トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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14章

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 顔を傾け、口づけで志貴を支配していた男は、唇を離すと、志貴の頬を手のひらで包んだ。

「言えよ、何がそんなに気になる」
「……君は、欧州の情報も取っているのか」
「俺は有能だが万能じゃない。今は桐機関の仕事で手一杯だ。――何か探ってほしいことがあるのか」
「聞いてみただけだ、気にしないでくれ」
「衛藤の行方か」

 思わず目を見開いてしまったことで、言い当てられた動揺を隠すことに失敗したのは明らかだった。穏やかなテオバルドの眼差しに、責める気配はない。居たたまれず、志貴は睫を伏せた。
 テオバルドに対する内なる獣の欲望で、一洋の不在への焦燥を束の間忘れる。そして手に入れたテオバルドの欲望を操り、一洋の行方を探ろうとする。

(……反吐が出そうだ)

 自らの浅ましさを唾棄するだけではない。もし一洋がUボートで航行中なら、その事実を、二重スパイかもしれない男に知られるわけにはいかない。
 日本の海軍将校を乗せたドイツのUボートが航行中だと連合国に知られたら、その航路に厚く兵力を展開するはずだ。通商破壊のために民間船でも攻撃される情勢下で、将校を乗せた艦を逃すわけがない。危険を冒して帰国を強行する――軍事技術や物資、そして情報を携えているに違いないからだ。
 自分の心弱さで、わずかでも一洋を危険に晒すことは絶対にできない。不用意な自分への嫌悪に苛まれながら、志貴は何事もないように取り繕う。

「確かに行き先は知らないけど、いつものことだから」

 一洋は、自身に情報士官の適性を認めながらも、後方支援であることに負い目を感じていた。
 本隊から離れ独自に情報収集する能力や、社交界などに参加しての外交能力は、誰もが持ち得るものではない。志貴が何度そう言い重ねても、敬愛する山本提督の戦死以降、一洋の実戦を希求する傾向は強くなった。前線で戦えないもどかしさは、別の形で国防の最前線に立つ駐在武官であっても、常について回る持病のようなものだと、一洋はやるせなさそうに笑っていた。
 国に帰れば、希望していた海上勤務に就けるかもしれない。一洋が危険を承知で帰国の途についているのなら、志貴はそれを喜ぶべきだった。たった一人で、イギリスを相手にした和平工作に挑まなければならない重圧と不安に、押し潰されることになったとしても。

「探らなくて、いいんだな」
「いい。……ありがとう」

 テオバルドの肩に額を預け、志貴は呟いた。これ以上、顔を見られたくなかった。
 自分でもどんな表情を浮かべているのかわからない、魔女の釜の底のような、欲と不安定な感情が蠢く獣の顔を。
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