トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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2章

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「性別を問わず人に不快な思いを抱かせる人間は、周囲に良い影響を与えません。この小さな集団では致命的です。素晴らしい仕事をするのに、立場が下だからと軽んじるなど、私の部屋では看過しません」
「そういう潔く清しいところが、誰も彼もを引き付けるのだろうな。公使館の書記官室は、国籍を問わず気軽な来客が多いと聞いている。梶さんが志貴を副官に指名したのも、その性質が大きいのだろう。――最近毎日のように逢引している彼とも、上手くやっているそうじゃないか」
「ご冗談を」

 あの一見軽薄な小麦色の色男のことを休みの日にまで思い出してしまい、志貴は顔を顰めた。
 桐機関のことは極秘事項で武官府にも伏せられているが、志貴が仕事で現地人と定期的に会っていることは、公使館員なら知っていることだ。特に口止めもしていないから、一洋は道場に通う書記生にでも聞いたのだろう。

「彼は仕事相手です、上手いも下手もないでしょう。私のスペイン語が堅すぎるとケチをつけて、時々俗語を教えられるくらいですよ」
「俗語? 志貴が?」

 志貴を品行方正な優等生と思っている節のある一洋は意外な顔をしたが、英語であれば、志貴はイギリスの同年代と同等の俗語を自在に操ることができる。最初の任地であるイギリスでも仕事では使用する機会がなく、今はスペインでさらに使うことがないため、すっかり錆びついているが。
 父の任地が点々とするのに合わせて転校するのは教育上好ましくないということで、志貴はイギリスの地方にある寄宿学校に入れられていた。そこでは東洋人に対するいじめもあったが、持ち前の負けん気と母の教えでやり返し、決して屈することのなかった志貴は、その間にかなり俗語の語彙を増やしたのだ。
 しかしこの地の俗語の自称教師は、望んでもないのに余計なことを吹き込んでくる。最初の頃はスパイ特有の符号なのかと勘繰り、メモを取っては現地人の公使館員に確認してただの卑猥な俗語だと判明し、苛立ちを覚えたことは両手の指では足りない。

「俗語を教わるくらいなら、こうして二人でいる時ぐらい、昔のように話してくれよ。俺もたまには気心の知れた相手に、肩の力を抜きたいんだ」

 疲れが滲む調子で頼まれて、断ることなどできるはずもない。それをわかっていて甘えてくる一洋は質が悪いし、そんなところも含めてこの人の魅力なのだと認めている志貴は拒めない。
 仕方なく、志貴は幼馴染の名を呼んだ。

「……イチ兄さん」
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