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4章
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過去の経緯も感情もそう冷静に分析して、急に大きくなった心臓の音は気のせいだと黙殺する。軽佻浮薄なラテン男に想いを懸けられ、動揺などするはずがない。現に今夜の絡みつく視線に、馴れ馴れしく甘い男たちの態度に、その意味はわからないながらも、ほのかな嫌悪にも似た困惑を抱いたではないか。
早まる脈拍もうっすらと汗ばむ肌も、――ただ、思いがけない成り行きに驚いているだけだ。
必死に押し隠そうとする感情の不均衡を、テオバルドは犬のような鋭さで嗅ぎ取ったらしい。
自らの恋情を一切隠さず、むしろ堂々とあからさまに志貴を口説いてきたつもりでいた男は、困惑を浮かべて叱られた子供のように自身を窺う志貴の様子に、「今ここで、そんな色めいた顔をするな」と気難し気に眉を寄せた。自らの想いが、一方通行どころかまったくの素通りであったことに、初めて気がついたのだ。
その事実に、綺麗に整えられた髪を無造作に掻き乱す。
「あんたには俺を踏みにじる権利があるが、それにも限度ってもんがあるぞ。無防備に部屋に招き入れようとして、憎からず思われているのかと期待させておきながら、まさか俺の気持ちに気づいていないとは。しかもそんな色っぽい顔をして――煽るなと警告したばかりだろうが」
「君を踏みにじった覚えなどない。初対面の時、あまりに無礼だったから足を払っただけ――そうだ、最初にあんなことをされたら、何を言われても悪ふざけとしか思えないじゃないか」
志貴の抗弁に、「それについては謝る」と素直に非を認め、テオバルドは軽く肩を竦める。
「貞淑で潔癖そうなあんたが、甲斐甲斐しく梶の世話を焼いている。色も欲も縁がないような上品な美人なのに、一途に男の話に耳を傾け尽くす様は、艶かしい妄想に火をつけるのに十分だった。この綺麗な男は、寝室ではどうやって男に尽くすのかと。あんたは、戦時下で妻子を帯同できない梶の、公私に亘る世話係――通訳兼性欲処理の相手だと思ったんだ。それを仕事と割り切っているのなら、俺が手を出す隙もあると」
梶に悪い酒を飲ませないように気を回し、練達の外交官である彼の社交術を学ぼうと一心に話を聞いていた姿が、そのように邪に曲解されていたとは。
確かに梶には、公私共に格別の恩情を注がれ感謝もしているが、情を交わすような間柄ではない。そもそも彼は、その親友であった亡き父と同様に大変な愛妻家なのだ。その奥方にも、志貴は幼い頃から可愛がってもらっている。
家族ぐるみで親しくしてきた『梶の小父さん』、今は尊敬する上司でもある梶との関係を邪推され、冷や水を浴びせられたように鼻白む。女で釣れないならと男を宛がおうとしたナヴァスと、何も違わない低劣さだ。
下衆の勘繰りも甚だしく、男に口説かれていたという衝撃は潮が引くように霧散していた。
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