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第八話 割れる空
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「いやー、こうして大学のゼミ仲間と集まるのも久しぶりだな!」
助手席の友人は声高らかに言い放った。
なんだか演技っぽい言い方だったが、確かにこうして集まるのは、久しぶりだった。
大学を卒業して、もう一年経ち、僕らは二十三歳になってしまっていた。
僕はとりあえず、何か返事をしようと思って、高速道路に流れる紅葉した景色を見ながら、呟いた。
「そ、そうだね。僕も久しぶりに皆に会えて嬉しいよ……」
さり気なくバックミラーから彼女を見る。
茶色い肩までウェーブした髪を撫でながら、つまらなそうに外を見ていた。
相変わらず可愛くて、持ってるハンドルに汗が滲んだ。
今日、僕は、これから行く遊園地で、彼女に告白をする。
大学時代から好きだったけれど、彼女に彼氏がいたので諦めていた。
助手席にいる友人が、彼女が別れたばかりでチャンスだぞと、今日の計画を立ててくれたんだ。
彼は大学の頃から最高の友達だった。
僕とは違って、ルックスも良くて、優しくて。
在学中は常に彼女が居たにも関わらず、冴えない僕の相談にも乗ってくれたし、よく一緒に通話しながらゲームで騒ぐ仲だった。
今の声かけも、きっと盛り上がっていない車内を何とかしようと、気を使ってくれたんだと思った。
僕の灰色のワゴン車は、三列シートで六人乗りだ。
真ん中の列の、助手席側に彼女が座っている。
その隣には今から行く遊園地マニアの女子が、遊園地の雑誌を静かに読んでいた。
三列目には大学時代から付き合っている二人組が、二人の世界を作り出していた。
幸せそうな二人をバックミラー越しでも、何だか直視したくなかった。
特に会話も無く遊園地に着いてしまった。
ゼミの頃も僕は、自分から話せるような人間じゃなかったから、誰かが話しかけてくれるのを待つしか出来なかった。
助手席の彼が、何だかソワソワしていて、彼もこれから告白する僕のことを思って、緊張してくれているのかなと思っていた。
彼はいつも優しかったから。
遊園地のゲートを潜ると、曇り空にも関わらず、天気なんて関係ないように明るい世界が広がっていた。
沢山のカップルや、家族連れが笑顔で歩いている。それだけで、何だか幸せを分けてもらえる気がするほどだった。
「それじゃあ、俺らはここから別行動で」
「ねー、ウチらは君たちと違ってカップルなので。ごめんなさいねー」
カップルの二人が颯爽と歩き出すのを、彼が優しく茶化しながら見送った。
「はいはい!どうぞ、お幸せに!ほら、お前も何か言ってやれ。あのバカップルに」
僕は肩を叩かれて、頭が真っ白になりながら、なんとか答えた。
「その、あの、楽しんできてね!」
「はは!お前その言い方、スタッフじゃねえか!」
彼と彼女に笑われながらも、彼女が笑ってくれているのが嬉しくて、緊張の中に甘い気持ちが広がっていた。
「それじゃあ、ごめん、私、今回は本気で巡りたいから。別行動させてもらうよ」
遊園地マニアの女子が、いつのまにか黒色の眼鏡をかけていた。
おかっぱ頭の髪をかき上げながら、キャラクターの付け耳を付けて、小走りで去って行った。
それを見送ることなく、彼が思い出したかのように、演技臭さの抜けない感じで、僕と彼女を見ながら話し出した。
「お、おい待てよ!わりい!俺、あの子に遊園地の隠れスポットを、教えてもらう約束してたんだよ!その、後で合流しよう!な!そっちも楽しんでな!」
少しウィンクをするような首の傾げ方で、僕に合図を送って、彼も走り去ってしまった。
