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終幕後03 アーヴァイン大司教の活躍
11. リリーの結婚と地方貴族の諍い 2
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アーヴァインがリリー=ロートンに見合いを勧める十日ほど前のことである。
「今日はお願いがあって参りました」
面会に来た男はかなり疲れた様子だった。
男の現在の状況を考えれば、当然ともいえる。
目の前の男の名はロバート=カーティス、伯爵家の当主だ。彼の長男が一躍時の人となった新興の貴族家に喧嘩を売ったことで、著しく家名を傷つけたのだ。お陰で貴族としての付き合いが難しくなり、領地にある港町の貿易にも影を落としている。
そのせいで近隣の欲深い貴族から、お家乗っ取りとも呼べるような婚姻を、圧力をかけられながら提案され、窮地に陥っている。
「ファーナム伯爵家との仲を取り持っていただきたく……」
少しの間を置いてカーティス伯爵が願いを口にする。
「夫妻にあれほどまで迷惑をかけた挙句、謝罪を受け入れさせようとするのは、随分と傲慢だとお思いでしょう。しかし領民のためにも、次期当主である息子のためにも、このまま没落を受け入れる訳にはいきません。我が家を乗っ取ろうとしている貴族家が、自分達の利益しか考えていないのは、彼かの領地の状況を見れば一目瞭然です」
一度は断られた謝罪だが、家の置かれた状況を鑑みれば、謝罪を受け入れてもらい和解することは必須だった。でなければ早晩、カーティス領は立ち行かなくなってしまう。
カーティス伯爵の病死した扱いになっている長男と違って、父親はまともだ。後を継いだ腹違いの次男も。
それは今回の面会の何年も前、長男の離婚騒動の時からの付き合いで、アーヴァインはよく知っている。公には死んだことになっている長男が、実は領地で幽閉されていることも、屋敷から出る自由はないものの、身の回りの世話をする使用人をつけられて暮らし、様子を報告させながら気遣っていることも。
本人は子の教育に失敗したことを悔いているが、起こした問題は親だからといって判るものではなかった。普段は何ら問題を起こさない息子が、唯一、元妻を前にしたときだけ異常行動を起こすことを、誰が解りえるというのか。
カーティス伯爵家は、長男の起こした騒動の影響が一年以上も続いている。社交の季節はどこからも招待状が届かず、王宮主催の貴族家の当主であれば参加可能な夜会で、顔見知りに挨拶をすれば、迷惑そうにされる始末だ。
新たな跡取りである次男の顔見せをしたくとも、現在の状況では息子を社交界に出すことは叶わない。領民を思い、派手なことを好まず、身の丈にあった生活を良しとする実直な男には、きつい日々が続いていた。
カーティス伯爵が言った通り、娘を息子の妻にと圧力をかけているゴールトン伯爵は強欲だ。領民の生活が苦しいのは、限界まで税を搾り取られているからである。
豊作の年でさえ少ないとはいえ餓死者が出る状況は、他家の領民と比較せずとも良い暮らしではない。自分の欲のために他者を踏みつけることに、何らためらいを見せることもない、冷酷な性格をしている。息子たちも父親と似たり寄ったりの性格のため、社交界での評判が悪い。娘は社交界に出ていないため性格を知らないが、どれほど気立てが良かろうが、婚家を乗っ取る駒として送り込まれるのであれば、どこの家であれ歓迎されることはないだろう。
カーティス伯爵家の新しい継嗣は、両親に似た実直な性格だ。たった一人の嫡子の代わりとして、伯爵が家の外でもうけた子供だが、関係者の全員が気を使い、日陰の身であることが世間に露見することもなく、充分な教育を受けて真っ直ぐ育った好青年だ。金を湯水の如く使う贅沢な暮らしは望めないものの、恵まれた幼少期を送っている。現在は実父に迎え入れられた家で、次期領主としての勉強を実地で学んでいるところだが、自分で商会を興し、それなりに成功していた実力があり、長男よりも良い領主になりそうな様子だ。
長男夫婦の離縁騒動の後、自分の手の者を送り込んでいるアーヴァインは、伯爵家の現状をよく把握していた。
カーティス伯爵の願い通り、領民や新たな継嗣のために力を貸すのは悪くない判断だった。
「多分、ファーナム伯爵は誠実な態度を取れば和解に応じるでしょう。しかし夫人の過去を考えれば、あなたを妻に会わせようと思わないかもしれません。ですから実家である侯爵家の夜会辺りで仲をとりもてるようにしましょうか。自宅開催の夜会と違って、伯爵夫人とあなたが顔を合わせる可能性も減らせます」
そう言って柔らかく微笑む。
主催者であれば客との挨拶は夫婦で行うが、本家での夜会であれば夫婦揃っての挨拶ではなくとも、ギリギリ許容されるだろうと含ませて。
カーティス伯爵はアーヴァインに一任すると、頭を下げて退室した。
「随分と弱ってましたね」
「予想以上に大きな影響を受けたようだね。家族が皆、まともだからこそ余計に苦労する」
後ろ姿を見送った大司教と側仕えは、小さく溜息をついた。
