トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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6章

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 イギリスの寄宿学校に入れられていた頃、夏休みに両親に連れられて訪ねたお屋敷で、志貴は彼と出会った。当時、七つかそこらだったと思う。まだ流暢とは言えない英語で一生懸命に話す日本人の子供を、二十歳のイギリスの青年は何故か気に入り、よく遊んでくれた――と言えば聞こえはいいが、珍獣扱いの興味の対象として遊ばれていた。
 あの頃からジェイムズは、人種や国籍で人を差別することがなく、変なお兄さんだと少し苦手に思いながらも、志貴は彼が嫌いではなかった。同じ時間を過ごすうちに、彼の中に蔑みの感情が一切ないことに気がついたのだ。
 それまで張り巡らせていた自己防衛のための警戒心は、彼の側でいつの間にか取り払われていた。

 学校では、東洋人というだけで日常的に嫌がらせを受けていた志貴にとって、両親と、大らかで高い見識を持つアスター家の人々と過ごす夏休みは、うれしさで胸がいっぱいになるような豊潤な時間だった。そしてその中で、自らが差別される辛さと等しく扱われる喜びを比べ、志貴は公平な視野を持つことの大切さを学んだ。
 自分の誤った物の見方で、知らないうちに誰かを傷つけ苦しめたくない。だからそうならないように、たくさん学びたい。
 宛がわれた客室のソファに座り、膝に乗せた小さな息子の大きな決意に、父はうれしそうに微笑みながら何度も息子の頭を撫でた。隣に座る母も、横から抱き締めてくれながら、「いじめられっぱなしはなりませんよ」とこれまたやさしく微笑んだ。どんな形でも、売られた喧嘩には落とし前をつけるように、という仁王様の指令だった。
 平和主義者の父は困った顔をしていた。

 親子水入らずで、一夏をのんびり過ごしたブラックウェル侯爵邸。その主人である侯爵夫妻も、旧友の一人息子である志貴を可愛がり、父母が本国へ戻っている時は、長い休みの間は屋敷に引き取り家族として遇してくれた。
 高位の貴族としては珍しく、子や孫の養育を乳母だけに任せず、折に触れ子供たちと関わってきた夫妻は、志貴にとってもイギリスの祖父母のような存在になった。その孫たちは良き遊び相手となり、彼らとともに広い屋敷の敷地を駆け回り、転げ回って顔を見合わせては笑う。無邪気な子供たちを見守る大人たちも、つられたように微笑む。
 不当に蔑む者は誰もいない中で、志貴の心は学期中に溜め込んだ痛みから解放されていった。学校でも、一方的にいじめられるだけではなく正々堂々やり返したし、親切な友人もできたが、心からのびのびと過ごせるのは、父母かアスター家の人々と一緒の時間だけだったのだ。

 以来、寄宿学校で過ごした五年間、そして外務省に入省しオックスフォードで研修生として過ごした二年間、志貴は度々アスター家に招かれ、親交を深めてきた。日本に戻っている時も、折に触れ手紙をやり取りして近況を知らせていたし、ジェイムズは仕事がてら何度も日本を訪れ、その度に矢嶋家に滞在した。彼らとの交流が、人としてだけではなく、外交官としての素地を培ってくれたと言っても過言ではない。
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