残された彼女は、少し驚いた表情のまま固まっていた。
「あー。あはは、なんか残されちゃいましたね……」
僕は、いよいよ緊張し過ぎて破裂しそうな心を引きずりながら、何とか彼女に声をかけた。
「……そう、みたいですね」
呆気に取られながら答える彼女は、薄いピンク色のフェルト生地のようなロングコートを着ていた。
真っ白い大きなモコモコのファーの上に、彼女のウェーブかかった髪が光って見えていた。
くっきりとした目に、濃い目の化粧が良く似合っていた。艶のある、はっきりとしたピンク色の唇が輝いている。
恥ずかしくて彼女の顔を、じっと見ることが出来なかった。
目線を下げると彼女の細い足がタイツ越しに見えて、余計に緊張が膨らんでいった。
いわゆるギャル系を、僕は嫌っていた。彼女に会うまでは。
ゼミで同じ研究をしている時に、僕のした発表を、すごいと笑顔で言ってくれた。ただそれだけ。
ただそれだけが、その時の笑顔が。僕の心にイバラのように巻き付いて離れなかった。
当時は彼女に彼氏がいて、告白も出来ずにいることを、今日の計画を立ててくれた彼に、酔っ払いながら良く嘆いていたのも懐かしい。
こんな僕には彼女なんか出来たことも無かったし、女子と会話も避けてきた。
それでも彼は何の根拠もなく、思いを伝えた方が良いと背中を押してくれたんだ。
今、僕は彼女と二人きりでいる。
その事実が胸を窮屈に震わせていた。手が凍ったように冷たく感じる。
何度も彼女と手を繋ぐ妄想はしてきたのだけれど、妄想とは違って、現実の僕は彼女を前にして、何も話せなくなってしまっていた。
「……あのー。とりあえず後で合流するみたいですし、お土産屋にでも入りましょうか?」
彼女が、こちらを探るように聞いてきて、僕は覚悟を決めた。
どうせ振られるのは分かっている。
きっと伝えても迷惑になるのも分かっている。
それでも、僕の気持ちを伝えたかった。
理屈じゃない、それは僕のわがままだって分かっている。
色んな考えが一瞬で頭をショートさせたまま、僕は彼女の茶色いブーツを見ながら何とか答えた。
「そ、そうですね、あの、その、よろしくお願いします」
「え?何をです?」
「あ、いや、何でもないです。その、行きましょうか」
「あはは、何か緊張されてます?」
「い、いや!だ、大丈夫です!」
「ふーん、なら良いですけど」
何か話さなきゃ、彼女が喜ぶような話をしなきゃと思えば思うほど、口が機能を忘れてしまったかのように、言葉が出なくなってしまった。
何も話さずに、ただ、何も考えれずに、いくつかのお土産屋を巡った。
商品を見たり、携帯電話を操作する彼女を、ただ僕は後ろから見守るような、不思議な散歩が三十分ほど続いた。
時々、彼女と目が合う度に、申し訳ない気持ちと、どうしようもなく嬉しい気持ちが混同して、胸が締め付けられるように痛かった。
「……あのー。そろそろ合流するって連絡来ましたし、そこで何か飲みながら待ちますか?」
彼女が遠慮がちに、テラス席を指差した。
「そ、そうですね!あそこだったら、向こうにも場所分かりやすいですし!」
店内でそれぞれホットココアを別々に注文して、テラス席へと座った。
僕が奢るよ。そう言いたかったけれど、ついに何も言えなかった。
「少し、寒いですね……」
彼女が白い息をホットココアの湯気に混ぜながら、そっと呟いた。
「そ、そうですね……」
そして沈黙。
携帯電話を操作する彼女を見ることも出来ずに、周りを見渡した。
テラス席には、曇りの寒い秋空のためか、僕らしか座っていなかった。金属の椅子が背中に流れる汗を冷たくしていた。
そろそろ合流してしまうなら、ここで言うしかない……
このまま彼女と会話が無かったとしても、一緒に居たかった。
