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15章※
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イギリス空中戦から中途半端に手を引いて攻め込んだソ連には押し返され、枢軸国の一角であったイタリアは降伏し、残存したイタリア王国軍は枢軸国に宣戦布告している。枢軸国が勝利することは誰の目にも不可能な状況下でも、ベルリンと本国の目は盲いて、見たいものしか見ない。
ならば、終戦を可能な限り近い未来に引き寄せ、被害を最小限に抑えるのが目の開いた者の務めだ。非公式の歓談や酒の席で、一洋は本国を説得する際の同志となり得る外交官や将校が誰なのか、見極めて回る旅に出たのだ。
「形式張った報告書の文字と、肌感覚の、口から出る言葉では、伝わるものが違う。非公式なら、報告書に書けないことも口に出るしな。まあ、中立国に赴任していても意固地なドイツ贔屓はいるから、全部が全部、状況を正しく把握しているわけじゃなかったが……」
ドイツを出てスウェーデンに向かう時、「英米の雑音を聞きに行くつもりか」とあからさまに毒づく武官もいたという。それは裏返せば、ナチスに飼い慣らされたドイツ贔屓であろうとも、戦況が逼迫していることは認識しており、ただそれを認められずにいるということだ。
本来の任務を忘れ足を使った情報収集を怠り、ナチスの広報に成り果てるなど、一体何のための駐在武官か――。一洋が抱いた痛憤は、いかばかりだっただろう。
「所詮人ってやつは、信じたいことしか信じない生き物なのかもしれんな」
そう言ってため息をつく一洋は、しかし自ら行動し、確実に何人かの同志を得て戻った。
在スペイン海軍武官府の長である一洋をはじめ、各国の海軍武官は、海軍大臣、軍令部総長へ直接公電を打てる立場にある。三本の矢の例えのように、一人では聞き流される報告も、何人もが同時に送れば目に付き、ただ無視するには不都合が生じる。量としての強度が増し、取り紛れて見落としたという言い訳ができなくなるからだ。
三ヵ月にも及ぶ一洋の出張は、いずれ始まるであろう終戦工作の足場固めだった。その間志貴は、アスター家という後ろ盾を得ながら、何も進めることはなかった。和平工作に関してしたことと言えば、毎週末のジェイムズとの食事、そしてただ一洋の帰りを待つことだけだったのだ。
「黙って長らく留守にしたのはすまなかった。話が洩れると横槍が入りそうで、河本にも現地から移動直前に連絡して、一切の口外を禁じていたんだ。奴を連れて行かなかったのも、身軽に動きたかったからだ」
海軍武官輔佐官である河本少佐は、志貴の問い合わせに対し、いつも困ったように「今日は戻られる予定はありません」と電話口で答えていた。事務的な応対で十分なところを、その声にはどことなく詫びるような調子があった。たびたび電話してくる志貴を、親しい兄貴分を心配する幼馴染と見て、安心する言葉を掛けられないことを申し訳なく思っていたのかもしれない。
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