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12章
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まだ若い彼女が、残された人生を長い余生として過ごすのは、強い愛情の一つの形と言えるかもしれない。
大切な人との過去に殉じるその強さは、方向は異なるがよく似ている。突然の事故で愛する夫を失っても、その遺志を継ぐ息子に進むべき道を示し、自らも毅然と前を向く君子と。
「――ほんの少し話しただけで、随分ピラールをわかってるような言い方だ」
「気に障ったなら、すまない」
「障りはしないが、気に食わないな。ピラールに関心があるみたいで。あんたにその気はないとわかっていても、――妬ける」
凄惨な過去を話した直後に、こうして色気を含ませた視線を送ってくるから、この男は信用がならない。それに、テオバルドが自分に執着を見せる理由の一端を垣間見た以上、志貴は彼をこれまでのように近づけるつもりはなかった。
桐組織のリーダーと、本国との連絡係。二人の関係は、これだけでいい。飼い犬など要らない。
そう思うのに、胸にわだかまる不快感が、余計な一言を唇から押し出した。
「……彼女は、君は手が早いと言っていた。気をつけて、と」
「あいつ……! 何の恨みがあって人の恋路の邪魔を」
何の感情の起伏もなく、よくある世間話のように自身の過去を語っていた男は、ここで初めて声を荒げた。
「君は、彼女の兄に憧れていたと言っていた。……同じ思想を抱いた、強く美しいあの女にも、憧れたんじゃないのか」
テオバルドの昔語りに、ピラールとの関係は含まれていなかった。志貴が訊ねたのは、プリモ・デ・リベーラ兄妹との関係にもかかわらず。
終わった愛の話など、今更他人にしたくないのは理解できる。それでも、これまで嘘をつかれていたこと、そのせいで自分らしくない乱調を来していることは腹立たしく、抑えつつも問い質す口調になってしまうのを、志貴は止められなかった。
その様子に、テオバルドが珍しく目を丸くする。
「――あんた、本当に嫉妬しているのか」
問い返す小麦色の色男は、本気でうれしそうだ。そのだらしない笑顔すらも様になっているのがまた苛立たしく、志貴は視界に入るものすべてを薙ぎ倒す勢いで視線を逸らした。
「してない。ただ、君をテオと呼ぶ理由はなくなったと思っただけだ」
「どうしてそうなる」
「もう呼ぶ人がいないから、そう呼んでほしかったんだろう。でもそれは嘘で、あの女がいる。だから、私はもう君をそう呼ばない」
「じゃあ何と呼ぶんだ」
「以前のように名前で呼ぶよ」
そう言った途端、テオバルドの顔から締まりのない笑みが消えた。
「……そうしたら何をされるか、わかっていて呼ぶのか」
「愛称ではなく、正式な名前で呼ぶんだ。むしろ礼義に適っているはずだ。何の問題があるんだ、――テオバルド?」
それは、曖昧になっていた二人の境界線を明確にして、距離を置くという宣言のはずだった。
しかし男はそうは取らず、一瞬黙り込むと、探るように志貴を見つめた。
大切な人との過去に殉じるその強さは、方向は異なるがよく似ている。突然の事故で愛する夫を失っても、その遺志を継ぐ息子に進むべき道を示し、自らも毅然と前を向く君子と。
「――ほんの少し話しただけで、随分ピラールをわかってるような言い方だ」
「気に障ったなら、すまない」
「障りはしないが、気に食わないな。ピラールに関心があるみたいで。あんたにその気はないとわかっていても、――妬ける」
凄惨な過去を話した直後に、こうして色気を含ませた視線を送ってくるから、この男は信用がならない。それに、テオバルドが自分に執着を見せる理由の一端を垣間見た以上、志貴は彼をこれまでのように近づけるつもりはなかった。
桐組織のリーダーと、本国との連絡係。二人の関係は、これだけでいい。飼い犬など要らない。
そう思うのに、胸にわだかまる不快感が、余計な一言を唇から押し出した。
「……彼女は、君は手が早いと言っていた。気をつけて、と」
「あいつ……! 何の恨みがあって人の恋路の邪魔を」
何の感情の起伏もなく、よくある世間話のように自身の過去を語っていた男は、ここで初めて声を荒げた。
「君は、彼女の兄に憧れていたと言っていた。……同じ思想を抱いた、強く美しいあの女にも、憧れたんじゃないのか」
テオバルドの昔語りに、ピラールとの関係は含まれていなかった。志貴が訊ねたのは、プリモ・デ・リベーラ兄妹との関係にもかかわらず。
終わった愛の話など、今更他人にしたくないのは理解できる。それでも、これまで嘘をつかれていたこと、そのせいで自分らしくない乱調を来していることは腹立たしく、抑えつつも問い質す口調になってしまうのを、志貴は止められなかった。
その様子に、テオバルドが珍しく目を丸くする。
「――あんた、本当に嫉妬しているのか」
問い返す小麦色の色男は、本気でうれしそうだ。そのだらしない笑顔すらも様になっているのがまた苛立たしく、志貴は視界に入るものすべてを薙ぎ倒す勢いで視線を逸らした。
「してない。ただ、君をテオと呼ぶ理由はなくなったと思っただけだ」
「どうしてそうなる」
「もう呼ぶ人がいないから、そう呼んでほしかったんだろう。でもそれは嘘で、あの女がいる。だから、私はもう君をそう呼ばない」
「じゃあ何と呼ぶんだ」
「以前のように名前で呼ぶよ」
そう言った途端、テオバルドの顔から締まりのない笑みが消えた。
「……そうしたら何をされるか、わかっていて呼ぶのか」
「愛称ではなく、正式な名前で呼ぶんだ。むしろ礼義に適っているはずだ。何の問題があるんだ、――テオバルド?」
それは、曖昧になっていた二人の境界線を明確にして、距離を置くという宣言のはずだった。
しかし男はそうは取らず、一瞬黙り込むと、探るように志貴を見つめた。
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