トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

文字の大きさ
上 下
220 / 237
19章 ※

3

しおりを挟む
「何があったんだ、こんな時間に」
「しばしの別れを言いに来た」

 緊張した志貴の問い掛けに、反対にテオバルドは落ち着きを取り戻したようだ。ふっと肩の力を抜き、強張っていた頬をゆるめた。

「衛藤といい、今日はよく待ち伏せされる日だ。車を返しに行った帰り、口先だけは丁寧に、有無を言わさず招待してくる奴らがいたんだ。奴らの事務所で、実に紳士的に、アメリカでの活動から手を引いて協力者になれと誘われたよ」
「……連合国のスカウトか」
「あのアクセント、イギリスの情報部だろう」

 テオバルドはいつもの余裕のある調子で答えるが、その内容は物騒極まりないものだった。

「警告はこれまでもあった。去年の七月に、アメリカで活動してたカルロスの連絡が途絶えたんだ。上げる情報が減ったから、あんたも気づいてたんじゃないか」

 志貴は頷いた。
 重点的に届けられていた新型兵器の情報が、少なくなったと感じる時期があった。確か、あれは──。

「向こうの諜報員の数は限られる。カルロスの捜索に手を割くことはできなかった。それがようやく、奴の消息がわかったんだ。連絡が途絶えた日の前日に、ラスベガスのホテルで射殺されていた。犯人も動機も不明、事件は早々にお蔵入りだそうだ」
「いつそれを知ったんだ」
「いつだろうと、それが大事なことか」
「……昨日なんだな」

 答えないことで確信した。
 昨日の時点で、テオバルドはこの事態を予測していた。遠からず、自身に危険が迫ることを。
 だから、志貴をドライブに誘ったのだ。
 愛した故郷を見せるために。流血の地に眠る父と母に、恋人を見せるために。
 そして別れを告げるために。

「もし誘いを──二重スパイを断ったら、と脅されたが、俺もこれを持ってるからな。くぐり抜けてきた修羅場の数は、こっちの方が上だ。天井に向かって撃って、混乱に乗じて逃げ出してきた」

 これ、と言ってテオバルドが上着の内ポケットから取り出したのは、拳銃だった。
 それは、志貴を驚かせるものではない。何故なら志貴も、『スペイン語』のレッスンを含め、出歩く時は常に携帯しているからだ。──勿論、二人きりの今日の遠出にも。
 心から求めながらも、心の底からは信じられなかったスパイが、職務への忠実さのために命の危険に晒されている。いつだって不誠実なのは志貴一人で、テオバルド、そして一洋も、常に志貴が求めるものを与え、それでいて恩を着せることなくその意思を尊重してきたのだ。

「これからどうするつもりなんだ」

 引きとめる調子にならないように、志貴は訊ねた。
 昔から何も変わらない、甘やかされるばかりの自分を嫌悪し自省するのは、今でなくていい。

「国を出て身を隠す」
「どこに。当てはあるのか」
「こういう時の飛び先も用意してこそ諜報員だ。始発の切符と荷物も、ここに来る前に手配した」
「どこへ行くんだ」
「知らない方がいい。それがあんたのためだ」

──俺たちに残された時間は、──もう長くない。

 不意に、焦燥に翳るテオバルドの顔が蘇った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

処理中です...