トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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16章※

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(夫の野望を焚きつけた時、マクベス夫人に恐れはなかったのだろうか……)

 栓なきこととわかっていても、つい思い浮かぶのは、数日前テオバルドに擬せられた烈女だ。そして、簒奪者である彼女の夫君も。
 唆されるまま野望を果たしても、手に入れたものの重さに苛まれて眠りを失い、結局はすべてを失ったマクベスは、自分の前に轍を敷いてはいないか――足を抜くには深すぎる轍を。

 迷いを断ち切るように、志貴は瞼を閉じた。
 『マクベス』になぞらえたところで、自分の身勝手さが高尚になるわけでもないのだ。文学的に逃避しても、醜いものは醜い。

 ――きれいは汚い、汚いはきれい

 冒頭で荒野の魔女が言うように、人の人生は、幸いと災い、善と悪が常に変転する、予測不能で定まりのないものだ。しかし彼女たちの言葉は、人の特質には及ばない。きれいはきれい、汚いは汚い。利己的な理由と欲望で、二人の男を自らに縛り付けようとする人間は、不誠実で醜い。
 どのように状況が変わろうとも、その事実は不変だ。

 志貴は今、情を交わしたいと望む相手とは別の男と、関係を深めようとしている。その相手が望むものを知りながら与えず、しかし手綱を手放すつもりもないまま。
 そして目の前の男が真に求めるのは、自分ではないことを知りながら。
 望む男と距離を取らなければならないことと、目の前の男が、絶対に受け入れられることのない想い人の面影を志貴に重ねていることは、今は救いだった。三人の誰もが、真に求めるものを手に入れられない。その不健全な均衡が保たれる限り、二人は志貴に執着し続けるはずだ。

「……今度は僕にも触らせて」

 顔を伏せたまま呟く志貴の後頭部を、一洋は黙って撫でた。
 うっすら首筋が汗ばんでいたせいで、気づかれてしまっただろう。いつになく、志貴が緊張していることを。そして傍らの男の体温と匂いに、志貴の体が『薬』を求め、ゆるやかに高まりつつあることを。

「その前に、お前を満足させてやらないとな」

 誘惑に満ちた囁きに、体の内に小さな官能の灯火が灯る。今は小さくても、いずれ志貴を焼き尽くす業火となる種火だ。
 誘われ導かれた寝室で、求められるままに全裸となった志貴は、しどけなくベッドに横たわった。つんと尖り色づいた乳首も、今はまだ力ない陰茎も、その奥の穴も見えるように、膝を立ててゆるく脚を開く。男が望むままに視線で嬲り、触れて味わえる形だ。

 一洋はかつて一度だけ自身を慰めることを志貴に許したが、それ以外の『薬』の時間は、あくまで志貴の快楽を目的としていた。その痴態で昂ることはあっても、欲望を果たす道具として扱うことはなかった。
 むしろ、そうすることを忌避しているようだった。自分だけが絶頂を得ることを申し訳なく思った志貴が、お返しの意味も込めて猛った一洋のものに触れようとすると、穏やかに、しかしきっぱりと制止された。
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