絵の中に棲む夢

音羽夏生

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 文也を傷つけないよう、怯えさせないよう、細心の注意を払って、景は自分を文也の体の隅々まで刻みつけた。
 体に留まる魂の残りが少ないせいか、単に緊張のせいか、文也の細い体は冷えきっていた。寝室の場所を訊いて二人でそこへ向かい、中に入って扉を閉めるまで、景も文也も無言のまましがみつくようにお互いにの体に腕を回していた。

 外はいつの間にか嵐のような土砂降りで、薄暗い部屋の中、景は文也の頬を手のひらで包み、静かに唇を重ねた。欲情の発露ではなく、冷えきった文也の体を、心をほぐすような、やさしさに満ちたキスを与える。
 頬に添わせた手を背中に下ろし、抱き寄せて再度唇を重ね舌を差し入れても、文也は抵抗しなかった。しかし応える術も持たないようで、されるがままに、何度も与えられるキスを甘受している。
 嫌がる様子を見せない文也に、景の中に歓喜が満ちていく。

 今の文也は文字通り魂の抜け殻で正常な状態ではなく、この行為が卑怯という汚名を被るに値するものであることは自覚している。それでも今、差し伸べた手を取ってくれた文也を手放すことはできなかった。何よりも、文也は一人ではなく、少なくとも自分の愛情を独占していることを知り、襲い来る寂寥感から身を守る盾にしてほしかった。
 シャツのボタンを外してやり、ベッドに横たえ、自分も服を脱ぎ捨ててその横にもぐり込んだ。熱を分け与えるようにその肌をやさしく愛撫し、文也が反応を示した場所は唇を押し当てて吸い上げた。力なく投げ出された体を根気よく、ゆっくりと煽り立てていく景を、涙に濡れた瞳で文也はぼんやりと見つめている。今自分の身に起きていることを、現実のものと認識できていないようだ。

 冷えきっていた肌に熱が戻り、薄く汗を浮かべ、時々あえかな声を洩らすようになるまで、景は文也を高めることをやめなかった。腕の中の頼りない体が感じて悶えるように身じろぎする様だけで、景は十分に熱くなる。
 文也が自分を取り戻した時、自分とのこのような関係を拒絶する可能性は高く、これが愛しい者と触れ合う最初で最後の機会であるかもしれないと思うと、こみ上げる切なさの分、体中を駆け巡る熱もとどまることなくその温度を上げていく。
 丁寧に馴らしたそこに、なるべく負担を掛けないようにゆっくりと押し入り、一つになった時、文也は言葉にならない悲鳴を上げて仰け反った。

「……わかる? 俺達、今、一つになってる」

 羞恥と痛みと快楽と。上気した頬に涙を零しながら、文也は無言で頷く。挿入の衝撃で引き戻されたのか、今その眼は確かに景を――景だけを映していた。

「君は俺のものになったんだ、俺も君のものに。俺から逃げることはできないし、俺は君の側を離れないよ」

 文也の体が景に馴れるのを待ち、今にも突き動かしたい衝動を堪えながら、景は文也の顔に、額に、首筋に、キスの雨を降らせる。

「好きだよ……気が変になるくらい。誰にも渡したくないくらい。だからあんな寂しい絵の中に閉じこもるのはやめてくれ」

 魂を揺らすことなく、ずっと側にいると誓う自分を見ていて。誓いを証明してみせるから。
 祈りが伝わるように額と額を擦り合わせた時、互いに握り合っていた手をほどき、文也の腕が景の首にそっと回された。

「好き……上嶋さん、大好き……」

 小さな囁きだったが、景の耳に確かにそれは届いた。
 するりと耳にすべり込み、ゆっくりと胸に底に落ちて砂金のように弾けた。
 景は黙ったまま文也を抱きしめ、身の内で荒れ狂う歓喜の嵐に耐えた。

 自覚してすぐ恋の成就を諦め、一生返されることはないと思っていた言葉に、狂おしい痛みのような熱が全身に宿る。絶対に文也を傷つけないと自分に課した戒めを引き千切り、思うままに愛する少年の体を貪りたいという獣の衝動を、何とか押さえ付けた。
 文也に負担を掛けないようにぎりぎりまで我慢しながら、奥を探り、求め、文也とともに快楽の階を一つ一つ上っていく。声にならない叫び声を上げて文也が意識を飛ばしそうになるたびに引き戻し、泣き濡れて懇願するのをキスで封じて、更なる高みを目指した。

 初めての感覚に怯えを隠せない文也が、羞恥に身をくねらせて内に灯る未知の快楽を逃そうとする様は言葉にできないほど艶かしく、景の熱情を絶えることなく煽った。
 少年の吐息一つに翻弄され、自分を失わないように舌を捩じ込んでその唇を塞ぐ。苦しそうに呻けば、唇を離して耳元で甘い囁きを送り込み、自分の存在を脳髄にまでしみ込ませた。
 不安に思うことはないのだと、寂しさを感じる必要はないのだと、いつも自分は側にいるのだと、文也の心に体に何度も何度も教え込んだ。
 共にその頂に達した時に感じたのは、得も言われぬ安堵感と、今まで知らなかった悦楽。
 体だけではなく、心までも交わし合うこの行為が、これほど気持ちいいものだと景は知らなかった。文也だから、心の底からさらうように恋に落ちた文也だから、相手を気遣い自分を抑えての交情でも、こんなに感じるのだとわかる。目眩がするほどの至福が、心地よい疲労感にたゆたう景の全身を包み込んでいた。

 腕の中で気を失い、くたりとその体を預けてくる文也の汗に濡れた前髪をかき上げ、額にもう一度誓いのキスを落とす。起こさないようにそっと腕を回し、細い体を抱きしめた。
 もう少ししたら体を清めてやろうと思いながら、今はまだ腕の中の確かなぬくもりを感じていたかった。
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