け、それを訴えようと蜻蛉を見上げるまでの様子が、どれほど生き生きとした感情に満ちたものであったか。それがどれほど蜻蛉と見守る侍従たちの目を奪うものであったか。
 蜻蛉は、今日という日を『琥珀糖の日』に定め、帝国中に広めてその製法を究める礎にしようと心を決めた。ヘルムートは、最大の功労者であるエルマーと、五日間という短い期間で製法を研究し元のものより美しい琥珀糖を作り上げた菓子職人を中心に、ささやかな酒宴を催しその功を讃えようと計画を始めていた。
 静かな内宮の夜、水面下で大小の企みが生まれていたことなど、勿論梟の与り知らぬことである。

(そなたの愛らしさには底も天井もないな…)

 甘い菓子など食べなくてもすっかり心が満たされた蜻蛉は、これからも美しく珍しい菓子はまず梟に献上させ、素直な驚きに輝く顔を愛でることにしようと思いついた。その指示を出す前に、今回のことでは侍従たちを特にねぎらってやらねば、と良き主の顔で褒美を考えていたが、梟は――不満だった。

(…そうではないのに)

 美しいから、美味しいから、独り占めしたいのではない。だからこそ、誰かと分かち合いたいのだ。
 少しずつでも分け合って、おいしいね、と微笑み見つめ合う喜びは、どれほど大きかったことだろう。最後に残ったケーキの一切れを兄と分け合った時、半分になったケーキをそれ以上に埋め合わせたのは、大好きな人と共有する幸せな気持ちだった。
 こんなに素敵な宝石のような菓子を一人だけで楽しんだら、その価値は減ってしまう。生まれた時から欲しい物はすべて手に入れてきたであろう皇帝には、それがわからないのだ。ケーキ丸ごと一つを独占する喜びしか知らないのでは――そんな男を親に持っては、三兄妹も父と同じ、分かち合う喜びを知らない人間になってしまう。畏れ多いことだが、もし自分の甥と姪ならと思うと、とても放ってはおけない。

 梟は玻璃の皿から琥珀色のものを一つ手に取ると、被膜を割らないように蜻蛉の唇にそっと押し付けた。突然のことに驚き、わずかに開いた唇の隙間に、琥珀糖を差し入れる。表面の食感を楽しんでほしくて、全部は口に入れずに蜻蛉の反応を窺った。
 あのシャリッと崩れる感覚、霜を踏むような繊細な食感に、驚かないだろうか。いや、驚かないはずがない。

(だってあんなに不思議で心地好いのだから…!)

 至近距離で、期待に満ちた青灰色の瞳を輝かせてこちらを凝視してくる想い人に、蜻蛉は珍なる菓子を味わうどころではなかった。

 口にも態度にも出さず、のびやかな好奇心を全開にして身にまとう空気だけで迫りくる圧力と、純真な子供のような愛らしさ。琥珀糖のように膜に覆われ、一見するとわかりにくいだけに、こうして中が垣間見えた時の威力は凄まじい。
 普段は高貴で懐かない気まぐれな猫のようなのに、今の梟はこちらの反応を待ち構え、毬のように弾む体をじりじりと伏せている仔犬だ。甘い指先から与えられ、もはや甘いということしかわからない異国の菓子を、頭の芯が痺れるように感じながら、蜻蛉はどうにか咀嚼し飲み込んだ。
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