トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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4章

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 最後は冷笑を浮かべたテオバルドに、――志貴は頭の中が真っ白になった。
 協力関係にあるスペインの外相が、日本公使館の一等書記官に対し色仕掛けを行なっていたと、テオバルドは言っているのだ。しかも言外に、過去に志貴以外の館員にも罠は仕掛けられていたことをほのめかしている。

「まさか、私の同僚たちは、彼の策略に嵌まったのか……?」
「さすがに梶は、いくら払えば寝返って、フェデリコの弱みを握ってくれるかと交渉してきたそうだ」

 つまり、本丸は落とせなかったが、いくばくかの戦果はあったのだ。
 桐機関の情報は、日本だけが握っているのではなく、スペイン、ドイツとも共有している。重要な機密情報を提供しているのに、さらに探りを入れられるのは心外だった。――しかも下世話な手段で。
 梶が自らに掛かる火の粉を払っている時点で、同僚たちに厳しく釘を刺していることは間違いない。志貴に一言もなかったのは、それだけ信用されているということだろう。
 その点だけは誇らしいが、やはり男というのは、どうしようもなく卑小な生き物なのかとため息が出る。もしこのことを、卑小な男という生き物の対極にある女――母、君子が知ったら、「さあ皆様、性根を鍛え直して差し上げます」とにこやかに薙刀の切先を突き付け迫り来るのは確実だ。

(……それにしても)

 首根っこを無理矢理押さえつけるような品位のないやり方に、嫌悪感が募る。『お気に入り』を見つけるように勧めたのも、一夜の過ちを期待してのことだったのだ。
 色仕掛けで日本人を心身ともに籠絡して、何を得ようというのか。枢軸とはいえ、欧州から遠く隔たった東洋の島国の外交官を懐柔しても、得られるものなど少ないだろうに。
 おそらく日本そのものではなく、その同盟国であるドイツへの、自国に有利になるような働きかけを期待してのことなのだろう、と志貴は推測する。そうせざるを得ない事情が、ナヴァスにはあるのかもしれない。
 人の好い笑顔の裏で罠を張り巡らせているあたり、ある意味信用できる男だ。一国の外相として、彼はためらうことなく打てる手をすべて打っている。だから業腹であっても、志貴はその懐に入り込むために、これまで通り友好的に振る舞うしかない。罠に落ちないように心身を鎧い、懇親会に招かれれば出向き、闘牛を観に行けというならその誘いに乗るだけだ。

 気分は悪いが、外相としての立場は理解できるだけに、その手の内を暴露して『友達』の企みを妨害しているテオバルドの思惑は謎だった。居心地の悪い視線から連れ出してくれたのも、こうして今夜の種明かしをしてくれたのも、正直助かったが、彼の立場からしたら国益に反するのではないか。
 もしくは、志貴がまんまと罠に掛かるのを見物に来て、男たちの手際の悪さに黙っていられなくなったのか。
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