天上の梟

音羽夏生

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邂逅

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 ――面白い一行だ。

 それが、南洋に散らばる数百もの島々を束ねる王国から派遣された、学術研究団の第一印象だった。
 代表を務める王太子は十九歳。鳶色の髪と瞳を持ち、いかにも海の民らしい日に焼けた肌はそれでも瑞々しく、若さに溢れている。
 内面から生じる命の輝きとでもいうのだろうか。母国では『太陽の申し子』と呼ばれ民に愛される王太子は、その場を明るくするような快活さと華やかさを備えていた。そして、いずれ王となる者の自負も。

 大国の皇帝を前に臆することなく、さりげなく自身を観察するアルフレートの目を、真っ直ぐに見返してきた。
 若さにそぐわない豪胆さを、アルフレートは気に入った。王宮の箱入り息子であれば御しやすいが、奸臣に操られ未来の愁事となる恐れもある。今のところ敵対要素のない、海を隔てた隣国の次期国王は、一本筋の通った人物であればよいと思っていたが、なかなかに肝の据わった若者のようだ。
 初対面の場で、法学だけではなく練兵も学びたいため、帝国騎士団の演習に参加させてほしい、と皇帝に直談判するほどには。

「演習とは――実のところ何をお望みか。友好国アバーテの客人とはいえ、我が騎士団の陣容を詳らかにすることはかなわぬ」
「剣術を磨きたいのです。陛下は『四神の近衛』と称される、貴国の最強騎士から成る近衛の精鋭をお持ちとか」

 滑らかに続く言葉に、演習への参加という国防上叶えるのは難しい願いは、真に欲する成果を引き出すための呼び水にすぎないことが窺い知れた。

「我が国にもそのような頼もしい近衛を整えたいのですが、その前にまず、私の腕を上げたいと思っております。我が国の兵は海戦に優れた猛者揃いですが、揺れぬおかの剣術など覚える価値なしと捉える向きも多く、近衛として洗練された腕を持つ者が少ないのです」
「それゆえまずは、王太子たる御身が先頭を切って『揺れぬ陸の剣術』を究め、その必要性を知らしめたいとお考えか」
「御意」
 
 ふむ、と頷きながら思案する皇帝に、若き王太子は、不躾の一歩手前の真っ直ぐな眼差しを注ぎ、その答えを待っている。

「近衛の剣は人を守る剣ゆえ、王の子たる御身が学ばれるには不適と思わぬでもないが…」
「人を守る剣は、国を守る剣にも通じると存じます。また、近衛ではない帝国騎士の名高い使い手にも師事できれば、これに勝る栄誉はございません。その教授法、鍛錬の勘所も併せて身につけ、国に持ち帰ることができれば、近衛の改革の礎になりましょう」

 蜻蛉という仮の身分を手に入れてまで幼い頃から剣術を磨き続けているアルフレートに、ランドルフォの望みは小気味よく響いた。若さゆえの勢いに見えて、この率直かつ大胆な交渉は、年齢は関係ない彼自身の資質によるものと思えた。

(――小隊程度の演習であれば、許してやってもよいか)

 レーニシュ帝国皇帝にそう思わせる時点で、この王太子は傑物と言える。
 アルフレートは目を細めて目の前の若者を見遣った。

「良きように計らおう。それにしても、エルヴェツィオ王は良き後継ぎを持たれた。我が皇太子は、ランドルフォ王太子の話し相手には幼いが、いずれ引き合わせよう。異国の次世代の王から、ぜひ刺激を受けてほしいものよ」
「御言葉、恐悦至極に存じます。テオドール皇太子にお会いできるのは、望外の喜び。海賊退治の顛末など、殿下には退屈に感じられましょうか」
「おお、ぜひ聞かせてやってほしい。その折は、余も同席させてもらおう」

 皇帝の社交辞令ではない熱のこもった声に、海の国の王太子は、驚きを隠そうともせず瞬きを繰り返した。

「陛下も、海賊にご興味がおありでしょうか」
「いくつになろうと、そのような冒険譚に男は血湧き肉躍るものなのだよ」

 稚気に溢れた目配せを送って寄越したアルフレートに、ランドルフォも思わずといった風情で朗らかに破顔した。
 皇帝と王太子の軽妙なやり取りに、その場の空気が一気に和む。特に王太子の随員たちは、若き主の先走った言動に内心冷や汗を掻いていたらしく、目に見えて肩から力が抜けている。

 そんな中、アルフレートの関心は、一行の一番後ろに控える男に移っていた。
 一見風采が上がらない、どこにでもいるような初老の男だ。しかしこの場で唯一、大国の皇帝を前にいささかも緊張しておらず、国の威信を懸け豪華絢爛に設えられた謁見の間にも気後れせず――つまり、いかにもつまらなそうにその場に佇んでいることを、アルフレートは見抜いていた。
 学者にも役人にも見えない、しかし敢えて王太子が謁見の供に選んだこの人物は、何者なのか。

