トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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7章

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 明けて、一九四三年一月。
 仕事始めに呼び出されても、黒木は嫌な顔も見せず、いつものように飄々と現れた。年末は武官府の用事が続いたようで、こうして会うのはジェイムズ来襲時の裏切り以来だ。
 異星人に襲われているのを見捨てて逃げたくせに、新年の挨拶もそこそこに、黒木は悪びれもせず、

「あの男前、矢嶋さんの何なんです?」

さらりと探りを入れてくる。意趣返しに、

「イギリス駐在時代のオトコですよ」

とラテン男の言い草を真似してみたところ、押し黙ったまま信じ込んでしまった。
 早くに亡くしてしまったが妻がいて、愛息を日本に残していると知っているのに、何故冗談だと思わないのだろう、と志貴は天を仰ぎたくなる。

「僕はその道は嗜まないからいいけど、……気をつけてくださいよ」
「だから私は寡夫で、息子もいてですね……」

 からかったのだと説明しても、まるで聞く耳を持たない黒木に閉口しながら、志貴は机の上に一月前の新聞を広げる。赤の引かれたその内容を覚えていたようで、黒木は上目遣いで志貴を窺い、口調を改めた。

「……何故、気づいたんです?」
「黒木さん、日本にいた頃、理化学研究所の依頼で核粒子加速装置サイクロトロンの買い付けに走り回って大変だった、という話を以前されていましたね。サイクロトロンという馴染みのない単語、それと理研の桑野博士の注文ということが耳に残りました」
「よくもまあ、何ヵ月も前に一度だけ話したことを」
「みなさんの知識と経験が、私の武器なんですよ」

 そう答えて微笑むと、「だから気をつけないといけないのは、そういうところですよ」と窘められた。
 真面目な話をしているのに、と眼を眇めてみせるが、わざとらしく嘆息されただけで、態度を改める気配もない。臨時の上司である一洋に、一等書記官の扱いについて不必要に感化されてしまっているらしい。
 
「……理研に導入したのは、何トンのサイクロトロンでした?」
「最初は小型で二十四インチ、次の大型のやつは六十インチで二百トンでした。いやあ、運ぶのが本当に大変だった」
「その大型の十五倍、三千トンのサイクロトロンをアメリカが輸入した、と記事にあります。――黒木さんはどう見ます」

 スペインに赴任する五年前、黒木は工作機械の買い付けのため、全米各地を視察していた。つまりアメリカの国力、特に工業力を、数字と肌感覚で熟知していた。
 その彼の見解は、自分の想像するものと一致するのか。それが志貴の確かめたいことだった。
 外れてほしい予測は、――当たった。

「原子核分裂って聞いたことありますか、矢嶋さん」
「膨大なエネルギーを得られる反応だということくらいは」
「十分です。どうやら最高機密になってるみたいで、桑野さんが今、あのサイクロトロンで何をやってるのか教えてもらえないんですがね。噂では、陸軍から原子爆弾の研究を依頼されたんじゃないかって話です」
「原子爆弾……」

 初めて聞くように呟きながら、志貴はテオバルドの報告書を思い出していた。
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