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10章 ※
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この部屋でのジェイムズの所業――志貴にとっては乱行――をすべてなぞる一洋に精神的に消耗し、自身を撫でくり回す手に歯向かうこともできないまま、就寝の時間になった。風呂は各自の部屋で済ませたが、寝間着に着替えた一洋は当然のように志貴の寝室にやって来ると、ゆったりと志貴を抱き込みながらベッドに横になる。
寛いだ様子で「今日はゆっくり眠れそうだ」と囁かれては、手に持たされた『アキラ』を放り出すこともできない。『アキラ』の定位置は傍らの椅子であり、いつもは抱いて眠ることはないのだと念押しして、志貴は子供扱いしたがる保護者の幻想に釘を刺した。
いつになく一洋が甘えを見せるのは、提督の訃報を引きずっているせいだろうから、今日は彼の眠りの助けとなることはすべて叶えるつもりだ。それでも、三十男が今もクマのぬいぐるみを抱いて寝ていると誤解されるのは受け入れ難い。
軍人の習性とのことで、一洋が泊まる夜は、ベッド横にあるランプの豆電球をつけたまま眠ることになっていた。中立国であるこの国に灯火管制が敷かれることはなく、上辺だけであろうとも、平和というもののありがたみを感じる。
母国はまだ空襲を受けていないが、もし連合国が本土の戦略爆撃を可能とする基地を構築したら――それに適した南洋の日本領を陥落させたら、その攻撃目標に帝都・東京が含まれることは間違いない。戦争における爆撃が、軍事施設や軍需工場のみを標的にしていないことは、多くの市民の犠牲を出したゲルニカ、重慶、ロンドン、そしてベルリンでも証明されている。
被害者となる前に、すでに母国も加害者として、日米開戦前に中国大陸で無差別爆撃を行っている。人道と国際法に反する行為だ。周の死後に起きた事件だが、もし父が生きていたら、激怒し痛烈に軍部を批判したであろうことは想像に難くない。その後の日米開戦にも――。
すでに南洋の兵站は途絶され、一部の戦線は崩壊しているという情報もある。今は亡き提督が――連合艦隊司令官という立場にある者が、視察のためとはいえそんな地域にいたのも、それだけ戦局が逼迫しているからかもしれない。
(もしくは……死地を求めていたのか……)
もしそうなら、一洋には言えないが、自死ではないにしろ無責任なことだと思う。国のため――人々の暮らしを守るためにできることは、まだあったはずなのだ。
志貴はそっと、背後から自分を包むような姿勢で寝ている男を窺った。そして――気がついた。彼の喉が時折鳴り、それは狸寝入りの証拠であることを。
「イチ兄さん、眠れないの……?」
「お前もな」
振り向かずにひそりと問い掛けると、ため息のように囁かれる。
おそらく一洋は、こうして眠れない夜に一人静かに耐えてきたのだ――志貴のように焦燥に駆られ、体を休めずに無茶な仕事をすることなく。来る事態に備え、夜はなるべく休息に努めながら、それでも眠れず窶れるほどに。
寛いだ様子で「今日はゆっくり眠れそうだ」と囁かれては、手に持たされた『アキラ』を放り出すこともできない。『アキラ』の定位置は傍らの椅子であり、いつもは抱いて眠ることはないのだと念押しして、志貴は子供扱いしたがる保護者の幻想に釘を刺した。
いつになく一洋が甘えを見せるのは、提督の訃報を引きずっているせいだろうから、今日は彼の眠りの助けとなることはすべて叶えるつもりだ。それでも、三十男が今もクマのぬいぐるみを抱いて寝ていると誤解されるのは受け入れ難い。
軍人の習性とのことで、一洋が泊まる夜は、ベッド横にあるランプの豆電球をつけたまま眠ることになっていた。中立国であるこの国に灯火管制が敷かれることはなく、上辺だけであろうとも、平和というもののありがたみを感じる。
母国はまだ空襲を受けていないが、もし連合国が本土の戦略爆撃を可能とする基地を構築したら――それに適した南洋の日本領を陥落させたら、その攻撃目標に帝都・東京が含まれることは間違いない。戦争における爆撃が、軍事施設や軍需工場のみを標的にしていないことは、多くの市民の犠牲を出したゲルニカ、重慶、ロンドン、そしてベルリンでも証明されている。
被害者となる前に、すでに母国も加害者として、日米開戦前に中国大陸で無差別爆撃を行っている。人道と国際法に反する行為だ。周の死後に起きた事件だが、もし父が生きていたら、激怒し痛烈に軍部を批判したであろうことは想像に難くない。その後の日米開戦にも――。
すでに南洋の兵站は途絶され、一部の戦線は崩壊しているという情報もある。今は亡き提督が――連合艦隊司令官という立場にある者が、視察のためとはいえそんな地域にいたのも、それだけ戦局が逼迫しているからかもしれない。
(もしくは……死地を求めていたのか……)
もしそうなら、一洋には言えないが、自死ではないにしろ無責任なことだと思う。国のため――人々の暮らしを守るためにできることは、まだあったはずなのだ。
志貴はそっと、背後から自分を包むような姿勢で寝ている男を窺った。そして――気がついた。彼の喉が時折鳴り、それは狸寝入りの証拠であることを。
「イチ兄さん、眠れないの……?」
「お前もな」
振り向かずにひそりと問い掛けると、ため息のように囁かれる。
おそらく一洋は、こうして眠れない夜に一人静かに耐えてきたのだ――志貴のように焦燥に駆られ、体を休めずに無茶な仕事をすることなく。来る事態に備え、夜はなるべく休息に努めながら、それでも眠れず窶れるほどに。
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