トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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マドリード 1943

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 隣に座りながら「束の間の散歩を楽しむ志貴を、俺も楽しむことにしよう」などとふざけたことを言う男に、とうとうため息が漏れる。

「――テオ。いつまでも馬鹿なことを言ってないで、『それ』を」

 シャツの胸ポケットを目で差しながら、志貴は男を――テオバルドを促した。
 同い年の、小麦色に焼けた健康そうな異国の青年。
 彼が外見そのままの、太陽の申し子のように陽気な青年ではないことを、志貴は知っている。そしてテオバルドも、志貴が深窓の令息のような、優雅で大人しい見た目通りの人間ではないことを知っている。
 受け取った封筒を、麻のサマージャケットの内ポケットに丁寧に収める志貴の手元を、テオバルドの視線が追う。奥底に剛い意志を秘めた濃褐色の瞳は、二人の数少ない共通点の一つだ。

「俺の恋文、あんたも読んでるんだろう?」
「……私は何も知らない」
「つれないな」

 わざとらしく肩を竦めてから妖しく流し目を送られ、こんな時なのに受け取った封筒を本物の恋文と錯覚しそうになる。この一年半で随分慣れたが、この手のラテン男の冗談は、今もすべては躱すことができない。
 この国の男たちが、呼吸するように女性の誉め言葉を口にし愛を囁く生き物だと知ってはいたが、その対象を男にも拡げる男は殆どいない。殆ど――つまり皆無ではないことは、残念ながら目の前の男が証明している。それでも冷たく鼻先で叩き落とさないのは、テオバルドのそれが本気ではないと――そう思うことを許されているからだ。

「志貴が読んでくれなくても、『パパ』は読んでる。あんたの『パパ』は随分悠長だな。大事な息子に危機が迫ってるのに、俺の知る限り、何の手も打っていないようだ」
「『パパ』には『パパ』の考えがあるんだろう」
「あんたまでそんなことを言うな。悠長ってのは、日本人の風土病か。――もしくは見て見ぬふりの現実逃避か」
「……テオ、言い過ぎだ」
「わかっているはずだ、志貴」

 陽気な兄ちゃんの顔を消し去って、テオバルドが志貴の腕を掴んでくる。その力は強く、肌に食い込む指先から男の苛立ちと焦燥が志貴の中に送り込まれ、血流に乗って全身を侵していくようだ。その不穏な心のざわめきを、不安に変換してはならない。自分たちは、それが許される存在ではない。
 目には見えない、しかし確実に近づいている大いなる禍。その不安に怯える人々を守る盾。そう在るために、志貴はこの国を訪れ、この男と出会ったのだから。
 やさしげな顔に強く腕を掴まれた痛みを微塵も浮かべず、無言のまま見返す志貴に、テオバルドは眉をひそめる。一瞬ちりっと苛立ちを露わにした直後、綺麗にそれを消し去ると、不意にその精悍に整った顔を近づけて睦言のように囁いた。

「俺たちに残された時間は、――もう長くない」
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