トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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11章

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「あんたが知らんふりをするなら、すべて知っているはずの『パパ』に言っておけ。――戦争は、人間にすべてを捨てさせる。勝つためなら、女子供の頭上から爆弾を落とすこともためらわない。自分が既にやったことを、アメリカがやらないとどうして思えるんだ、と」

 露骨な警告だった。テオバルドは、連合国による本土無差別爆撃を示唆している。
 かつて、その非人道的行為を人類史上初めて実行したのは、この国の支配者が手を組んだドイツ空軍であり――攻撃を許可したのが誰なのかは闇の中だ――、それに続いたのは重慶爆撃を行った志貴の母国だった。そして前者の惨劇は、一人の天才によって白と黒で描写され、その惨劇の地の名で、沈黙の内に非道を糾弾したのだ。

「……ゲルニカ」
「知っているのか」

 志貴はじろりとテオバルドを睨んだ。
 外交官として赴任するのに、その国の文化や歴史、社会情勢を学ばずに任地の土を踏む不心得者がいるわけがない。ただ現地語を操るだけでは、その国の人々と交わることはできない。
 自身の職業への自負と誇りを眼差しに乗せた志貴に、腕を掴んだままだったテオバルドの手がようやく緩む。

「イギリスでの研修生時代、視察のお供でパリに行ったんだ」

 パリ万国博覧会に出品された、スペインが生んだ巨匠の最新作は、画家の怒りと挑発が迸るような不気味な大画だった。
 壁画として制作されたため、その大きさから生じる圧倒的な迫力と、画面いっぱいに散りばめられた解釈の定まらないモチーフが、それぞれ見る者を不安にさせる。中でも志貴の目を惹いたのは、『子の屍を抱く女』、『折れた剣を握る倒れた兵士』、そして『太陽』だった。
 『子の屍を抱く女』は、弱き者をも容赦なく飲み込む戦争の本質――残虐性を、『折れた剣を握る倒れた兵士』は、その剣の上に咲く花に、悲劇の中でも失われない小さな希望を感じだが、『太陽』は異色だった。太陽といっても円ではなく、潰れた楕円――目のように見えた。「太陽は神の眼」とする考え方があるが、その瞳は電球として描かれており、人の手に歪められた神の光のようにも思え、ひどく印象的だったのだ。
 この男もあの絵を見たのだろうかと思いながら、志貴はいつもより野生味を感じられる端整な顔を見つめた。

「あの内戦は、国内のイデオロギーの対立に、ソ連とドイツ――共産主義とファシズムの代理戦争が重なったようなものだった。巻き込まれたくなくて、他国はどこも積極的に介入しないし、共産主義よりはファシズムの方がマシと思ってるから、ドイツのやり口にも遠巻きに非難するだけ。あのチョビ髭は喜んだだろうな、大戦を前に実戦で空軍演習ができて」

 第一次世界大戦の敗戦国で、厳しい軍備制限を課せられたドイツは、ヒトラーが政権を掌握してから再軍備のスピードを著しく上げた。
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