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王宮侍女の活躍
17. 不作と孤児院の子供たち
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エミリアとネイサンが結婚した翌年は天候が不順だった。
近年の夏は、年々、暑くなり雨の少ないのが普通だったが、今年の夏は雨が多く、晴れの日は少なかった。そのため王都では過ごし易い夏ではあったが、畑の作物は育ちが悪かった。今年の冬は貧しい民が満足に食事を摂れないだろうと予測されている。
「早く状況が良くなれば嬉しいのですが、春になるまでは難しいのかしら?」
窓の外には曇天が広がっていた。雨こそ降っていないが気鬱な空模様だ。
「ネイサン様のお祝いもできないでいるのでは?」
エミリアが呟けば、同僚侍女が気遣いを見せる。
ネイサンは少し前にセイラ姫の護衛騎士から、王太子宮全体の警備責任者に抜擢され、中隊長と呼ばれる立場になった。同時に騎士爵から男爵に陞爵したばかりだ。一代貴族である騎士爵から爵位を子に引き継げる男爵への陞爵しょうしゃくは、とても名誉ある出来事だった。
予定より二年ほど早い昇進になったが、それはネイサンに対する配慮ではなく、予定より早く上が勇退したための玉突き人事の結果である。だから同僚や部下がネイサンをやっかむことはない。どちらかといえばネイサンの後釜に早めに着けたと喜んでいるくらいだ。
盛大に祝おうということにはなったが、しかしあいにくの不天候が原因で、社交もそこそこに兄夫婦は領地に戻り、収穫量をいかに減らさないか、領民を飢えさせないために何ができるのか、腐心している。
とても弟を祝うような暇も心の余裕も無かった。
状況が落ち着いたら祝いの場を持とうという話だったが、それがいつになるかは不明である。
「雨、続きますね……」
窓の外を見ながら、エミリアはぽつりと漏らす。
長雨は朝夕に涼しさを感じる季節になっても続き、秋に収穫する作物の多くが不作になるのは明らかだった。
「冬には餓死者が出るかもしれません」
隣に座るネイサンも重い口を開く。
「餓死者に関してはどうにかなるかもしれません。以前、孤児院に連れて行った料理人が、子供たちに山の恵みの食べ方を教えていましたから。それを広めれば多少は食べ物が増えるでしょう。税収には反映しませんけれど」
「農民が死ななければ来年以降にどうにかなるでしょう。それよりも森の恵みのことを教えてください」
夫が興味を示したので、エミリアは北方出身の料理人の話や、鳥喰わずと言われる木の実であるバボル料理の話をした。その他にも季節ごとに食用可能であるが、ひと手間をかけなければ食べられない木の実や、食糧事情の悪くない地方では見向きもされない野草の話などを続ける。
「マーレの口癖は、食料が無くなったとき真っ先に飢えるのは親の無い子だと。だからその時のために食べられるものを知っておくのは、とても大切だということでした。マーレの生まれた村はとても寒い地方で、作物が思うように育たないことの方が多かったようです。だからとても説得力がありました」
本人は幼い頃に、母の結婚相手と共に王都に移り住んだが、母は食べ物の無い辛さと、どんなときにも飢え死にしないための方法を、繰り返し娘に教え込んでいた。だからマーレ自身も食べられる野草の知識が豊富だった。孤児院の子供たちは、幸運にも飢餓を経験したことがなかったが、マーレの薫陶を受け月に一度は野草料理を食べて知識を廃れさせないように努力を続けていた。
「随分と教育が行き届いているというか……。食べられる野草が多ければ、農民が冬を越すこともできそうですね」
「ええ、もし国中で深刻な食糧不足になるようなら、飢える前に知識を広められれば良いと思いますわ。それに商人への牽制にもなりますでしょう?」
「商人?」
「昨年まで不作に見舞われなかったのに、麦の流通が一気に減りましたでしょう? 大陸中で麦が不作とも聞きませんし。商人が買い占めているからですわ。もちろん多少は値上がりしますけれど、買い占めがなければ精々が倍くらいのものです。今の様に四倍もの値段にはなりません。実家は葡萄とワインの生産を主要産業としていますから、こういった作物のできと値段の相場というのは多少の知識があるのです」
エミリアは説明すると微笑む。政治的な話や、国同士の駆け引きなどの知識はないが、領地経営の知識は持ち合わせている。屋敷の采配は女主人の仕事であるし、王宮に出仕している夫を持てば、妻が代理で領地経営をするのだから、貴族女性としては必須の知識だ。
特に農業を主力産業としている家の出身だから、貿易などを主力としている家の出身よりも詳しいのだ。