でも、分かっている。こんな僕のためにセッティングしてくれた彼のためにも、僕は気持ちを伝えないといけない。
大学を卒業したあとも、彼女のことばかり頭に浮かんで、ろくに就職活動もせずにフリーターとして、ダラダラと生活を続けてしまった。
ここで勇気を振り絞れば、何かが変われる気がして、僕は震える口で大きく息を吸い込んだ。
「あ、あの!」
「へ!あ、はい。なんですか?」
彼女が驚いて携帯電話を手放しそうになりながら、僕を見た。
もう、その瞳から目を離さない。
言おう。
たった一言で良い。
言え。言ってしまえ。
「そ、その、好きです!付き合って、く、下さい!」
全身が凍っていくように冷たくなる感覚の中、頭だけがやけに熱く、ボヤける視界に、困惑の表情の彼女がいた。
「え、え。あ。その、ごめんなさい。私、好きな人がいるので……」
灰色の空が落ちて来たように、世界が暗くなった気がした。
何が起きているのか分からないまま、席を立つ彼女の腕を、無意識に掴んでいた。
「ちょっと!止めてよ!気持ち悪い!」
すごい力で振り解かれて、椅子から転げ落ち、冷たい地面に顔を打ち付けた。あまりの痛さに頭が割れたと思った。
「なんでこんな奴に告白されなきゃいけないのよ!なんか触ってくるし!あり得ないんだけど!」
目の前に立つ彼女の声が、とても遠くに聞こえた。
僕は、彼女に謝ろうと思って、揺れる脳を引きずって、地面を舐めるように彼女に近付いた。
「やだ!来ないでよ!」
彼女に頭を蹴られて、椅子の脚に後頭部を打ち付けたらしい、激しい痛みが全身を抜けるように走った。
「ほんっと、あり得ない!私、彼と帰るから!あんた一人で帰りなさいよ!他の皆にも、あんたが私にしたこと言ってやるから!さっさと帰れよデブ!おい!」
彼女は何度も僕を蹴った。
亀のように丸まって、罵声を浴びながら蹴られる。
何度も。何度も。
遠のく意識と痛みの中で、彼女が好きな人。彼の演技っぽい笑顔が、僕の頭に浮かんで離れなかった。
そうか、そりゃ、僕なんかより、彼の方が良いに決まっている。
こんなに彼女のことを怒らせてしまって、申し訳ない気持ちと、僕は確かに失恋したんだと気付いて、頭から流れる血と共に、涙が溢れて止まらなかった。
「ちょ、ちょっと!何してるんだ!」
遊園地のスタッフなのか、通りかかった人なのか分からない。誰かが彼女を止めている気がした。
「触んないでよ!こいつが悪いのよ!私は何も悪くない!私、もう行くから!お前、分かったら、さっさと帰れよ!ほら!今すぐ!」
このままだと彼女が捕まってしまう気がして、僕は何とか立ち上がった。
歪む景色の中で、雨が降り始めているのに気が付いた。
早く帰らなきゃ。
僕は、ここに居てはいけない。
来るべきではなかったんだ。
彼女を好きになって良い人間では無かったんだ。
痙攣する足を引きずって、出口を探すように歩き出した。
「ちょっと君!大丈夫なのか!救急車呼ばないと!」
心配して駆け寄る人々の声が、嫌に反響して頭を痛くしていた。
「大丈夫だから!僕は……。大丈夫だから……」
「ほら!大丈夫って言ってんじゃねえか!なに被害者面してるんだよ!こっちが痴漢で訴えたいくらいだよ!さっさと帰れよ!」
彼女の罵声と、酷く歪んだ顔。
雨が跳ね返り、僕の血が滲んでいく。
世界が狂ったように笑っている気がした。
何とか逃げるように、車まで辿り着いて、運転席で痛む頭を抱えるように、ハンドルの下で丸く、うずくまった。
ポケットの携帯電話が、振動していた。
彼からの数回の着信と、何があったのか心配している連絡。
彼と彼女が、幸せそうに、晴れ渡る遊園地を笑顔で歩いている。そんなイメージが、痛みで反響する脳に突き刺さって、取れなかった。