「――ところで。ランドルフォ王太子は、面白い随員をお連れのようだな」
「どうぞランドルフォとお呼びください、陛下」

 こちらも、大国の皇帝の意外な一面にすっかり緊張を解いたランドルフォは、自らの元にその男を呼び寄せた。

「これは母国に寄りつかぬ放蕩者の絵描き、ヴァスコと申す者。久しぶりに王宮に顔を出したかと思えば、すぐに大陸の火酒が飲みたい、白き肌の女性にょしょうが恋しいと言い張り、引き止める手を振り切って船に乗ろうといたします。ならばたまには母国の役に立ってみせよと、こうして連れてまいりました。難多き男ですが、絵筆を取る腕だけは確かでございます。見事な美術品に溢れたこの皇宮ではありますが、ぜひ一隅を飾る一枚を献上したく」
「ほう、そなたが高名な画聖であるか」

 放浪の画聖ヴァスコ。その名はアバーテのみならず、大陸全土に轟いている。
 若い頃からその才能を認められ、自国のみならず他国の宮廷も渡り歩き、聖市ユノーの大神殿の天井画を見事描き切ったことで画聖の称号までも手に入れた画壇の寵児は、良くも悪くもアバーテ人の典型を焦げ付くまで煮詰めたような男だった。
 享楽的で芸術面の才能に溢れる一方、喧嘩っ早く、酒癖も女癖も悪い。その上、裏表が無さすぎる率直な物言いで人を怒らせるのも得意で、謹厳実直な国民性を持つと言われるレーニシュ人との相性は最悪だった。大国の皇宮に画聖の作品が一つもないのは、ヴァスコのレーニシュ嫌いによるものだろうと皇宮に勤める人々が考えるくらい、画聖と帝国には縁がなかった。

 自由奔放に人生を謳歌していたヴァスコだったが、四十代を前に一度、その才能が枯渇したかのように絵筆を握らなくなったことがある。後世、彼の伝記を手掛けた作家が『失われた五年』と名付けることになるその長い間、彼が何をして過ごし、どのように輝かしい復活を遂げたのか、知る者は誰もいない。
 復活というより再生というのが相応しい、第二期とでも呼ぶべき長い沈黙後の作品は、以前より格段に数は落ちるものの、人生の悲哀を通り越した虚無にも近い深みが増し、見る者に感動だけではなくある種の戦きすらも与える傑作ばかりだった。今では、どれほど大金を積まれても、自身が描きたいものしか依頼に応じないと言われている。

 その孤高の天才が、母国の王太子に伴われて、相性が悪いと噂されるレーニシュ人の宮廷に現れた。
 母国への恩返しなどという殊勝な理由ではなく、何か目的があっての来訪だろう、とアルフレートは当たりをつけた。

「画聖は己の描きたいものしか描かぬと聞いている。無理強いする気は毛頭ないが、そなたに絵筆を取らせるに値するものがあるとよいのだが」
美の神霊ミューズを探しておるのです、陛下。わしに、折れた筆を再び持たせた天使を」

 直答を許された画聖は、のろのろと答えた。柳のように頼りなく、やる気を感じさせない口調だが、その眼は異様に強い光を秘めており、老齢に差し掛かっても、天才と呼ばれる人物が持つ執念にも似た覇気を垣間見せている。

「天使がそなたに力を与えたのか」
「もう十年以上も前になりますか…。今ではもう、あれが人であったのか魔物であったのか、それとも真に神の御使いであったのか、よくわかりませんがな」

 ヴァスコは遠くを見るようにそう呟くと、最早ここに用はないと言わんばかりの無関心さで、足元に視線を固定する。初老の芸術家の奇矯さには慣れっこなのか、ランドルフォは咎めるようなことはせずに会話を引き取り、丁重な挨拶の後に一行を引き連れて退出した。

 謁見を終え執務室に戻り、机の上に積まれた書類に目を通し署名しながら、ふとした時にアルフレートの頭をよぎるのは、ヴァスコがこの国に来た理由だった。
 心折れた者に、再び奮い立つ力を与えた天使。
 この国に手掛かりがあるらしいその人物が、誰なのかではなく、どのような人物であったのかということに、興味を覚える。
 あの偏屈そうな画家を、絶望の淵から引き上げ、さらなる高みへと押し上げた存在。どのような人物像も思い浮かばず、魔物か神の使いから啓示を受けたと言われる方が、はるかに納得できる。

 ヴァスコにはまた何度か会う機会があるだろうが、たとえ訊ねてもその天使について語ることはあるまい。
 残念に思いながらも、アルフレートはそう確信していた。
 偉業、覇業を成し遂げる者なら誰しも、己を突き動かす秘密を一つくらい持つものだ。誰にも触れられたくない、心の中に湧き出でる泉。背負うものの重さに時に倒れ込みながらも、次に進む力の源を。

 アルフレートが公にはせず大切に囲い込む、秘した掌中の珠を持つように。
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