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12章
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そんな彼を救ったのが、ファランヘ党の書記長に納まったフェデリコ・ナヴァス内相――のちの外相だった。彼は敵地に潜入し情報を収集することに長けたテオバルドの能力を高く評価しており、助命する代わりに情報部へ所属させた。そして専門機関で訓練を受けさせたのち、自国の諜報員としてイギリスに送ったのだ。
「あとはあんたも知っての通り。任地がどこであろうと、俺は祖国にいたくなかった。大切な人が一人もいないのに、祖国の名を持つ土地には。――ホセ・アントニオの理想を歪めて、その名を使おうとする奴が牛耳る国には」
すべてを失い、さらに内戦時は反共和国という立場で同じ陣営だった勢力に、駄目押しのように殺されかける。その過酷な体験は、ホセ・アントニオの遺したものを守るために、虚ろな日々から立ち上がる力を掻き集めたテオバルドにとどめを刺したのだろう。
おそらくその時、彼は一度死んだのだ。人を信じ国を思い行動する、情熱の器としてのテオバルドという人間は。
「――…それで君は、ロンドンに行ったのか」
「文字通り、渡りに船だった。ロンドンの不味い飯も、刑務所の臭い飯に比べたらずいぶんマシだし、劇場通いもできる。何も考えず、頭を空っぽにして生きていける。スパイという仕事には記者の経験が活かせたし、純粋に面白かったから、続けてもいいと思えた。フェデリコの紐付きなのが気に食わなくて、独立し請け負う形になったが、それでも諜報員をやめようとは思わないのは、性に合ってるんだろうな。何の情熱も政治信条も必要ない、冷めたこの仕事が」
その瞳にどす黒い闇を宿したまま、冷めた仕事に従事する。使命も大義名分もなく、ただ金のために――頭を空っぽにして、ひととき過去を忘れるために。
同じ桐組織の一員なのに、テオバルドはこれほど隔たっている。祖国のために遠いスペインの地へ赴き、愛国の名の下に献身する梶と志貴とは。
「俺が――ホセ・アントニオが夢見た国は、地獄の釜の中にあった。今も煮え滾る釜の中で、ほんの一部が甘い汁を吸い、大多数はその日を生きるのに精一杯。内戦中に共和国を支持したことを隠し、怯えながら暮らす奴もいる。これが俺たちの夢の結末だ」
共に見た夢の果てに、一人は無残にその命を絶たれ、一人は深い絶望を煮詰めた虚無をその目に宿し、その後の人生を生きている。かつて抱いた愛国心が強く崇高だった分、その残骸は重く冷え固まり、テオバルドの影に潜む重石となっているのだろう。
もう何事にも心を動かされることのないように自ら背負う、戒めの十字架のように。
「……セニョール・ナヴァスは、君の命の恩人だったんだな」
「気に食わない理論屋の策略家だが、まあそうだ。そもそもあいつは、政治信条は違っていたがホセ・アントニオの学生時代からの親友で、俺も面識はあった。内戦後、何度かフランコの暗殺を考えたが、そのたびにフェデリコに止められたな。あいつには、都合三回は命を救われてる。……お節介な奴だ」
「あとはあんたも知っての通り。任地がどこであろうと、俺は祖国にいたくなかった。大切な人が一人もいないのに、祖国の名を持つ土地には。――ホセ・アントニオの理想を歪めて、その名を使おうとする奴が牛耳る国には」
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