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18章
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しかし内心では志貴を軽蔑し、固く一線を引くはずだ。
自分に体を開き欲望を晒しながら、別の男に唇を許し恋人と呼ばれる。そんな節操のない下種に、気高い君子の身代わりは務まらない。一洋を手に入れる手立てにはならない。
やさしい幼馴染の顔を保ちながら、男としての意地を砕き、欲望すらも侵し依存するように仕向けた一洋。
強い光と深い闇を内包し、コスモポリタンの同志と嘯きながら、愛を求めるテオバルド。
一人と深みにはまれば、もう一人を失う。
ギリギリの均衡を保つために隠し通さなければならない秘密を、志貴は今日抱えてしまった。
足元が危うくなるような感覚に、思わず身を震わせた志貴の前に、湯気の立つカップが置かれた。
ほんのりと蜂蜜の甘い香りがする。それは、さきほど唇を辿った別の男の指と舌を思い出させた。
乾いた唇を潤すため、という大義名分を得て、何度も繰り返し唇に塗っては舐め取り、志貴と甘い蜜を共有した男──。
「……ありがとう」
外出し疲れているだろうと、さりげなく添えられた一洋の心遣いが心苦しい。
目を合わせたくない思いに駆られるが、逸らせば必ず問い詰められる。目の前の男が抱く執着は、自身から志貴が目を逸らすことを許さない。
どうにか自分を奮い立たせながら、志貴は隣に座る一洋に向き合った。最も重要なのは、二人の男でも彼らとの関係でもなく、和平交渉の進展だ。
「こんな時間まで待たせてごめんなさい。何があったの、イチ兄さん」
「こんな時間、ね。俺がいなければ、あの男を部屋に上げるつもりだったのか」
「そんなわけない」
即座に否定してから、志貴はその不自然さに気づく。
非凡な記憶力を持つ志貴は、普段自宅に仕事の資料を置いていない。思いついたことを書き留めたメモはあるが、家に置く時は念のため金庫にしまうようにしている。
つまり機密を盗み見られる恐れはなく、部屋に上げたところで、特に問題はないのだ。同じ男で、ただの仕事相手ならば。
不自然さを取り繕おうとするより早く、抑えた口調で一洋が問う。
「あの男を好いているのか」
「……何を、言って……」
「誰が相手でも、私用で一日マドリードを離れるなんて、これまでなかっただろう。外交官がスパイに入れ込むなんて、どうかしてるぞ志貴」
冷徹な口調は、鋭く志貴を打ち据えた。
戦争に休日はない。在外公館で奉職する外交官にも、大使館の休館日はあっても、真の意味での休日はない。敗色しか見えない戦況下で和平の道を探る使命を自らに課しながら、連絡の取れない場所に遠出するなど、たるんでいるのではないか。──しかも、完全には信用できないスパイに連れられて。
そう責められているのだと思い、自分でも危うさを自覚していただけに、言い訳はできなかった。梶にも外出は届け出て、「休日なんだからたまにはのんびりしなさい」と了承を得ていたが、軽率と取られても仕方がない行動だった。
それでも、必要だったのだ。テオバルドを繋ぎとめ、我がものとするために。
自分に体を開き欲望を晒しながら、別の男に唇を許し恋人と呼ばれる。そんな節操のない下種に、気高い君子の身代わりは務まらない。一洋を手に入れる手立てにはならない。
やさしい幼馴染の顔を保ちながら、男としての意地を砕き、欲望すらも侵し依存するように仕向けた一洋。
強い光と深い闇を内包し、コスモポリタンの同志と嘯きながら、愛を求めるテオバルド。
一人と深みにはまれば、もう一人を失う。
ギリギリの均衡を保つために隠し通さなければならない秘密を、志貴は今日抱えてしまった。
足元が危うくなるような感覚に、思わず身を震わせた志貴の前に、湯気の立つカップが置かれた。
ほんのりと蜂蜜の甘い香りがする。それは、さきほど唇を辿った別の男の指と舌を思い出させた。
乾いた唇を潤すため、という大義名分を得て、何度も繰り返し唇に塗っては舐め取り、志貴と甘い蜜を共有した男──。
「……ありがとう」
外出し疲れているだろうと、さりげなく添えられた一洋の心遣いが心苦しい。
目を合わせたくない思いに駆られるが、逸らせば必ず問い詰められる。目の前の男が抱く執着は、自身から志貴が目を逸らすことを許さない。
どうにか自分を奮い立たせながら、志貴は隣に座る一洋に向き合った。最も重要なのは、二人の男でも彼らとの関係でもなく、和平交渉の進展だ。
「こんな時間まで待たせてごめんなさい。何があったの、イチ兄さん」
「こんな時間、ね。俺がいなければ、あの男を部屋に上げるつもりだったのか」
「そんなわけない」
即座に否定してから、志貴はその不自然さに気づく。
非凡な記憶力を持つ志貴は、普段自宅に仕事の資料を置いていない。思いついたことを書き留めたメモはあるが、家に置く時は念のため金庫にしまうようにしている。
つまり機密を盗み見られる恐れはなく、部屋に上げたところで、特に問題はないのだ。同じ男で、ただの仕事相手ならば。
不自然さを取り繕おうとするより早く、抑えた口調で一洋が問う。
「あの男を好いているのか」
「……何を、言って……」
「誰が相手でも、私用で一日マドリードを離れるなんて、これまでなかっただろう。外交官がスパイに入れ込むなんて、どうかしてるぞ志貴」
冷徹な口調は、鋭く志貴を打ち据えた。
戦争に休日はない。在外公館で奉職する外交官にも、大使館の休館日はあっても、真の意味での休日はない。敗色しか見えない戦況下で和平の道を探る使命を自らに課しながら、連絡の取れない場所に遠出するなど、たるんでいるのではないか。──しかも、完全には信用できないスパイに連れられて。
そう責められているのだと思い、自分でも危うさを自覚していただけに、言い訳はできなかった。梶にも外出は届け出て、「休日なんだからたまにはのんびりしなさい」と了承を得ていたが、軽率と取られても仕方がない行動だった。
それでも、必要だったのだ。テオバルドを繋ぎとめ、我がものとするために。
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