トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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18章

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 あんなこと──そう言いながら志貴を見つめる目に、湿った熱が宿る。この一年と少しの間に刻まれ、慣らされた、一洋の愛撫。
 それは確かに愛撫と呼ぶに相応しい、いたわりと執拗さ、そして淫靡さを備えていた。即物的な、ただの性欲処理ではなかった。
 恋人同士の行為を、はじめは強引に――やがて自ら、代用品として志貴は受けとめてきた。一洋の想いを受け入れる器となり、別の人への想いを注がれることで、一洋を自分に繋ぎとめた。
 一洋の想いは、志貴には向けられていない。──誰も真に欲しいものを手にできないからこそ、今繋いでいる手を離さなくていい。
 それが、二人の手を掴むための条件だった。あやうい均衡の礎だった。
 それなのに今日、志貴はテオバルドが欲しがる言葉を与え、今また一洋が隠していた感情を晒そうとしている。二人の男を自身に執着させる手立てが、志貴を求める二人の男の愛に、その姿を変えていく。
 しかし、それは同時に成立するものではない。

「ん……っ」

 また、唇が重ねられる。
 堰が切れたように、一洋は唇を触れ合わせる。もう我慢するつもりなどないとでもいうように。
 受け入れてはいけないと知りながら、志貴に退ける資格は──なかった。
 一年以上、求められるままに痴態を晒し、今では欲望までも管理されているのに、唇は許さない──そんな覚悟の決まらない遊女のような真似など、できるはずもない。
 志貴は自身を捧げる覚悟を決めて、一洋の手を取った。だから逃げることはしない。しかし、遊女とその客のように、この関係に恋情は介在しないはずだった。
 互いに打算がある中で、唯一綺麗なものは一洋の初恋──君子への恋情があるきりだと、志貴は信じていたのだ。

「イチ兄さんは……」

 拒むことも応えることもできないまま口づけは重ねられ、その合間に志貴は呻く。
 一洋の口づけは、志貴の知るもう一人の男のそれとはまるで異なっていた。飼い犬を自称しながら、ご褒美をもらう時は強引に、志貴の口内を長く厚い舌で支配する。溢れた滴すらも自分のものだと主張するかのように、ベロリと舐め取る様はまさに犬のようだった。一途に飼い主に執着する様に、志貴は密かに、安堵と仄暗い陶酔を覚えていた。
 しかし一洋の口づけは、慰撫するように穏やかで、支配的な夜の愛撫とは真逆だった。志貴の抱えた秘密も恐れも舐め溶かすように、そっと舌で唇を割り、口内をやわらかくなぞる。志貴の形はすべて把握しようという意思があるかのようだ。
 強張ったままの志貴を懐柔し、清も濁も丸ごと包み込むような、したたかな大らかさに呑み込まれそうになる。
 ずっと、口にしてはいけないと、そして忘れてはならないと、常に心の片隅にあった戒めが、甘く丁寧な口づけの苦しさに、ほどけた。

「兄さんは、母さんが好きなんじゃ……」
「君子先生? 何の冗談だ、先生は志貴そっくりの美人だが、いつまでも歳を取らない妖怪──じゃない、お袋より年上なんだぞ」
「でも、兄さんは昔から、母さんに憧れてて」
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