トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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17章

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 花が似合うだのと生ぬるいことを言いながら、「一見」と付けることで、志貴は見た目通りの優男ではないと主張してくる。揶揄のつもりかもしれないが、正しい理解だ。
 飼い主を甘く見ていないことに、志貴は褒美を与えるように微笑んだ。

「よくわかっているようで何よりだ。うちの仁王様も桜が好きで、同じ並木道とお菓子を愛していたよ」
「ニオゥサマ?」
「決して怒らせてはいけない、我が家の階層ヒエラルキーの頂点のことだ」
「なるほど……」
「……何か言いたそうだね」
「ニオゥサマは正しく次代を生み育て、継承されていくんだなと思っただけだ」

 テオバルドの言葉に、志貴は少々複雑な心持ちになる。
 可愛い盛りであろう英が、母そっくりに育っているのかと思うと、頼もしくはあるが、何やら切ない。顔も覚えていない、初めて会うに等しい父と再会した時、小さな仁王様は何と言って迎えてくれるのだろう。
 ため息が零れそうになるのと同時に、ふと、目の前の男の子供時代に興味が湧いた。

「――君をそんな人間に育てた景色は、どんなものなんだろうな」

 闘牛士に憧れていた子供時代――プリモ・デ・リベーラ家の人々と知り合い、激烈であり苛烈であった年月に晒される前のテオバルドを形作った景色とは、どのようなものだったのだろう。
 スパイを生業とする男に、特に答えを期待していたわけではなく、問いは呟きに近かった。しかし一瞬目を見開くと、テオバルドは何か思案するように顎に手をやる。

「見せてやろうか」
「え……」
「付き合えよ。今度の日曜日、空けておいてくれ」

 休みの日は邦人会の集まりがある、と断ろうとして――口を噤む。
 軽い口調の誘いでありながら、テオバルドは硬い顔つきで、真っ直ぐに志貴を見つめている。断わったらどうなるかわからない――手綱を千切られそうな緊張を見て取り、志貴は困惑を押し隠しながら頷いた。
 何気ない問いが、男の中の何を爪弾いたのか。
 公使館に戻った後も、不安は波紋のようにわだかまった。海軍武官府に電話をかけ、他の用事のついでに日曜日の不在を一洋宛に言付けて、受話器を置く。
 別の仕事に取り掛かっても、つい頭に浮かぶのは、別れ際のテオバルドの顔だ。

(本当に、らしくなかった……)

 珍しく揺らぎを見せた、飼い犬の姿。飼い主として、そしてスパイとの窓口担当としても、見過ごすことはできない。
 テオバルドとの、私用の外出の理由――自身と一洋に対する言い訳を見つけようとしていることに気がつき、ため息とともに、志貴の手から書類がかさりと落ちた。
 自己嫌悪に陥るには、遅すぎる。
 その資格も、もう志貴にはない。いつか二人に不実を責められる時が来ても、言い逃れはできないことをしている自覚はある。
 利己的に過ぎる理由で二人の男を求めていると知られた時、男たちは志貴から去るだろう。戦争が終わっていてもいなくても、志貴の側から永遠に。――どれほど誹られても、それだけは甘受できなかった。
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