トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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6章

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 スペインで迎える二度目の師走は、母国と同じように慌ただしく過ぎていく。
 マドリードは再び待降節の彩りを帯び、変わらぬ不況に喘ぐ人々も街も、心なしか華やいで見える。厳しい国情が続いていても、キリスト教国であるこの国で、クリスマスが最大にして最も幸福な家族の行事であることに変わりはない。
 日本公使館も、日本人スペイン人を問わず同僚たちが楽しげにあちこち飾り付けてまわり、玄関ホールには立派なベレンも設置された。この国の伝統的なクリスマスの人形飾りで、キリスト生誕の物語をなぞっている。市街地の広場や教会には、かなり大規模なベレンが何日もかけて作られ、それを楽しみに人々が集う。それ抜きでは待降節が始まらない、師走の風物詩だ。
 公使館のベレンは、馬小屋の聖母子を東方の三賢者が訪れる場面を再現している。ベレン作りが趣味の愛好家ベレニスタだという現地人館員の労作で、人形も背景も巧緻に作られており、実に見事な出来栄えだ。来客は勿論、毎日目にしている館員も、その前を通るたびについ足を止めて見入るほどで、日々寄せられる賞賛の声に、製作した本人も気を良くしている。

 ――これは多くの人に見てもらわないといけないな。

 梶の一声で、現地館員の家族を招き、一年の慰労をかねたささやかな昼食会も来週予定されている。
 そんな少々浮ついた雰囲気の中、志貴は淡々と日々の仕事をこなしていた。
 社交と情報収集のため、一等書記官の執務室は約束のない来客も歓迎している。志貴自身は室内の装飾に興味はなかったが、応接の場でもある部屋だ。館内が華やかに飾られる中、この部屋だけ季節を無視した殺風景な事務空間のままにするのも、客に対して失礼に思われる。
 率先して館内を飾り付けている同僚に、ついでに適当に飾り付けをしてくれるよう頼んだのだが、少々考えなしの思い付きだったと気がついた時には、すでに手遅れだった。クリスマスに一番興味を持たなかった志貴の執務室は今、公使館の中で一番賑やかに装飾された部屋となっている。
 とはいえ、同僚たちは至極常識的な範囲での飾り付けしかしていない。ただ、時に溜まり場のように一等書記官室に入り浸る常連に、この部屋のクリスマス飾りを持参しなければ志貴に取り次がない、と宣っただけだ。

「ちょっと来ないうちに、随分賑やかになりましたね」

 感心したように室内を見回しながらいつもの椅子に陣取ったのは、黒木俊介。大手商社のスペイン駐在員だ。
 スペインに赴任する前はアメリカに駐在しており、開戦直前に大西洋を渡りこの国へやってきてちょうど一年。マドリードの日本人社会にもすっかり馴染んでいるが、肝心の本業が長引く戦争のせいで開店休業状態となり、また本社からの国際送金も難しくなってきたせいで、二ヵ月ほど前から海軍武官府に臨時徴用されている。
 その彼が、武官府ではなく公使館に足繁く通っているのは、一洋の差し金だ。自分の使いの名目で志貴の元に送り込み、情報分析の補佐をするように命じたのだ。
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