トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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17章

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 テオバルドが足を止め、二人はある墓碑の前に立っていた。白く輝く碑面には、夫妻の名前と、その勇気を讃える碑文が綴られている。
 横には、同じ程度に古びた墓碑がずらりと並ぶ。寂れた空気をまとう建物とその周囲とは異なり、この墓地だけは綺麗に草が刈られ、頻繁に手入れされていることが窺い知れる。
 内戦が終わり、反乱軍の――現政権の世が来て、それまで身を潜めるようにして生き延びた人々が、贖罪の意味を込めて世話をしているのだろう。
 罪のない隣人を見殺しにした罪を、生き残った者は背負っている。そして、殺した罪を背負う者は報復され、今はもう生きてはいまい。
 内戦の完全な勝者はいない。そう言われる所以が、この墓地に凝縮されている。

 これまで、志貴が強く求めた夏の日――二人が飼い主とその犬になったあの日以外、テオバルドが自らの過去に触れることはなかった。
 それが今日は、亡くなった父母に会わせるためと、今も続くこの国の最も根深い分断の現場を見せることも厭わずにいる。

(何が彼をそうさせているんだ……?)

 ここ最近、何度も垣間見せた焦燥の翳りを思い出し、志貴は思わずテオバルドの袖を掴んだ。

「君はずっと、私の犬なんだろう……?」
「親父とお袋の前で、犬呼ばわりしないでくれよ。恋人と呼んでくれ」
「呼び名なんて何でもいい。これからも、私の側にいるんだろう?」
「志貴、恋人と呼べよ」
「……飼い主と兼任なら、考える」

 気が急くあまり志貴は、半歩踏みとどまった、それでもしてはならない譲歩をしてしまう。
 往生際の悪いそれに、テオバルドは噴き出した。

「聞いたか、二人とも。とことん素直じゃない上に、日本人で、さらには男だが、これが俺の宝ミ・テソロ俺の人生ミ・ヴィダだ。孫の顔は見せてやれないが、俺もあんたたちみたいに唯一の相手を見つけたよ」

 ミ・テソロ、ミ・ヴィダ。
 恋人に呼び掛ける言葉を唱えながら、テオバルドが志貴の肩を抱く。そのまま巻き込むように腕の中に囲われ、志貴は探るように目の前の男を見つめた。
 さきほど林の中で口づけした時とは、明らかに違う。愛おしいという思いに溢れた、包み込むように穏やかな眼差し。

(この目の中に映る僕は、どんな顔をしているのか……)

 自然と重なった唇からも、情欲ではなく慈愛が伝わる。互いを労わるような、静謐な口づけだ。
 胸の中にひたひたと、充足感が広がる。あたたかな男の情に慰撫され、満たされていく感覚。
 テオバルドも、同じものを受け取っていればいい。そう願いながら、志貴は促されるまま、何度も角度を変え、時に唇を離し互いの目を覗き込みながら、また唇を重ねた。
 これほど厳かでやさしく、神聖ですらある口づけを交わすのは、初めてだった。二人の間に通うものは欲望だけではないという、証立てのような口づけだ。

「テオバルド、どうして……」
「言った通りだ。俺の愛する人を見せたかった。羨ましいほど真っ直ぐに愛し合ってた、両親に」
「でも、どうして急に」
「あんたが故郷の話をするから、思い立っただけさ。さ、マドリードに戻りがてら観光して、昼飯を食おう」
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