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10章 ※
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「この一月のことは、昨日までにすべて片付けたつもりでいたんだがな。志貴といると、色々緩んでしまうようだ」
「……話を聞くことなら、できるよ」
「山本さんを偲ぶのは、もう済ませた。大分年上で階級も上、本来なら親しく言葉を交わせるような人じゃなかったが、同じ海大卒で海外勤務も長いせいか、可愛がってもらった。懐かしいことも、今となっては言いたいことも山ほどあって、腹一杯だ。改めてお前に聞いてもらいたいことは、何もないよ」
「……じゃあ、一つだけ。海軍暗号の安全性について、本国に何か具申した……?」
言えずにいたことを――口にしていいか迷っていたことを、志貴は囁いた。この機を逃せば、もう二度と伝えることはできないと思ったからだ。
「……お前は怖いな。英雄の国葬の間も、そんなことを考えていたのか」
窘めるようだが、責める口調ではない。むしろ諦めたような、疲れのにじむ調子で、一洋は続ける。
「――勿論だ。しかし上は、敵に解読されているとは塵ほども疑ってもいない。一体何の根拠があって、我が方の勢力下にある島の上空で、偶然、たまたま、山本さんの搭乗機が撃墜されたと言えるんだ。……山本さんは偉大な人だったが、それゆえに致命的な負の遺産を作ってしまった。布哇比海戦の劇的な成功が、帝国海軍に驕りという宿痾を植え付けてしまったんだ」
一洋も、同じ焦燥と無力感を抱えている。それがわかったからといって安心できるわけもなく、志貴は内心で呻いた。
母国は、数々の分岐点で、滅びへと至る道を一つ一つ丁寧に選び取っているとしか思えない――。
「……悪いな、結局愚痴ってしまったな」
やるせない調子で囁かれる謝罪が切ない。志貴は一洋に向き直ると、腕を回してその頭を胸元に抱き込んだ。せめて、ここに国の行く末を憂う同胞がいると、その愛国心を分かち合う人間がいると、わかってほしかった。
志貴の行動に、胸元で息を呑む気配がしたが、一洋は動かず、何も言わなかった。薄い上掛けの中、互いの体温が寝間着越しに伝わる。幼馴染である以上に、同じく国を憂う同胞は、志貴にとってこの上なく心強い存在だった。問題は何一つ解決していなくても、少なくとも孤独からは解放される。公には口にできない懸念も、二人で過ごす間は共有できるのだ。
そう思うと、常に胸に蟠っていた焦燥も、少しだけ静まっていく。今夜はいつもより深く眠れそうな気がする。
一洋も、こうしていればそのまま眠りに落ちてくれるだろうか、と後頭部をやさしく撫でた時、志貴は一洋のうなじが汗ばんでいることに気がついた。そして、上掛けの中の温度が、心なしか上がっていることも。
一洋の頭を抱き締めるために枕にずり上がる形になっていた志貴は、身動ぎした拍子に、太腿を硬い何かで押し上げられ――その正体に気づいて硬直した。咄嗟に一洋が身を離し、ベッドから下りようとする。
「すまん、今夜は別々に寝よう」
「駄目だよ。また眠れないまま、朝まで起きてるつもりでしょう」
「疲れ魔羅ってやつだ、抜けばおさまる」
「……話を聞くことなら、できるよ」
「山本さんを偲ぶのは、もう済ませた。大分年上で階級も上、本来なら親しく言葉を交わせるような人じゃなかったが、同じ海大卒で海外勤務も長いせいか、可愛がってもらった。懐かしいことも、今となっては言いたいことも山ほどあって、腹一杯だ。改めてお前に聞いてもらいたいことは、何もないよ」
「……じゃあ、一つだけ。海軍暗号の安全性について、本国に何か具申した……?」
言えずにいたことを――口にしていいか迷っていたことを、志貴は囁いた。この機を逃せば、もう二度と伝えることはできないと思ったからだ。
「……お前は怖いな。英雄の国葬の間も、そんなことを考えていたのか」
窘めるようだが、責める口調ではない。むしろ諦めたような、疲れのにじむ調子で、一洋は続ける。
「――勿論だ。しかし上は、敵に解読されているとは塵ほども疑ってもいない。一体何の根拠があって、我が方の勢力下にある島の上空で、偶然、たまたま、山本さんの搭乗機が撃墜されたと言えるんだ。……山本さんは偉大な人だったが、それゆえに致命的な負の遺産を作ってしまった。布哇比海戦の劇的な成功が、帝国海軍に驕りという宿痾を植え付けてしまったんだ」
一洋も、同じ焦燥と無力感を抱えている。それがわかったからといって安心できるわけもなく、志貴は内心で呻いた。
母国は、数々の分岐点で、滅びへと至る道を一つ一つ丁寧に選び取っているとしか思えない――。
「……悪いな、結局愚痴ってしまったな」
やるせない調子で囁かれる謝罪が切ない。志貴は一洋に向き直ると、腕を回してその頭を胸元に抱き込んだ。せめて、ここに国の行く末を憂う同胞がいると、その愛国心を分かち合う人間がいると、わかってほしかった。
志貴の行動に、胸元で息を呑む気配がしたが、一洋は動かず、何も言わなかった。薄い上掛けの中、互いの体温が寝間着越しに伝わる。幼馴染である以上に、同じく国を憂う同胞は、志貴にとってこの上なく心強い存在だった。問題は何一つ解決していなくても、少なくとも孤独からは解放される。公には口にできない懸念も、二人で過ごす間は共有できるのだ。
そう思うと、常に胸に蟠っていた焦燥も、少しだけ静まっていく。今夜はいつもより深く眠れそうな気がする。
一洋も、こうしていればそのまま眠りに落ちてくれるだろうか、と後頭部をやさしく撫でた時、志貴は一洋のうなじが汗ばんでいることに気がついた。そして、上掛けの中の温度が、心なしか上がっていることも。
一洋の頭を抱き締めるために枕にずり上がる形になっていた志貴は、身動ぎした拍子に、太腿を硬い何かで押し上げられ――その正体に気づいて硬直した。咄嗟に一洋が身を離し、ベッドから下りようとする。
「すまん、今夜は別々に寝よう」
「駄目だよ。また眠れないまま、朝まで起きてるつもりでしょう」
「疲れ魔羅ってやつだ、抜けばおさまる」
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