111 / 237
10章 ※
7
しおりを挟む
この部屋でのジェイムズの所業――志貴にとっては乱行――をすべてなぞる一洋に精神的に消耗し、自身を撫でくり回す手に歯向かうこともできないまま、就寝の時間になった。風呂は各自の部屋で済ませたが、寝間着に着替えた一洋は当然のように志貴の寝室にやって来ると、ゆったりと志貴を抱き込みながらベッドに横になる。
寛いだ様子で「今日はゆっくり眠れそうだ」と囁かれては、手に持たされた『アキラ』を放り出すこともできない。『アキラ』の定位置は傍らの椅子であり、いつもは抱いて眠ることはないのだと念押しして、志貴は子供扱いしたがる保護者の幻想に釘を刺した。
いつになく一洋が甘えを見せるのは、提督の訃報を引きずっているせいだろうから、今日は彼の眠りの助けとなることはすべて叶えるつもりだ。それでも、三十男が今もクマのぬいぐるみを抱いて寝ていると誤解されるのは受け入れ難い。
軍人の習性とのことで、一洋が泊まる夜は、ベッド横にあるランプの豆電球をつけたまま眠ることになっていた。中立国であるこの国に灯火管制が敷かれることはなく、上辺だけであろうとも、平和というもののありがたみを感じる。
母国はまだ空襲を受けていないが、もし連合国が本土の戦略爆撃を可能とする基地を構築したら――それに適した南洋の日本領を陥落させたら、その攻撃目標に帝都・東京が含まれることは間違いない。戦争における爆撃が、軍事施設や軍需工場のみを標的にしていないことは、多くの市民の犠牲を出したゲルニカ、重慶、ロンドン、そしてベルリンでも証明されている。
被害者となる前に、すでに母国も加害者として、日米開戦前に中国大陸で無差別爆撃を行っている。人道と国際法に反する行為だ。周の死後に起きた事件だが、もし父が生きていたら、激怒し痛烈に軍部を批判したであろうことは想像に難くない。その後の日米開戦にも――。
すでに南洋の兵站は途絶され、一部の戦線は崩壊しているという情報もある。今は亡き提督が――連合艦隊司令官という立場にある者が、視察のためとはいえそんな地域にいたのも、それだけ戦局が逼迫しているからかもしれない。
(もしくは……死地を求めていたのか……)
もしそうなら、一洋には言えないが、自死ではないにしろ無責任なことだと思う。国のため――人々の暮らしを守るためにできることは、まだあったはずなのだ。
志貴はそっと、背後から自分を包むような姿勢で寝ている男を窺った。そして――気がついた。彼の喉が時折鳴り、それは狸寝入りの証拠であることを。
「イチ兄さん、眠れないの……?」
「お前もな」
振り向かずにひそりと問い掛けると、ため息のように囁かれる。
おそらく一洋は、こうして眠れない夜に一人静かに耐えてきたのだ――志貴のように焦燥に駆られ、体を休めずに無茶な仕事をすることなく。来る事態に備え、夜はなるべく休息に努めながら、それでも眠れず窶れるほどに。
寛いだ様子で「今日はゆっくり眠れそうだ」と囁かれては、手に持たされた『アキラ』を放り出すこともできない。『アキラ』の定位置は傍らの椅子であり、いつもは抱いて眠ることはないのだと念押しして、志貴は子供扱いしたがる保護者の幻想に釘を刺した。
いつになく一洋が甘えを見せるのは、提督の訃報を引きずっているせいだろうから、今日は彼の眠りの助けとなることはすべて叶えるつもりだ。それでも、三十男が今もクマのぬいぐるみを抱いて寝ていると誤解されるのは受け入れ難い。
軍人の習性とのことで、一洋が泊まる夜は、ベッド横にあるランプの豆電球をつけたまま眠ることになっていた。中立国であるこの国に灯火管制が敷かれることはなく、上辺だけであろうとも、平和というもののありがたみを感じる。
母国はまだ空襲を受けていないが、もし連合国が本土の戦略爆撃を可能とする基地を構築したら――それに適した南洋の日本領を陥落させたら、その攻撃目標に帝都・東京が含まれることは間違いない。戦争における爆撃が、軍事施設や軍需工場のみを標的にしていないことは、多くの市民の犠牲を出したゲルニカ、重慶、ロンドン、そしてベルリンでも証明されている。
被害者となる前に、すでに母国も加害者として、日米開戦前に中国大陸で無差別爆撃を行っている。人道と国際法に反する行為だ。周の死後に起きた事件だが、もし父が生きていたら、激怒し痛烈に軍部を批判したであろうことは想像に難くない。その後の日米開戦にも――。
すでに南洋の兵站は途絶され、一部の戦線は崩壊しているという情報もある。今は亡き提督が――連合艦隊司令官という立場にある者が、視察のためとはいえそんな地域にいたのも、それだけ戦局が逼迫しているからかもしれない。
(もしくは……死地を求めていたのか……)
もしそうなら、一洋には言えないが、自死ではないにしろ無責任なことだと思う。国のため――人々の暮らしを守るためにできることは、まだあったはずなのだ。
志貴はそっと、背後から自分を包むような姿勢で寝ている男を窺った。そして――気がついた。彼の喉が時折鳴り、それは狸寝入りの証拠であることを。
「イチ兄さん、眠れないの……?」
「お前もな」
振り向かずにひそりと問い掛けると、ため息のように囁かれる。
おそらく一洋は、こうして眠れない夜に一人静かに耐えてきたのだ――志貴のように焦燥に駆られ、体を休めずに無茶な仕事をすることなく。来る事態に備え、夜はなるべく休息に努めながら、それでも眠れず窶れるほどに。
21
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。



別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる