トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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17章

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 また年が明け、スペインで三度目の新年――一九四四年が始まる。
 一洋が戻り、ジェイムズもイギリスから戻り、日々の表面上は変わりなく、平常通りに思えた。

「何もかもが配給、配給! 早くこの戦争を終わらせなければ、我が国の食文化は死滅する。まあ、伝統的に危機に瀕してはいたが、このままでは人間の食事ではなく家畜の餌になってしまう。私は使命感を新たに戻ったぞ、志貴」

 新年早々顔を合わせたジェイムズは、斜め上のやる気に満ちていた。
 戦時下の配給制で食糧が制限されているのはどの国も同じだが、中でも、と彼が槍玉に上げたのは、ナショナル・ローフと名付けられたパンだ。ふすまごと挽いた小麦粉に、馬鈴薯粉や添加物を入れてかさ増ししたもので、イギリスでは今、このパンのみが焼成・販売を許されているという。
 全粒粉を使った茶色パンブラウンブレッドがあるが、ナショナル・ローフは添加物のせいか灰色をしているらしく、そもそも茶色パンなど貴族の食卓には上らない。しかも製造翌日でないと販売されない決まりだそうで、硬くてぼそぼそ、噛み切るのにも難儀をする灰色パンに、生まれてこの方白パンしか口にしたことのないジェイムズは、相当辟易しているらしい。
 その上、バターもジャムも精肉も卵も牛乳も、何より紅茶までが配給制でわずかしか手に入らないとなれば、朝食の楽しみなどないに等しい。配給制は免れているが『ヒトラーの秘密兵器』と陰口を叩かれているこのパンが、皮肉にもジェイムズの愛国心を掻き立て、早期講和の大きな動機となっているというわけだ。

 その交渉の窓口は、これまで通り志貴が担っている。イギリスが相手の和平工作は父の命の代償であることに加え、機密保持のために、関わる人間は限定されるべきだからだ。
 また、一洋には海軍ルートがある。外務省ルートと同時に話を進め、進捗が早く確実性が高い方を最終的な上奏ルートにできればいい。
 武官である一洋は、志貴よりも一段階上のルートを持つが、連合国側とのパイプは持っていない。主に上層部を説得して速やかな降伏を促す方向で動くつもりでおり、そのための三ヵ月に及ぶ出張だった。
 慎重な梶の尻を叩くにも、海軍ルートの存在は役に立つ。外務省の人間である志貴が掴んだ講和の端緒を、手柄を奪うように軍に握られては面子に関わる。陸海軍が領域を侵して久しいが、外交は外務省の管轄だ。越権行為であるにもかかわらず、外交政策に口出ししてくる軍上層部を苦々しく思っている者は多い。
 しかし外務省にも、精神論だけの主戦派は多くいる。外務省ルートにせよ海軍ルートにせよ、上奏の場が確保される前に話が洩れれば、右翼の主流派に潰されてしまうことは明らかだった。せっかく掴んだ講和の端緒を失うまいと、梶が慎重になるのも理解はできる。
 それでも、と志貴は思う。もう少し粘り強く上を説得してくれたらいいのに、と。 
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