トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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16章※

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 強いられて始まったこととはいえ、こんなことすらも依存している。自嘲は焦りを呼び、一洋の声に苦さが混じっていることに、志貴は気づかなかった。

「そこは、兄さんだけが触れていいんだ。だから、……して」

 上半身をぺたりとベッドに預け、尻を掴む男の手に手を添えながら、好きにして、と続けた。
 どうかこの身を我が物とし、想い人には向けられない劣情の捌け口として執着し、依存し、手放せなくなってほしい。
 祈るように捧げたものは――受け取られることはなかった。尻だけを高く掲げた雌猫のような姿勢から、乱暴に反転させられる。

「どうしたんだ、志貴」

 獲物を追い詰めるように覆いかぶさってきた一洋の眼差しは険しい。口調も鋭く、胸の内の激情をどうにか押し留めているのが窺えた。

「さっきから、どこかおかしいと思っていた。一体、何を考えてる。綺麗な体のままで、そんなに必死になって――。まるで、俺に……お前を食わせたがってるように見える」
「そうだと言ったら?」

 声を荒げまいと己を律する一洋とは対象的に、志貴は冷静に、そして簡潔に答えた。

「男とは、できない?」
「……お前は、男と経験があるのか」
「接吻だけ……だよ」

 手を伸ばし、真上にある顔を撫でると、指先で唇に触れた。そのぬくもりが残る指で、今度は自分の唇をなぞる。
 この唇は、男を知っている。あの朧な春の光の下――少年の姿をした目の前の男を。無慈悲な太陽に灼かれた国の、光と陰を内包した男を。
 志貴の見せた仕草に、一洋は明らかに怯んだ。

「……覚えていたのか、あんな昔のことを」
「忘れるわけない。……僕の初めてを奪ったくせに、そんなことを言うの」

 年上の少年の胸に灯る熱い恋情を思い知り、性の扉を開かれた、あの口づけを忘れるわけがない。
 小さく詰ると、一洋は押し黙り、沈黙がその場を満たした。閑静な住宅街には、新年だからと騒ぐ輩もなく、部屋の中も外も静まり返っている。

(……鼓動が聞こえてしまいそうだ)

 王を殺すために寝所へ忍んでいったマクベスも、こうして耳が痛くなるような静寂に耐えたのだろうか。
 男の顔を見ていられず、つい目を逸らした志貴の頬に、熱い吐息が触れた。見上げると、身を屈めた一洋が、あの日のように硬く、思い詰めた顔をしている。

「お前は……俺を愛してるわけじゃないだろう……?」

 掠れた声の問いに、答られるはずがない。不誠実な言葉など。
 志貴はただ望みを口にした。

「兄さんにも欲しがってほしいんだ、僕を」

 二人に必要なのは、恋慕の情ではない。互いを縛る執着とその手段だ。一洋の一途な恋情は永遠に穢されることなく、美しい場所にしまわれて、これまで通り密やかに崇められればいい。
 一方、自身の恋情は、――とうに内なる獣に食われて、純粋さの欠片もない。自嘲を呑み込み、志貴は重ねて言い募った。

「僕なしでは駄目になってほしいんだ」
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