気付けば激しい雨が打ち付ける車内で、僕は泣きながら絶叫して、携帯電話を何度も殴っていた。
助手席の友人は声高らかに言い放った。
なんだか演技っぽい言い方だったが、確かにこうして集まるのは、久しぶりだった。
大学を卒業して、もう一年経ち、僕らは二十三歳になってしまっていた。
僕はとりあえず、何か返事をしようと思って、高速道路に流れる紅葉した景色を見ながら、呟いた。
「そ、そうだね。僕も久しぶりに皆に会えて嬉しいよ……」
さり気なくバックミラーから彼女を見る。
茶色い肩までウェーブした髪を撫でながら、つまらなそうに外を見ていた。
相変わらず可愛くて、持ってるハンドルに汗が滲んだ。
今日、僕は、これから行く遊園地で、彼女に告白をする。
大学時代から好きだったけれど、彼女に彼氏がいたので諦めていた。
助手席にいる友人が、彼女が別れたばかりでチャンスだぞと、今日の計画を立ててくれたんだ。
彼は大学の頃から最高の友達だった。
僕とは違って、ルックスも良くて、優しくて。
在学中は常に彼女が居たにも関わらず、冴えない僕の相談にも乗ってくれたし、よく一緒に通話しながらゲームで騒ぐ仲だった。
今の声かけも、きっと盛り上がっていない車内を何とかしようと、気を使ってくれたんだと思った。
僕の灰色のワゴン車は、三列シートで六人乗りだ。
真ん中の列の、助手席側に彼女が座っている。
その隣には今から行く遊園地マニアの女子が、遊園地の雑誌を静かに読んでいた。
三列目には大学時代から付き合っている二人組が、二人の世界を作り出していた。
幸せそうな二人をバックミラー越しでも、何だか直視したくなかった。
特に会話も無く遊園地に着いてしまった。
ゼミの頃も僕は、自分から話せるような人間じゃなかったから、誰かが話しかけてくれるのを待つしか出来なかった。
助手席の彼が、何だかソワソワしていて、彼もこれから告白する僕のことを思って、緊張してくれているのかなと思っていた。
彼はいつも優しかったから。
遊園地のゲートを潜ると、曇り空にも関わらず、天気なんて関係ないように明るい世界が広がっていた。
沢山のカップルや、家族連れが笑顔で歩いている。それだけで、何だか幸せを分けてもらえる気がするほどだった。
「それじゃあ、俺らはここから別行動で」
「ねー、ウチらは君たちと違ってカップルなので。ごめんなさいねー」
カップルの二人が颯爽と歩き出すのを、彼が優しく茶化しながら見送った。
「はいはい!どうぞ、お幸せに!ほら、お前も何か言ってやれ。あのバカップルに」
僕は肩を叩かれて、頭が真っ白になりながら、なんとか答えた。
「その、あの、楽しんできてね!」
「はは!お前その言い方、スタッフじゃねえか!」
彼と彼女に笑われながらも、彼女が笑ってくれているのが嬉しくて、緊張の中に甘い気持ちが広がっていた。
「それじゃあ、ごめん、私、今回は本気で巡りたいから。別行動させてもらうよ」
遊園地マニアの女子が、いつのまにか黒色の眼鏡をかけていた。
おかっぱ頭の髪をかき上げながら、キャラクターの付け耳を付けて、小走りで去って行った。
それを見送ることなく、彼が思い出したかのように、演技臭さの抜けない感じで、僕と彼女を見ながら話し出した。
「お、おい待てよ!わりい!俺、あの子に遊園地の隠れスポットを、教えてもらう約束してたんだよ!その、後で合流しよう!な!そっちも楽しんでな!」
少しウィンクをするような首の傾げ方で、僕に合図を送って、彼も走り去ってしまった。
残された彼女は、少し驚いた表情のまま固まっていた。
「あー。あはは、なんか残されちゃいましたね……」
僕は、いよいよ緊張し過ぎて破裂しそうな心を引きずりながら、何とか彼女に声をかけた。
