74 / 237
6章
16
しおりを挟む
翌日、フェデリコ・ナヴァス外相が辞任したという突然のニュースに、日本公使館に激震が走った。
辞任理由は健康上の問題とされたが、彼に近しい人々はそれが偽りであることを知っており、また後任人事から、これが事実上の枢軸国派の更迭であることを悟っていた。
後任の外相は、連合国派で知られた男だった。ナヴァスは枢軸国派であり、それゆえに日本の諜報活動に色々と便宜を図ってくれていた。その彼が更迭されたということは、中立国といいながら枢軸国を支援し、実質凖枢軸国であったスペインが、連合国側へと大きく舵を切ろうとしていることの現れだった。
その変節には、広大な欧州戦域を事実上一国のみで戦う枢軸国の要、ドイツの限界が見えてきたことが影響しているに違いなかった。イギリスへ大規模な空爆を繰り返し、甚大な被害を与えておきながら中途半端に手を引き、その戦力の大半を投じた東部戦線――ソ連との戦いも、時機を見誤り兵站を軽んじ、戦局が泥沼化しているドイツに見切りをつけたのだ。
「潮目を読むのだけは上手い男だ……」
この国の独裁者に対する、難しげな顔の梶の呟きは、翻って梶を、志貴を、鋭く糾弾した。
何度も読み間違えた潮目、その度に喫した手酷い敗北から何も学ばず、母国はまだ踏みとどまろうとはしない。誤った道を突き進んでいるとわかっていながら――。
――諜報の側面から母国を支えるためにスペインまで赴いておきながら、入手した情報を役立てることもできず、一体何をしているのだ。
――同胞の命と財産を守るという、最低限の職務を遂行することもできないのか。
胸を塞ぐ指弾の声は、偉大な外交官だった父の声にも聞こえた。
待降節から降誕節へと街の賑わいが移り変わる中、志貴はひたすら情報収集とその解析に没頭した。集められるだけの新聞と雑誌を積み上げ、丁寧に読み込み、過去に繋がる情報はないかと記憶を底からひっくり返す。終業後も自宅に資料を持ち込み、わずかな睡眠と風呂以外のすべての時間を仕事に費やした。食事も仕事の片手間に、簡単な物をろくに咀嚼もせず無理矢理流し込んで済ませた。
寝食を削る仕事ぶりに、心配した女中から公使館へ連絡が行き、梶から何度も小言をもらったが、志貴が改めることはなかった。
強迫観念にも似た焦燥に炙られる中、深々とした寒夜を重ねながら、一九四二年が暮れようとしている。
辞任理由は健康上の問題とされたが、彼に近しい人々はそれが偽りであることを知っており、また後任人事から、これが事実上の枢軸国派の更迭であることを悟っていた。
後任の外相は、連合国派で知られた男だった。ナヴァスは枢軸国派であり、それゆえに日本の諜報活動に色々と便宜を図ってくれていた。その彼が更迭されたということは、中立国といいながら枢軸国を支援し、実質凖枢軸国であったスペインが、連合国側へと大きく舵を切ろうとしていることの現れだった。
その変節には、広大な欧州戦域を事実上一国のみで戦う枢軸国の要、ドイツの限界が見えてきたことが影響しているに違いなかった。イギリスへ大規模な空爆を繰り返し、甚大な被害を与えておきながら中途半端に手を引き、その戦力の大半を投じた東部戦線――ソ連との戦いも、時機を見誤り兵站を軽んじ、戦局が泥沼化しているドイツに見切りをつけたのだ。
「潮目を読むのだけは上手い男だ……」
この国の独裁者に対する、難しげな顔の梶の呟きは、翻って梶を、志貴を、鋭く糾弾した。
何度も読み間違えた潮目、その度に喫した手酷い敗北から何も学ばず、母国はまだ踏みとどまろうとはしない。誤った道を突き進んでいるとわかっていながら――。
――諜報の側面から母国を支えるためにスペインまで赴いておきながら、入手した情報を役立てることもできず、一体何をしているのだ。
――同胞の命と財産を守るという、最低限の職務を遂行することもできないのか。
胸を塞ぐ指弾の声は、偉大な外交官だった父の声にも聞こえた。
待降節から降誕節へと街の賑わいが移り変わる中、志貴はひたすら情報収集とその解析に没頭した。集められるだけの新聞と雑誌を積み上げ、丁寧に読み込み、過去に繋がる情報はないかと記憶を底からひっくり返す。終業後も自宅に資料を持ち込み、わずかな睡眠と風呂以外のすべての時間を仕事に費やした。食事も仕事の片手間に、簡単な物をろくに咀嚼もせず無理矢理流し込んで済ませた。
寝食を削る仕事ぶりに、心配した女中から公使館へ連絡が行き、梶から何度も小言をもらったが、志貴が改めることはなかった。
強迫観念にも似た焦燥に炙られる中、深々とした寒夜を重ねながら、一九四二年が暮れようとしている。
20
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。



別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…


【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる