トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

文字の大きさ
上 下
162 / 237
14章

4

しおりを挟む
 しかし、ドイツは大西洋からヨーロッパの制海権をほぼ失いつつあり、日本が制海権を握るインド洋以東のアジア海域も、連合国による通商破壊の戦果がラジオや新聞で取り上げられるようになっている。海路も決して安全ではないのだ。
 むしろ連合国側が有効な探知機を持っていれば、速度が低く、強力な護衛のつく水上艦との戦闘では不利と言われる潜水艦は、ただ狩られるだけの獲物となってしまう。
 そしてその行動が極秘事項である以上、もし撃沈されたとしても、枢軸国からその事実は――乗員名簿も含め、公にされることはないだろう。

「どうした、顔色が悪い」

 突然声を掛けられ、志貴はびくりと顔を上げた。扉口から、テオバルドが様子を窺っている。

「会いたくない奴に会った、という顔をしてるぞ」
「そんなこと……」
「その分だと昼飯もまだなんだろ、まずは食えよ」

 目の前に突き出されたサンドウィッチボカディージョを、戸惑いながら志貴は受け取った。ノックの音がして、公使館付きの女中が飲み物を運んでくる。一等書記官室に顔を出す前に、厨房に寄って頼んできたらしい。すっかり公使館に馴染んでいるとはいえ、図々しい男だ。

「――君はノックをしたのか」
「気づきもしなかったくせに、むくれながらそんなことを言うのか。可愛いだけだから、強がるのはやめておけ」

 志貴は黙ったまま、ボカディージョにかぶりついた。
 小さなフランスパンを横半分に切った断面にオリーブ油を塗り、ハムとチーズを挟んだだけのシンプルなものだったが、黒木から聞いた話が胸につかえたままの志貴には持て余す量だ。それでも食べないとあらゆる方面から食生活に口出しされるため、ぼそぼそと齧っていると、向かいに座ったテオバルドがじっと見つめてくる。

「――何?」
「あんたにそんな顔をさせるのは、どんなことかと考えてる」

 自身も豪快にボカディージョを頬張りながら、テオバルドが言う。

「思ってることが意外に顔に出るな、志貴。心を許した相手にはガードも甘くなるのか」
「……心を許してなど」
「許してるだろ」

 ちょいちょいと手招きされ、何事かと訝りながらテーブルの上に身を乗り出した志貴の唇を、テオバルドは素早く奪う。触れ合うだけの軽い口づけだったが、志貴は慌てて身を離した。

「食事中に何をするんだっ」
「食事中だからこんなもので済ませたんだろ。後でたっぷり、な」

 図々しい駄犬は悪びれることなく、艶めいた眼差しを送ってくる。志貴は即座に瞬きで床にはたき落とした。
 食べているのに信じられない、と睨みつけたが、テオバルドは逆に目元を緩める。その甘い微笑みに気まずくなり、志貴はつんと顔を逸らした。志貴の異変を察知し、気持ちをほぐすためにあんなことをしたのだと気づいたからだ。

 日常的に口づけを交わす関係になり、テオバルドの気遣いやまめまめしさは際立つようになっていた。恋人であれば、かなり誠実な部類に入るだろう。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

処理中です...