トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

文字の大きさ
上 下
84 / 237
7章

10

しおりを挟む
 それを理解していないわけではないが、じりじりと母国が袋小路へ追い詰められていく現実に、衝動的に自らの身を掻きむしりたくなるような無力感に苛まれるのだ。桐機関設立のためにこの国へ赴いた外交官として、――次の時代を生きる子の父として。
 小さな我が子の顔を思い出すたび、安穏と眠り、呑気に食事をする暇などないと焦燥に駆られ、仕事に没頭してしまう。そしてそれは、今夜も変わらない。

「臓腑から温まって、よく眠れるんじゃないか。食休みしたらさっさと風呂に入って、今日は早く寝ろよ」

 重ねて言い含めてくる一洋を、志貴は探るように見つめた。たった二つ年上の、何事にも動じないように見える幼馴染に――異郷で国のために働く同胞に、聞いてみたかった。
 追い込まれている母国の状況をどう思っているのかと。自分たちは今のまま、これまで通りの仕事をするだけでいいのかと。
 そして、最悪の未来を考えることはないのかと。

 しかし、同胞だからこそ、弱さを見せることはできない。スペインここにいる者は皆、すでに母国から与えられ、抱えたものだけで手一杯だ。
 役に立ってこそ、ここにいる資格がある。誰かの重荷となり足枷となる――弱音を吐くなど、ありえない。

「イチ兄さんは料理してくれたんだから、片付けは僕がするよ」
「ガルシア夫人には、くれぐれも志貴に後片付けをさせないでくれと言われてる。俺も同感だ。彼女も俺も、食器の心配をしてるんだ。割った後の片付けの方が手間なんだよ」

 「何でもそつなくこなしそうに見えて、お前は本当に不器用だからなあ」と憐れむように言われ、志貴は口を噤んだ。
 昼前も、海老の背腸抜きも牡蠣の殻剥きも、身を壊すからとやらせてもらえなかった。荷物持ちとして連れ出されたのに、結局買い物の荷物も持たせてもらえなかった。今日の外出は、主に志貴の気分転換を企図したものだったのだ。
 何もさせてもらえず、ただ気遣われる。気づかないうちに甘やかされている。無力さを突きつけられているようで、さらに焦燥感が増していく。

(……仕事に励むしかないんだ、僕は)

 寝室に追いやられ、続きの浴室で志貴は手早くシャワーを済ませた。浴槽に湯を張り、のんびり浸かる気にはなれなかった。
 この分では、今夜はちゃんと眠っているかも確認されそうだ。ならばさっさとベッドに入り、寝たふりをしながら仕事をした方がいい。
 寝間着姿で台所に顔を出すと、洗い物を終えた一洋が調理台を拭き清めているところだった。

「そんな格好でうろうろしていると風邪をひくぞ。湯冷めしないうちに、暖かくして寝ろ。俺も客間の風呂を使わせてもらう」
「うん……。今日はありがとう、何から何まで」

 今日一日の感謝を伝えると、一洋は軽く微笑み、台拭きを裏返しながら大切なことのように訊いてくる。

「歯を磨いたか?」
「……磨いたよ」
「便所は行ったか?」
「行きました!」

 まるきり子供扱いだ。
 それこそ子供のように口を尖らせる志貴に、職務では指図することに慣れた立場にある一洋は、高級将校らしく重々しく頷く。そして、重要な戦いに赴く部下を送り出すような口調で、命じた。

「よし。じゃあ、よくおやすみ」
「……おやすみなさい」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)

藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!? 手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

きみをください

すずかけあおい
BL
定食屋の店員の啓真はある日、常連のイケメン会社員に「きみをください」と注文されます。 『優しく執着』で書いてみようと思って書いた話です。

処理中です...