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1章
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「志貴を紹介した時、梶は散々俺を牽制していたな。俺はよほど悪い男に見えるのか、梶があんたを特別可愛がっているのか」
両方だろう、と志貴は思ったが口にはしない。志貴を侮辱し怒らせたところで何の得もないのに、まるで意図の掴めない男の言動は、不可解の一言に尽きる。寒さもあり長々と付き合う気には到底なれず、さっさと答えを促した。
「それで結局、何を言いたいんです」
「俺はいじらしくて可愛いオンナに弱いってことだ」
不意に腰を取られ、うなじも押さえられて、テオバルドの顔が近づいてくる。咄嗟に志貴は一歩下がり、男の腕を振り払った。
その左手で相手の襟、右手で袖の中ほどを掴み、右足を一歩踏み込んで、男を自らに強く引き付ける。その勢いのまま腰の高さまで真っ直ぐ振り上げた左脚を、男の左膝の内側目掛けて振り下ろす。
呆気なく後ろから脚を払われた男は背中から石畳に叩き付けられ――たらよかったのだが、流石にそこまではできない。
志貴は払う脚の力を加減し、テオバルドの外套を強く掴んでその体が地面と激突するのを回避した。それでも無様に引っくり返った男は、我が身に起こったことを俄かには理解できないらしく、呆然と呟く。
「……何だ、今のは」
「柔よく剛を制す。――柔道だ。嘉納治五郎を知らないか」
「柔道……日本の武術か」
驚愕に足を取られながらも立ち上がり、外套の埃とともに動揺を払うテオバルドに、手は差し伸べなかった。個性として認められる範囲を越えた無礼を、志貴は認める気はなかった。
屈辱的な方法で退けられたのに、テオバルドはむしろ興味を覚えたようだ。凍天を溶かすような熱心さで、真っ直ぐに志貴を見つめてくる。――ただし、十分な距離を保った上で。
「触れなば落ちん風情の美人なのに、とんだじゃじゃ馬だ」
「私が母似で、母が美しい人であることは認める。ただし彼女は烈女で、その薫陶を私は受けているということだ」
たおやかな見かけに反し舌鋒鋭く、しかも薙刀の名手で、手心を加えることなく無礼な男どもの心身いずれも薙ぎ払っていた若かりし頃の母には、悔し紛れに陰口を叩く負け犬の群れと、熱烈な崇拝者たちがいたそうだ。その強靭な個性に惚れ込み惚れ抜いて、やっとの思いで妻になることを承諾してもらった時には、天にも昇る心地のあまり腰が抜けたものだ、と父はいつも惚気ていた。
祖父の仕事について少年期までをイギリスで過ごした父は、女性に対する感性が、土着的な日本人のそれとは異なっていたのだろう。照れもせず折に触れ妻を称え、母もそんな父を愛し尊敬していた。
その二人の息子であることは、志貴の誇りだ。母の容貌とそれに伴う面倒までも受け継いでしまったが、ならば母と同じように、掛かる火の粉は自らの手で払うだけだ。
両方だろう、と志貴は思ったが口にはしない。志貴を侮辱し怒らせたところで何の得もないのに、まるで意図の掴めない男の言動は、不可解の一言に尽きる。寒さもあり長々と付き合う気には到底なれず、さっさと答えを促した。
「それで結局、何を言いたいんです」
「俺はいじらしくて可愛いオンナに弱いってことだ」
不意に腰を取られ、うなじも押さえられて、テオバルドの顔が近づいてくる。咄嗟に志貴は一歩下がり、男の腕を振り払った。
その左手で相手の襟、右手で袖の中ほどを掴み、右足を一歩踏み込んで、男を自らに強く引き付ける。その勢いのまま腰の高さまで真っ直ぐ振り上げた左脚を、男の左膝の内側目掛けて振り下ろす。
呆気なく後ろから脚を払われた男は背中から石畳に叩き付けられ――たらよかったのだが、流石にそこまではできない。
志貴は払う脚の力を加減し、テオバルドの外套を強く掴んでその体が地面と激突するのを回避した。それでも無様に引っくり返った男は、我が身に起こったことを俄かには理解できないらしく、呆然と呟く。
「……何だ、今のは」
「柔よく剛を制す。――柔道だ。嘉納治五郎を知らないか」
「柔道……日本の武術か」
驚愕に足を取られながらも立ち上がり、外套の埃とともに動揺を払うテオバルドに、手は差し伸べなかった。個性として認められる範囲を越えた無礼を、志貴は認める気はなかった。
屈辱的な方法で退けられたのに、テオバルドはむしろ興味を覚えたようだ。凍天を溶かすような熱心さで、真っ直ぐに志貴を見つめてくる。――ただし、十分な距離を保った上で。
「触れなば落ちん風情の美人なのに、とんだじゃじゃ馬だ」
「私が母似で、母が美しい人であることは認める。ただし彼女は烈女で、その薫陶を私は受けているということだ」
たおやかな見かけに反し舌鋒鋭く、しかも薙刀の名手で、手心を加えることなく無礼な男どもの心身いずれも薙ぎ払っていた若かりし頃の母には、悔し紛れに陰口を叩く負け犬の群れと、熱烈な崇拝者たちがいたそうだ。その強靭な個性に惚れ込み惚れ抜いて、やっとの思いで妻になることを承諾してもらった時には、天にも昇る心地のあまり腰が抜けたものだ、と父はいつも惚気ていた。
祖父の仕事について少年期までをイギリスで過ごした父は、女性に対する感性が、土着的な日本人のそれとは異なっていたのだろう。照れもせず折に触れ妻を称え、母もそんな父を愛し尊敬していた。
その二人の息子であることは、志貴の誇りだ。母の容貌とそれに伴う面倒までも受け継いでしまったが、ならば母と同じように、掛かる火の粉は自らの手で払うだけだ。
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