トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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7章

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 ――アメリカは、広範囲に千度以上の高温を発する新型爆弾の基礎実験に成功した。

 彼と桐機関は、アメリカが開発している新型兵器の情報を、昨秋から熱心に集めている。
 新型兵器の開発計画は、どの国でも極秘事項となる。末端の外交官には、おそらく存在する、存在しないと考えることに無理がある、というレベルの憶測しかできないが、テオバルドはその憶測を諜報の戦場へ落とし込むことに成功していた。関連施設周辺に複数の諜報員を送り込み、厳しい情報統制をかいくぐって機密を掴んでくる。
 物理学の素地はないようなのに、スパイとしての嗅覚の鋭さに、志貴は内心舌を巻いていた。

「元素の原子核が起こす、核分裂反応を利用した爆弾のことです。ウランやプルトニウムなんかのね。正確なところはわからないが、開発に成功したら、とんでもない威力を持つ大量破壊兵器になるはずですよ」
「三千トンのサイクロトロンは、基礎研究レベルで必要なものだと思いますか」

 核心を突く問いに、黒木は慎重に言葉を選びながら答えた。

「僕は兵器製造のプロじゃないから、実際のところはわかりません。ただ、日本は二百トンで挑んでいるところを、アメリカは三千トンで取り掛かってる。どこまで研究が進んでるのかはまったくわからないが、覚悟が違うでしょう。彼らは本気で、総力を挙げて原子爆弾を開発し、それをどこかへ落とそうとしている」

 どこか――敵である、枢軸国のどこかへ。
 和平交渉による終戦ではなく、壊滅的な打撃を与えた上で降伏を迫る、そのための布石。その可能性は、戦局が連合国に傾くほどに高くなっていく。優位に立てば、交渉の席で譲歩する必要がなくなるからだ。
 決断が遅くなればなるほど、母国に残された選択肢は限られていく。最後に残るのは、その先の国の形すら自国で決めることはできない、無条件降伏だろう。最悪の場合、戦勝国への併合、あるいは国土割譲もあり得る。日本古来の国土と民族が分断されるかもしれないのだ。

「大きな声じゃ言えませんけどね。アメリカ相手に戦争を吹っ掛けるなんて馬鹿ですよ、狂気の沙汰だ。彼我の国力の差をまるで考えてない」

 「偉いさん方は国を潰す気なんですかねえ。このままじゃ、帰る場所がなくなっちゃいますよ」と、長い異郷での生活の疲れも滲ませながら、黒木が呟く。
 国力差を考えていないわけがない、と志貴は思ったが口にはしなかった。
 陸海軍、そして外務省は、それぞれ開戦までアメリカに公館を置き、自由に国内を移動できた。各自が全国を視察して回り、詳細な報告書を本国に提出しているはずだ。大本営が、アメリカの強大な国力を知らないはずがない。
 それゆえに約一年前の開戦は、内政の失態であり、外交の敗北以外の何物でもありえなかった。

「ところで矢嶋さん、衛藤さんと何があったんですか?」

 不意打ちのように黒木が話を変えた。
 一瞬、わずかに口元が引き攣ったのを、気づかれたのだろうか。表情は変えずそっと窺い見たつもりだったが、何を汲み取ったのか、敏い黒木はやれやれという顔になる。
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