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6章
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ひりついた応酬の理由もわからないまま、場を収めるようにやんわり嗜めると、一洋は硬かった口調をくだけたものに変え、茶目っ気たっぷりに目配せを送ってくる。惚れ惚れするような凛々しい軍服姿で、いたずら好きな少年のような愛嬌を見せられては、苦笑するしかない。
もう、と小さく口の中で呟いた志貴に微笑み、一洋は腕の囲みを解いた。
「お前が無事ならよかった。車を待たせているから今は戻らなければならないが、今夜は夕食をともにしよう。定時に迎えに来る」
そう言い置くと、一洋はテオバルドに「お先に失礼する」と声を掛けて慌しく去っていった。
「車を待たせている」と言っていた。重要な職務の途中で、無理矢理抜けてきたのだろう。ただ志貴の身を心配し、その安全を確保、確認するためだけとは考えにくい。夕食の約束も、その真の目的のため――おそらく、突然現れた敵国人の身元確認と、治外法権が保証された公館に簡単に侵入を許した警備体制への進言あたりと思われる。
(余計な仕事を増やしてくれる……)
十三も年上の悪童を恨めしく思いながら席に戻ると、それまで黙っていたテオバルドが低く声を掛けてくる。
「あんたのまわりには、特別いい男が多すぎるな。あの腰の短刀、日本海軍のエリートの証だというじゃないか」
「よく知っているな」
海軍兵学校の在籍中、ずっと首席で通した一洋の制服には、成績優秀者のみが与えられる桜の襟章がいくつも並んでいた。たまの帰省でその姿を見掛けるたびに、大事な幼馴染の晴れ姿に、我がことのように誇らしく思ったものだ。
一洋は年々桜の襟章を増やしながら首席のまま卒業し、その際に恩賜の短刀を拝領している。正式な場では、国への忠誠を示すためにその短刀を佩用しており、さきほども腰から提げていた。おそらく各国の駐在武官との会合か何かに参加していたのだろう。
そんな重要な場を中座して駆け付けたのかと思うと、今後の昇進に支障が出るのではと心配になってくる。一洋のことだからうまく収めるのだろうが、黒木には、滅多なことで連絡などしないように釘を刺さなければならない。
「――衛藤中佐は、ジェイムズと同類だ。エリートで見た目も中身も優れているのに、私に関わると箍が外れてしまう。覗き見していたのならわかっただろう、どのように扱われているのか。いまだに庇護の対象――というより愛玩対象なんだ、私は」
「あんたはなかなかに罪作りだな、志貴。あの金髪と衛藤を、同じに考えているのか」
過保護な二大勢力に揉まれる現場を目撃されて、今更取り繕うのも無意味に思え、情け無い立場を正直に吐露したのに、テオバルドは冷ややかな態度を崩さない。
「奴とは長い付き合いなんだろう。なのにこれでは、さすがに衛藤が気の毒になってくる」
言葉面だけは一洋に同情しているが、その口調は馬鹿にしているようにも聞こえる。明らかに不機嫌なテオバルドに困惑し、――そういえばこの男は、戯言半分にせよ自分に言い寄っているのだと、志貴はようやくある可能性を思いついた。
もう、と小さく口の中で呟いた志貴に微笑み、一洋は腕の囲みを解いた。
「お前が無事ならよかった。車を待たせているから今は戻らなければならないが、今夜は夕食をともにしよう。定時に迎えに来る」
そう言い置くと、一洋はテオバルドに「お先に失礼する」と声を掛けて慌しく去っていった。
「車を待たせている」と言っていた。重要な職務の途中で、無理矢理抜けてきたのだろう。ただ志貴の身を心配し、その安全を確保、確認するためだけとは考えにくい。夕食の約束も、その真の目的のため――おそらく、突然現れた敵国人の身元確認と、治外法権が保証された公館に簡単に侵入を許した警備体制への進言あたりと思われる。
(余計な仕事を増やしてくれる……)
十三も年上の悪童を恨めしく思いながら席に戻ると、それまで黙っていたテオバルドが低く声を掛けてくる。
「あんたのまわりには、特別いい男が多すぎるな。あの腰の短刀、日本海軍のエリートの証だというじゃないか」
「よく知っているな」
海軍兵学校の在籍中、ずっと首席で通した一洋の制服には、成績優秀者のみが与えられる桜の襟章がいくつも並んでいた。たまの帰省でその姿を見掛けるたびに、大事な幼馴染の晴れ姿に、我がことのように誇らしく思ったものだ。
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そんな重要な場を中座して駆け付けたのかと思うと、今後の昇進に支障が出るのではと心配になってくる。一洋のことだからうまく収めるのだろうが、黒木には、滅多なことで連絡などしないように釘を刺さなければならない。
「――衛藤中佐は、ジェイムズと同類だ。エリートで見た目も中身も優れているのに、私に関わると箍が外れてしまう。覗き見していたのならわかっただろう、どのように扱われているのか。いまだに庇護の対象――というより愛玩対象なんだ、私は」
「あんたはなかなかに罪作りだな、志貴。あの金髪と衛藤を、同じに考えているのか」
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「奴とは長い付き合いなんだろう。なのにこれでは、さすがに衛藤が気の毒になってくる」
言葉面だけは一洋に同情しているが、その口調は馬鹿にしているようにも聞こえる。明らかに不機嫌なテオバルドに困惑し、――そういえばこの男は、戯言半分にせよ自分に言い寄っているのだと、志貴はようやくある可能性を思いついた。
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