トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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10章 ※

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「……せめて、取捨選択の自由をください」
「許可できない。私は私のやりたいようにやるし、父母も兄たちも同様だ」

 あっさり言い切られ肩が落ちるが、これ以上クマのぬいぐるみを増やされてはたまらない。撤退をよしとせず、志貴はどうにか踏み留まった。

「少なくともあのクマに、当分妻子は必要ありません。彼の名は『クマちゃん』ではなく『アキラ』、まだ五才の可愛い盛りですから」
「ふむ。ならば『アキラ』の妻子は、二十年後くらいに贈ることにするか」

 軽く頷きながらも、ジェイムズは志貴にクマのぬいぐるみを三度みたび贈る野望を諦めない。二十年後、すっかり忘れ去られていますように、と心から祈るしかない。

「私の小さな志貴の息子だ。いくつになっても撫でくり回したいくらい可愛いに違いないが、早く実物に会いたいものだ。そのためには早く戦争を終わらせなければ」

 楽しそうに英と会う日に思いを馳せながら、ジェイムズは続ける。――誰が死ねばいい、と。

「誰が死ねば、日本は戦争を止める。山本では足りなかったのだろう」

 冷徹な問いを投げ掛けるジェイムズは、わかっていて仄めかしている。今この時、故提督より日本人の精神的支柱となり得る人物は、一人しかいない。

「皇統は確立されたシステムです。皇太子も、男子の成人皇族も多くいるのですから、今上に何かあってもすぐに替えが効くのです。国民感情を硬化させるだけで、終戦の引き金トリガーにはなりませんよ」
「冷静だな。元首の首を賭けられたら、少しは腹を立てるのかと思ったが」
「言ったでしょう、面識のない方の死に共感はしないと」

 意外そうに――愉快そうに唇の端を引き上げたジェイムズを封じるように、志貴は言葉を重ねた。
 志貴は国に奉職し、命を捧げている――偉大な先達である父のように。国とはその体制ではなく、その地に暮らす人々とその生活だ。志貴はあくまで、国民の幸福に利することを目的とする公僕であり、一個人の私僕ではない。国家元首が入れ替わったとしても、何の感慨も湧かないに違いなかった。

(やはり日本人としては異質――コスモポリタンでしかないのかもしれない……)

 睫毛を伏せる志貴の髪をやさしく梳きながら、ジェイムズが何やら口ずさみ始めた。

Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow, 
(明日、また明日、そしてまた明日)

A swallow in a sunglow to follow
(朝焼けの中、一羽の燕がついていく)

His fellow in the shadow of the sorrow.
(悲しみの影に沈んだ仲間の後を)

Rest under the willow before you wallow!
(柳の下で休むのだ、お前たちが影に溺れてしまう前に!)

「……何です?」
「自作の子守唄だ」
「『マクベス』のパロディのようですが」
「好きだっただろう、『マクベス』」
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