トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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12章

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「俺の私怨は、誰もが持つ私怨だった。それも、親兄弟にまで細分化された、身近な敵に対する私怨だった。――こうしてこの国は粉々に引き千切られ、分断された。あんたも知っての通り、今も続く戒厳令は、すっかりこの国の日常だ。どんな法律も、軍部の決定を前にその機能を停止する。裁判も意味がなくなるこの国に、正義なんてどこにもない」

 正義はなくても、テオバルドに、他に行くところはなかった。多くの血を吸い、今もまだ粛清の血に浸かるこの国以外、どこにも。
 反対勢力を徹底的に弾圧する方法で国をまとめようとする新たな権力者は、ホセ・アントニオを殺した共和国への復讐装置とも言える。しかしその粗暴なやり方は、最後まで暴力を禁じたホセ・アントニオとは正反対であり、テオバルドに嫌悪と侮蔑以外の何物も抱かせなかった。
 その権力者――反乱軍のリーダー・フランコ将軍とは、多少の縁があった。内戦中、危険を省みず共和国支配地域に潜入し、その非道を糾弾する記事を書き続けた記者として、彼の目に留まることになったのだ。テオバルドは当時もこの軍人に何のシンパシーも抱いていなかったが、利用価値は認めていた。反乱軍の大物の知遇を得れば、取材での便宜を取り計らってもらえるからだ。
 そうしてカメラとペンを手に戦場を駆け、若手ながらも機動力のある記者として名を揚げ――それだけを成果として、テオバルドの内戦は終わった。フランコ将軍との縁も、それで切れるはずだった。

 共和国政府が亡命し、家族も敬愛する友も多くの仲間も、そして自らが所属した陣営の正義も最早ない。ただ今日の糧と寝る場所のためだけに、テオバルドは新聞社勤めを続けた。
 ホセ・アントニオを失ったファランヘ党は、一部が過激化した結果、党としての統制を失っており、かつてのそれとは似て非なるものになっていた。積極的に関わる気にはなれず、彼の思想を純粋に受け継ぐ一部の党員以外との接触も断ち、テオバルドは惰性で日々を過ごすようになる。この先、高い志など二度と抱くことはあるまいという漫然とした確信と喪失感、そして底なし沼のような虚無が、すべての感情を塗り潰した。

 しかし時代は、テオバルドに惰性で生きることを許さなかった。
 戦後の国政運営にあたり、軍部にしか支持基盤のないフランコ将軍は、ホセ・アントニオの名声とファランヘ党を利用しようと画策する。

「それでもファランヘが、そのまま政権政党になるならよかった。戦勝者の道具になったとしても、ホセ・アントニオの遺志が受け継がれるなら。だが、そうはならなかった。フランコは、意のままになる単一政党が欲しいだけだっだ。だから使い勝手をよくするために、自分の手駒を書記長として送り込み、政治信条の異なる他の保守勢力と無理矢理合併させた。俺はそれが我慢ならなかった」

 他のホセ・アントニオの信奉者と共に、テオバルドは政党統一令に鋭く反対し、イデオロギー的欺瞞を記事に書き立て激しく批判した。その舌鋒が独裁者の逆鱗に触れ、テオバルドは投獄され死刑宣告を受けてしまう。
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