「……そう、みたいですね」
呆気に取られながら答える彼女は、薄いピンク色のフェルト生地のようなロングコートを着ていた。
真っ白い大きなモコモコのファーの上に、彼女のウェーブかかった髪が光って見えていた。
くっきりとした目に、濃い目の化粧が良く似合っていた。艶のある、はっきりとしたピンク色の唇が輝いている。
恥ずかしくて彼女の顔を、じっと見ることが出来なかった。
目線を下げると彼女の細い足がタイツ越しに見えて、余計に緊張が膨らんでいった。
いわゆるギャル系を、僕は嫌っていた。彼女に会うまでは。
ゼミで同じ研究をしている時に、僕のした発表を、すごいと笑顔で言ってくれた。ただそれだけ。
ただそれだけが、その時の笑顔が。僕の心にイバラのように巻き付いて離れなかった。
当時は彼女に彼氏がいて、告白も出来ずにいることを、今日の計画を立ててくれた彼に、酔っ払いながら良く嘆いていたのも懐かしい。
こんな僕には彼女なんか出来たことも無かったし、女子と会話も避けてきた。
それでも彼は何の根拠もなく、思いを伝えた方が良いと背中を押してくれたんだ。
今、僕は彼女と二人きりでいる。
その事実が胸を窮屈に震わせていた。手が凍ったように冷たく感じる。
何度も彼女と手を繋ぐ妄想はしてきたのだけれど、妄想とは違って、現実の僕は彼女を前にして、何も話せなくなってしまっていた。
「……あのー。とりあえず後で合流するみたいですし、お土産屋にでも入りましょうか?」
彼女が、こちらを探るように聞いてきて、僕は覚悟を決めた。
どうせ振られるのは分かっている。
きっと伝えても迷惑になるのも分かっている。
それでも、僕の気持ちを伝えたかった。
理屈じゃない、それは僕のわがままだって分かっている。
色んな考えが一瞬で頭をショートさせたまま、僕は彼女の茶色いブーツを見ながら何とか答えた。
「そ、そうですね、あの、その、よろしくお願いします」
「え?何をです?」
「あ、いや、何でもないです。その、行きましょうか」
「あはは、何か緊張されてます?」
「い、いや!だ、大丈夫です!」
「ふーん、なら良いですけど」
何か話さなきゃ、彼女が喜ぶような話をしなきゃと思えば思うほど、口が機能を忘れてしまったかのように、言葉が出なくなってしまった。
何も話さずに、ただ、何も考えれずに、いくつかのお土産屋を巡った。
商品を見たり、携帯電話を操作する彼女を、ただ僕は後ろから見守るような、不思議な散歩が三十分ほど続いた。
時々、彼女と目が合う度に、申し訳ない気持ちと、どうしようもなく嬉しい気持ちが混同して、胸が締め付けられるように痛かった。
「……あのー。そろそろ合流するって連絡来ましたし、そこで何か飲みながら待ちますか?」
彼女が遠慮がちに、テラス席を指差した。
「そ、そうですね!あそこだったら、向こうにも場所分かりやすいですし!」
店内でそれぞれホットココアを別々に注文して、テラス席へと座った。
僕が奢るよ。そう言いたかったけれど、ついに何も言えなかった。
「少し、寒いですね……」
彼女が白い息をホットココアの湯気に混ぜながら、そっと呟いた。
「そ、そうですね……」
そして沈黙。
携帯電話を操作する彼女を見ることも出来ずに、周りを見渡した。
テラス席には、曇りの寒い秋空のためか、僕らしか座っていなかった。金属の椅子が背中に流れる汗を冷たくしていた。
そろそろ合流してしまうなら、ここで言うしかない……
このまま彼女と会話が無かったとしても、一緒に居たかった。
でも、分かっている。こんな僕のためにセッティングしてくれた彼のためにも、僕は気持ちを伝えないといけない。
大学を卒業したあとも、彼女のことばかり頭に浮かんで、ろくに就職活動もせずにフリーターとして、ダラダラと生活を続けてしまった。
ここで勇気を振り絞れば、何かが変われる気がして、僕は震える口で大きく息を吸い込んだ。
「あ、あの!」
「へ!あ、はい。なんですか?」
彼女が驚いて携帯電話を手放しそうになりながら、僕を見た。
もう、その瞳から目を離さない。
言おう。
たった一言で良い。
言え。言ってしまえ。
「そ、その、好きです!付き合って、く、下さい!」
全身が凍っていくように冷たくなる感覚の中、頭だけがやけに熱く、ボヤける視界に、困惑の表情の彼女がいた。
「え、え。あ。その、ごめんなさい。私、好きな人がいるので……」
灰色の空が落ちて来たように、世界が暗くなった気がした。
何が起きているのか分からないまま、席を立つ彼女の腕を、無意識に掴んでいた。
「ちょっと!止めてよ!気持ち悪い!」
すごい力で振り解かれて、椅子から転げ落ち、冷たい地面に顔を打ち付けた。あまりの痛さに頭が割れたと思った。
「なんでこんな奴に告白されなきゃいけないのよ!なんか触ってくるし!あり得ないんだけど!」
目の前に立つ彼女の声が、とても遠くに聞こえた。
僕は、彼女に謝ろうと思って、揺れる脳を引きずって、地面を舐めるように彼女に近付いた。
「やだ!来ないでよ!」
彼女に頭を蹴られて、椅子の脚に後頭部を打ち付けたらしい、激しい痛みが全身を抜けるように走った。
「ほんっと、あり得ない!私、彼と帰るから!あんた一人で帰りなさいよ!他の皆にも、あんたが私にしたこと言ってやるから!さっさと帰れよデブ!おい!」
彼女は何度も僕を蹴った。
亀のように丸まって、罵声を浴びながら蹴られる。
何度も。何度も。
遠のく意識と痛みの中で、彼女が好きな人。彼の演技っぽい笑顔が、僕の頭に浮かんで離れなかった。
そうか、そりゃ、僕なんかより、彼の方が良いに決まっている。
こんなに彼女のことを怒らせてしまって、申し訳ない気持ちと、僕は確かに失恋したんだと気付いて、頭から流れる血と共に、涙が溢れて止まらなかった。
「ちょ、ちょっと!何してるんだ!」
遊園地のスタッフなのか、通りかかった人なのか分からない。誰かが彼女を止めている気がした。
「触んないでよ!こいつが悪いのよ!私は何も悪くない!私、もう行くから!お前、分かったら、さっさと帰れよ!ほら!今すぐ!」
このままだと彼女が捕まってしまう気がして、僕は何とか立ち上がった。
歪む景色の中で、雨が降り始めているのに気が付いた。
早く帰らなきゃ。
僕は、ここに居てはいけない。
来るべきではなかったんだ。
彼女を好きになって良い人間では無かったんだ。
痙攣する足を引きずって、出口を探すように歩き出した。
「ちょっと君!大丈夫なのか!救急車呼ばないと!」
心配して駆け寄る人々の声が、嫌に反響して頭を痛くしていた。
「大丈夫だから!僕は……。大丈夫だから……」
「ほら!大丈夫って言ってんじゃねえか!なに被害者面してるんだよ!こっちが痴漢で訴えたいくらいだよ!さっさと帰れよ!」
彼女の罵声と、酷く歪んだ顔。
雨が跳ね返り、僕の血が滲んでいく。
世界が狂ったように笑っている気がした。
何とか逃げるように、車まで辿り着いて、運転席で痛む頭を抱えるように、ハンドルの下で丸く、うずくまった。
ポケットの携帯電話が、振動していた。
彼からの数回の着信と、何があったのか心配している連絡。
彼と彼女が、幸せそうに、晴れ渡る遊園地を笑顔で歩いている。そんなイメージが、痛みで反響する脳に突き刺さって、取れなかった。
気付けば激しい雨が打ち付ける車内で、僕は泣きながら絶叫して、携帯電話を何度も殴っていた。
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