トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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3章

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「その一番容赦なく強い女の血を引く、えげつなく芯が強くて冷たい、なのにこの上なく可愛い男があんたってことか。道理で手に負えないわけだ」

 真面目に戯曲について意見を交換していたはずが、妙な方向へ話を曲げられ、志貴は不満気に眉を寄せた。

「せっかくシェイクスピアについて意見を交わせると思ったのに、どうして君はそう余計な茶々を入れるんだ」
「俺からしたら、シェイクスピアなんぞはあんたを知るための道具の一つに過ぎない」
「だったら尚更、真面目に話して私という人間の思考を深く掘り下げればいいじゃないか」
「俺が掘りたいのは思考じゃなくて、魅力的なあんたの――」

 言い掛けて、賢明にも口を噤んだテオバルドは、何事もなかったかのように、その整った顔に罪のない笑みを浮かべてみせる。

「明日とは言わない。この戦争が終わったら、一緒にウエスト・エンドに舞台を見に行こう」
「え……」
「バーナムの森だって動くんだ。俺たちだって、どこにでも行けるはずだ。ウエスト・エンドでも、ストラトフォード=アポン=エイヴォンでも、どこだって」

 明るく、そして力強く誘われ、その内容と断られることなどあり得ないといった態度に、志貴は思わず破顔する。

「いいね、ぜひ行こう」

 ウエスト・エンドで観劇。
 なんて素敵な、遠い夢のように美しい約束なのか。絵空事でも、今志貴にこんな誘いの言葉を掛けてくるのは、テオバルドくらいだろう。

「……初めてちゃんと笑ったな」

 目を細めて自分を凝視しているテオバルドに気付いて顔を引き締めたが、ラテン男は「惚れ惚れするような美人の笑顔だ」だの「もっと笑ってくれ」だのとしつこい。

「こうしてあんたは、易々と俺をたらし込むんだ。本当に質の悪い男だ。どうせなら笑顔の大安売りでもして、俺をあんたの犬に堕としてくれよ」

 ぎょっとするような強烈な言葉に一瞬たじろいだが、動揺は内に押し留め、冷たくせせら笑う。
 基本が失礼で有能なスパイは、振る舞いは浮ついていても深い闇を内包している。底の知れない昏さを垣間見せた微笑みは、背筋が震えるほど壮絶な色気をたたえていた。一歩でも足を踏み入れたら、たちまち引きずり込まれ、二度と抜け出すことはできない沼のような――。
 あの闇に足を踏み入れてはならない。その奥に何を隠しているのか、迂闊に触れてはならない。長い海外生活で磨かれたある種の勘、危険を回避する感知器官がそう告げている。

 口先では何を言おうと、テオバルドは懐に入れて可愛がれる忠犬ではない。思い通りにならない駄犬相手なら、それなりの扱いが必要だ。

「君には私を笑わせる才能が足りないようだし、君など飼ったらたちまち手を噛まれそうだから、やめておく」
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