カーティス伯爵家とファーナム伯爵家の和解まで、いくつかやることがある。
アーヴァインは一番効果的な方法を考えた。強引に進められている嫡子の婚姻を白紙化するのもその一つだった。
「今日はお願いがあって参りました」
面会に来た男はかなり疲れた様子だった。
男の現在の状況を考えれば、当然ともいえる。
目の前の男の名はロバート=カーティス、伯爵家の当主だ。彼の長男が一躍時の人となった新興の貴族家に喧嘩を売ったことで、著しく家名を傷つけたのだ。お陰で貴族としての付き合いが難しくなり、領地にある港町の貿易にも影を落としている。
そのせいで近隣の欲深い貴族から、お家乗っ取りとも呼べるような婚姻を、圧力をかけられながら提案され、窮地に陥っている。
「ファーナム伯爵家との仲を取り持っていただきたく……」
少しの間を置いてカーティス伯爵が願いを口にする。
「夫妻にあれほどまで迷惑をかけた挙句、謝罪を受け入れさせようとするのは、随分と傲慢だとお思いでしょう。しかし領民のためにも、次期当主である息子のためにも、このまま没落を受け入れる訳にはいきません。我が家を乗っ取ろうとしている貴族家が、自分達の利益しか考えていないのは、彼かの領地の状況を見れば一目瞭然です」
一度は断られた謝罪だが、家の置かれた状況を鑑みれば、謝罪を受け入れてもらい和解することは必須だった。でなければ早晩、カーティス領は立ち行かなくなってしまう。
カーティス伯爵の病死した扱いになっている長男と違って、父親はまともだ。後を継いだ腹違いの次男も。
それは今回の面会の何年も前、長男の離婚騒動の時からの付き合いで、アーヴァインはよく知っている。公には死んだことになっている長男が、実は領地で幽閉されていることも、屋敷から出る自由はないものの、身の回りの世話をする使用人をつけられて暮らし、様子を報告させながら気遣っていることも。
本人は子の教育に失敗したことを悔いているが、起こした問題は親だからといって判るものではなかった。普段は何ら問題を起こさない息子が、唯一、元妻を前にしたときだけ異常行動を起こすことを、誰が解りえるというのか。
カーティス伯爵家は、長男の起こした騒動の影響が一年以上も続いている。社交の季節はどこからも招待状が届かず、王宮主催の貴族家の当主であれば参加可能な夜会で、顔見知りに挨拶をすれば、迷惑そうにされる始末だ。
新たな跡取りである次男の顔見せをしたくとも、現在の状況では息子を社交界に出すことは叶わない。領民を思い、派手なことを好まず、身の丈にあった生活を良しとする実直な男には、きつい日々が続いていた。
カーティス伯爵が言った通り、娘を息子の妻にと圧力をかけているゴールトン伯爵は強欲だ。領民の生活が苦しいのは、限界まで税を搾り取られているからである。
豊作の年でさえ少ないとはいえ餓死者が出る状況は、他家の領民と比較せずとも良い暮らしではない。自分の欲のために他者を踏みつけることに、何らためらいを見せることもない、冷酷な性格をしている。息子たちも父親と似たり寄ったりの性格のため、社交界での評判が悪い。娘は社交界に出ていないため性格を知らないが、どれほど気立てが良かろうが、婚家を乗っ取る駒として送り込まれるのであれば、どこの家であれ歓迎されることはないだろう。
カーティス伯爵家の新しい継嗣は、両親に似た実直な性格だ。たった一人の嫡子の代わりとして、伯爵が家の外でもうけた子供だが、関係者の全員が気を使い、日陰の身であることが世間に露見することもなく、充分な教育を受けて真っ直ぐ育った好青年だ。金を湯水の如く使う贅沢な暮らしは望めないものの、恵まれた幼少期を送っている。現在は実父に迎え入れられた家で、次期領主としての勉強を実地で学んでいるところだが、自分で商会を興し、それなりに成功していた実力があり、長男よりも良い領主になりそうな様子だ。
長男夫婦の離縁騒動の後、自分の手の者を送り込んでいるアーヴァインは、伯爵家の現状をよく把握していた。
カーティス伯爵の願い通り、領民や新たな継嗣のために力を貸すのは悪くない判断だった。
「多分、ファーナム伯爵は誠実な態度を取れば和解に応じるでしょう。しかし夫人の過去を考えれば、あなたを妻に会わせようと思わないかもしれません。ですから実家である侯爵家の夜会辺りで仲をとりもてるようにしましょうか。自宅開催の夜会と違って、伯爵夫人とあなたが顔を合わせる可能性も減らせます」
そう言って柔らかく微笑む。
主催者であれば客との挨拶は夫婦で行うが、本家での夜会であれば夫婦揃っての挨拶ではなくとも、ギリギリ許容されるだろうと含ませて。
カーティス伯爵はアーヴァインに一任すると、頭を下げて退室した。
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「予想以上に大きな影響を受けたようだね。家族が皆、まともだからこそ余計に苦労する」
後ろ姿を見送った大司教と側仕えは、小さく溜息をついた。
カーティス伯爵家とファーナム伯爵家の和解まで、いくつかやることがある。
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