150 / 237
13章
2
しおりを挟む
逃げも隠れもしないジェイムズの堂々とした態度と、アスター家の人間が矢嶋周の息子を気に掛ける特殊な背景が広く知られているせいで、今のところ苦情や嫌がらせは受けていないが、二人の交流は普通なら考えられないことだ。これだけ頻繁に堂々と、しかも連合国の外交官が枢軸国の外交官を訪ねるのだから、苦情や忠告はなくても、あらゆる憶測は飛び交っていそうだった。
実際、いくつか志貴の耳にも入っている。日本が降伏する際の条件から、――志貴のイギリス亡命の密約まで。
馬鹿馬鹿しい、の一言で斬って捨てる憶測だ。母も子も置いて母国を裏切り、一人逃げるなどあり得ない。
またアスター家の人間も、志貴の名誉と自尊心を傷つけるような提案をする人たちではない。だからこそ話があるなら、同盟国イタリアが降伏した現状と、ナヴァス元外相の言葉もあり、講和に関する根回しであればよいと願っていたのだ。
志貴は梶とは違い勅任官でなく、任地において母国を代表する立場にはない。また特命全権公使であっても、外交政策を左右する交渉を勝手に行うことはできない。
軍部が強い発言力を持ち、本来であれば管轄外の外交政策にまで口出ししている国内の状況では、建設的な早期講和など夢のまた夢だ。だからこそ、中立国での外交の裏ルートが意味を持つ、と志貴は考えていた。ここには圧力を掛けてくる軍部も、日和見主義で先の読めない外務官僚もいない。
ただし二元外交とならないように、初めの根回しは独断であっても、それ以降は公使である梶を巻き込み、本国を説得してもらわねばならない。そこに話を持っていくまでに、説得材料の確度をどこまで高めておけるのか。それが早期講和の成否を左右する。
もし事が成り、無駄に国力を削るだけの戦争が終わるなら、事後に越権行為を罪に問われても構わない。一部の強硬派からは国賊と罵られ、母と息子につらい思いをさせるかもしれない。
それでもバックチャンネルは、外交官として確保しておきたい手段であり、存命であれば父も同じ道を選ぶに違いなかった。それほど、母国を取り巻く状況は絶望的だった。
覚悟を決め、ジェイムズの訪問を受け入れて、早一ヵ月。毎週末聞かされるのは、ガルシア夫人への賛辞と、どこまでも手前勝手なジェイムズ節のみだ。当初は気負って食事の味もわからなかったが、こうも呑気な会話ばかりを続けていると、いい加減慣れが生じてくる。
そして、一つの憶測も。
ボールが投げられるのを待っているのは、志貴ではなく、ジェイムズの方なのではないか。日本からイギリスへ――連合国へ講和を申し出るのが、この戦争の敗戦国のマナーということなのか、と。
それ以前の戦争では、キリのいいところまで戦い、戦局の行方が確定的になったら、第三国に仲介を頼むなどして講和会議に持ち込むのが通例だった。対戦国同士が綿密に話し合い、互いに条件を決めて手打ちをするのだ。
実際、いくつか志貴の耳にも入っている。日本が降伏する際の条件から、――志貴のイギリス亡命の密約まで。
馬鹿馬鹿しい、の一言で斬って捨てる憶測だ。母も子も置いて母国を裏切り、一人逃げるなどあり得ない。
またアスター家の人間も、志貴の名誉と自尊心を傷つけるような提案をする人たちではない。だからこそ話があるなら、同盟国イタリアが降伏した現状と、ナヴァス元外相の言葉もあり、講和に関する根回しであればよいと願っていたのだ。
志貴は梶とは違い勅任官でなく、任地において母国を代表する立場にはない。また特命全権公使であっても、外交政策を左右する交渉を勝手に行うことはできない。
軍部が強い発言力を持ち、本来であれば管轄外の外交政策にまで口出ししている国内の状況では、建設的な早期講和など夢のまた夢だ。だからこそ、中立国での外交の裏ルートが意味を持つ、と志貴は考えていた。ここには圧力を掛けてくる軍部も、日和見主義で先の読めない外務官僚もいない。
ただし二元外交とならないように、初めの根回しは独断であっても、それ以降は公使である梶を巻き込み、本国を説得してもらわねばならない。そこに話を持っていくまでに、説得材料の確度をどこまで高めておけるのか。それが早期講和の成否を左右する。
もし事が成り、無駄に国力を削るだけの戦争が終わるなら、事後に越権行為を罪に問われても構わない。一部の強硬派からは国賊と罵られ、母と息子につらい思いをさせるかもしれない。
それでもバックチャンネルは、外交官として確保しておきたい手段であり、存命であれば父も同じ道を選ぶに違いなかった。それほど、母国を取り巻く状況は絶望的だった。
覚悟を決め、ジェイムズの訪問を受け入れて、早一ヵ月。毎週末聞かされるのは、ガルシア夫人への賛辞と、どこまでも手前勝手なジェイムズ節のみだ。当初は気負って食事の味もわからなかったが、こうも呑気な会話ばかりを続けていると、いい加減慣れが生じてくる。
そして、一つの憶測も。
ボールが投げられるのを待っているのは、志貴ではなく、ジェイムズの方なのではないか。日本からイギリスへ――連合国へ講和を申し出るのが、この戦争の敗戦国のマナーということなのか、と。
それ以前の戦争では、キリのいいところまで戦い、戦局の行方が確定的になったら、第三国に仲介を頼むなどして講和会議に持ち込むのが通例だった。対戦国同士が綿密に話し合い、互いに条件を決めて手打ちをするのだ。
20
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。



久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。


【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる