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16章※
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わずかな意地すらも挫かれ、残ったのは、断ち切ろうとしていた甘えと依存だった。以前よりも濃密さを増したそれを、一洋は求めている。求められるものを与え、望むものを手にできるなら、そうしない理由がどこにあるというのか。
――交尾した雄を食らう雌は、多分今のあんたみたいな目をしてる。
別の男の言葉が不意に頭に浮かんだが、もうかまわなかった。
妖婦のようだと言われてもいい。必要とする男たちが側にいて、強く志貴を求め続けるなら。――一人は岩のように揺るぎない執着で、一人はこの国の太陽のような情熱で。
「来る途中、屋台で葡萄を買ってきた。後で食おう」
久しぶりの和食は懐かしい一洋の味で、身も心も志貴を満たした。
そのせいか、居間に移動して、促されるまま一洋の隣に腰掛け肩を抱かれても、拒む気にはなれなかった。性欲も食欲も管理されているのに、形ばかりの自己主張をすることの無意味を悟ったからだ。
「そういえば、大晦日だったね」
「去年は知らなかったから用意もしなかったが、今年は「十二粒の葡萄』やってみようと思ってな」
この国では、大晦日に広場に繰り出し、新年を告げる十二の鐘に合わせて十二粒の葡萄を食べ、新しい年の十二の月の幸運を祈る風習がある。マドリードでは太陽の門が有名で、新年を迎える瞬間をともに祝うために、大勢の人が葡萄を持って集まるのだ。
十二の鐘は、三秒毎に鳴らされる。この時期に手に入るのは種のたっぷり入った白葡萄で、その種と皮を吐き出しながら鐘が鳴り終わるまでに食べ終えるのは、簡単なようで至難の業だ。
その難しい挑戦を、家族や恋人、友人たちと楽しみながら賑やかに新年の訪れを待つのが、この国の大晦日の定番だった。そして、そんな朗らかで健全な時間から遠く隔たった場所に、一洋と志貴は辿り着いてしまった。
「ベッドで食べるつもり? 行儀が悪いね、兄さん」
「お前は性悪だから、ちょうどいい」
あともう少ししたら、『薬』の時間が再開される。新年を迎える深夜、二人が行儀よく服を着て、居間のソファにいるはずがない。
からかうようにほのめかす志貴に、余裕めいた笑みを浮かべた一洋が頬を撫でてくる。
「そんな清廉そうな顔をして、男を誘うようになるとはな」
「兄さんが、そうしたくせに……」
睫毛を伏せて、大きな手に頬を寄せる。肩を抱く手に力がこもり、強く引き寄せられた。
「随分積極的だ。そんなに、寂しかったのか」
「違うよ。ただ、うれしくて――」
――怖いだけ
逞しい胸元に額を預けながら、その言葉を志貴は静かに呑み込んだ。
欲しいものを手に入れるのを、もうためらうことはしない。ただ、手に入れようとするものの大きさを知るだけに、怖いのだ。
手に入れたら押し潰されるのではないか。
失ったら立ち上がれないのではないか。
それほどのものを、志貴は望んでいる。一洋もテオバルドも、戦時下のスペインという、緊迫した限定的な条件での一時的な関係に過ぎないというのに。
――交尾した雄を食らう雌は、多分今のあんたみたいな目をしてる。
別の男の言葉が不意に頭に浮かんだが、もうかまわなかった。
妖婦のようだと言われてもいい。必要とする男たちが側にいて、強く志貴を求め続けるなら。――一人は岩のように揺るぎない執着で、一人はこの国の太陽のような情熱で。
「来る途中、屋台で葡萄を買ってきた。後で食おう」
久しぶりの和食は懐かしい一洋の味で、身も心も志貴を満たした。
そのせいか、居間に移動して、促されるまま一洋の隣に腰掛け肩を抱かれても、拒む気にはなれなかった。性欲も食欲も管理されているのに、形ばかりの自己主張をすることの無意味を悟ったからだ。
「そういえば、大晦日だったね」
「去年は知らなかったから用意もしなかったが、今年は「十二粒の葡萄』やってみようと思ってな」
この国では、大晦日に広場に繰り出し、新年を告げる十二の鐘に合わせて十二粒の葡萄を食べ、新しい年の十二の月の幸運を祈る風習がある。マドリードでは太陽の門が有名で、新年を迎える瞬間をともに祝うために、大勢の人が葡萄を持って集まるのだ。
十二の鐘は、三秒毎に鳴らされる。この時期に手に入るのは種のたっぷり入った白葡萄で、その種と皮を吐き出しながら鐘が鳴り終わるまでに食べ終えるのは、簡単なようで至難の業だ。
その難しい挑戦を、家族や恋人、友人たちと楽しみながら賑やかに新年の訪れを待つのが、この国の大晦日の定番だった。そして、そんな朗らかで健全な時間から遠く隔たった場所に、一洋と志貴は辿り着いてしまった。
「ベッドで食べるつもり? 行儀が悪いね、兄さん」
「お前は性悪だから、ちょうどいい」
あともう少ししたら、『薬』の時間が再開される。新年を迎える深夜、二人が行儀よく服を着て、居間のソファにいるはずがない。
からかうようにほのめかす志貴に、余裕めいた笑みを浮かべた一洋が頬を撫でてくる。
「そんな清廉そうな顔をして、男を誘うようになるとはな」
「兄さんが、そうしたくせに……」
睫毛を伏せて、大きな手に頬を寄せる。肩を抱く手に力がこもり、強く引き寄せられた。
「随分積極的だ。そんなに、寂しかったのか」
「違うよ。ただ、うれしくて――」
――怖いだけ
逞しい胸元に額を預けながら、その言葉を志貴は静かに呑み込んだ。
欲しいものを手に入れるのを、もうためらうことはしない。ただ、手に入れようとするものの大きさを知るだけに、怖いのだ。
手に入れたら押し潰されるのではないか。
失ったら立ち上がれないのではないか。
それほどのものを、志貴は望んでいる。一洋もテオバルドも、戦時下のスペインという、緊迫した限定的な条件での一時的な関係に過ぎないというのに。
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