トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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13章

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 逃げも隠れもしないジェイムズの堂々とした態度と、アスター家の人間が矢嶋周の息子を気に掛ける特殊な背景が広く知られているせいで、今のところ苦情や嫌がらせは受けていないが、二人の交流は普通なら考えられないことだ。これだけ頻繁に堂々と、しかも連合国の外交官が枢軸国の外交官を訪ねるのだから、苦情や忠告はなくても、あらゆる憶測は飛び交っていそうだった。
 実際、いくつか志貴の耳にも入っている。日本が降伏する際の条件から、――志貴のイギリス亡命の密約まで。

 馬鹿馬鹿しい、の一言で斬って捨てる憶測だ。母も子も置いて母国を裏切り、一人逃げるなどあり得ない。
 またアスター家の人間も、志貴の名誉と自尊心を傷つけるような提案をする人たちではない。だからこそ話があるなら、同盟国イタリアが降伏した現状と、ナヴァス元外相の言葉もあり、講和に関する根回しであればよいと願っていたのだ。

 志貴は梶とは違い勅任官でなく、任地において母国を代表する立場にはない。また特命全権公使であっても、外交政策を左右する交渉を勝手に行うことはできない。
 軍部が強い発言力を持ち、本来であれば管轄外の外交政策にまで口出ししている国内の状況では、建設的な早期講和など夢のまた夢だ。だからこそ、中立国での外交の裏ルートバックチャンネルが意味を持つ、と志貴は考えていた。ここには圧力を掛けてくる軍部も、日和見主義で先の読めない外務官僚もいない。
 ただし二元外交とならないように、初めの根回しは独断であっても、それ以降は公使である梶を巻き込み、本国を説得してもらわねばならない。そこに話を持っていくまでに、説得材料の確度をどこまで高めておけるのか。それが早期講和の成否を左右する。

 もし事が成り、無駄に国力を削るだけの戦争が終わるなら、事後に越権行為を罪に問われても構わない。一部の強硬派からは国賊と罵られ、母と息子につらい思いをさせるかもしれない。
 それでもバックチャンネルは、外交官として確保しておきたい手段ツールであり、存命であれば父も同じ道を選ぶに違いなかった。それほど、母国を取り巻く状況は絶望的だった。

 覚悟を決め、ジェイムズの訪問を受け入れて、早一ヵ月。毎週末聞かされるのは、ガルシア夫人への賛辞と、どこまでも手前勝手なジェイムズ節のみだ。当初は気負って食事の味もわからなかったが、こうも呑気な会話ばかりを続けていると、いい加減慣れが生じてくる。
 そして、一つの憶測も。

 ボールが投げられるのを待っているのは、志貴ではなく、ジェイムズの方なのではないか。日本からイギリスへ――連合国へ講和を申し出るのが、の敗戦国のマナーということなのか、と。

 それ以前の戦争では、キリのいいところまで戦い、戦局の行方が確定的になったら、第三国に仲介を頼むなどして講和会議に持ち込むのが通例だった。対戦国同士が綿密に話し合い、互いに条件を決めて手打ちをするのだ。
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