だが家を継ぐ可能性がほぼ無かったネイサンに領地経営の知識は無い。身体を動かすことや剣を使うことが好きだったため、幼い頃から騎士になるための努力ばかりしてきたからだった。騎士団で出世し男爵位を得たとしても領地は無い。領地経営の知識はほぼ持ち合わせておらず、代わりに王宮での駆け引きや軍事的な知識に偏っている。
「孤児院でどのような食事をしているか、確認させてもらっても? もし領地でも問題なさそうであれば、できるだけ早く兄に連絡を入れたいと思います」
「もちろんです。では早速、院長宛に手紙を書きますね」
* * *
一月以上経った頃、新居に義兄嫁であるダルシーが訪ねてきた。
「エミリアのお陰で食料の確保に目処が立ったわ」
孤児院での野草食を食べた後、ネイサンは急ぎ領地に連絡をした。結果、ダルシーは王都に戻ってきて孤児院に慰問がてら野草食を食べたり、子供たちに教えを乞い、得た知識を領地で待つ夫であるファーナム侯爵に伝えた。未だ領地内の野草などは調査中だが、多分食料として有用だろうと連絡がきたのだ。
「ありがとう、最近はずっと暗い話しかなかったのに、少し展望が見えてきたわ。それとね孤児院の子供が何人か領地に来てくれることになったの。上手く行けば、例年よりも貧しい食事になるけれど、餓死者が出ることは避けられそうよ」
「上手く行きそうで何よりです、義姉上」
「今、子供たちに料理を教えた料理人を王都に呼べないか、人を使ってお願いしているところです。もし来てくれたら、もっと野草のことが判るかもしれません」
「もしその料理人が王都に来たら、連絡をくれるかしら。私もその料理人と会ってみたいわ」
「もちろんです。遠方で連絡を取るのも大変ですから、もう少し時間がかかると思います。ですが到着次第、ご連絡いたします」
ダルシーはエミリアによろしくお願いするわと言って帰宅する。侯爵は領地だがまだ社交の季節である。自宅には義親である前侯爵夫妻が待っているのだ。
近年の夏は、年々、暑くなり雨の少ないのが普通だったが、今年の夏は雨が多く、晴れの日は少なかった。そのため王都では過ごし易い夏ではあったが、畑の作物は育ちが悪かった。今年の冬は貧しい民が満足に食事を摂れないだろうと予測されている。
「早く状況が良くなれば嬉しいのですが、春になるまでは難しいのかしら?」
窓の外には曇天が広がっていた。雨こそ降っていないが気鬱な空模様だ。
「ネイサン様のお祝いもできないでいるのでは?」
エミリアが呟けば、同僚侍女が気遣いを見せる。
ネイサンは少し前にセイラ姫の護衛騎士から、王太子宮全体の警備責任者に抜擢され、中隊長と呼ばれる立場になった。同時に騎士爵から男爵に陞爵したばかりだ。一代貴族である騎士爵から爵位を子に引き継げる男爵への陞爵しょうしゃくは、とても名誉ある出来事だった。
予定より二年ほど早い昇進になったが、それはネイサンに対する配慮ではなく、予定より早く上が勇退したための玉突き人事の結果である。だから同僚や部下がネイサンをやっかむことはない。どちらかといえばネイサンの後釜に早めに着けたと喜んでいるくらいだ。
盛大に祝おうということにはなったが、しかしあいにくの不天候が原因で、社交もそこそこに兄夫婦は領地に戻り、収穫量をいかに減らさないか、領民を飢えさせないために何ができるのか、腐心している。
とても弟を祝うような暇も心の余裕も無かった。
状況が落ち着いたら祝いの場を持とうという話だったが、それがいつになるかは不明である。
「雨、続きますね……」
窓の外を見ながら、エミリアはぽつりと漏らす。
長雨は朝夕に涼しさを感じる季節になっても続き、秋に収穫する作物の多くが不作になるのは明らかだった。
「冬には餓死者が出るかもしれません」
隣に座るネイサンも重い口を開く。
「餓死者に関してはどうにかなるかもしれません。以前、孤児院に連れて行った料理人が、子供たちに山の恵みの食べ方を教えていましたから。それを広めれば多少は食べ物が増えるでしょう。税収には反映しませんけれど」
「農民が死ななければ来年以降にどうにかなるでしょう。それよりも森の恵みのことを教えてください」
夫が興味を示したので、エミリアは北方出身の料理人の話や、鳥喰わずと言われる木の実であるバボル料理の話をした。その他にも季節ごとに食用可能であるが、ひと手間をかけなければ食べられない木の実や、食糧事情の悪くない地方では見向きもされない野草の話などを続ける。
「マーレの口癖は、食料が無くなったとき真っ先に飢えるのは親の無い子だと。だからその時のために食べられるものを知っておくのは、とても大切だということでした。マーレの生まれた村はとても寒い地方で、作物が思うように育たないことの方が多かったようです。だからとても説得力がありました」
本人は幼い頃に、母の結婚相手と共に王都に移り住んだが、母は食べ物の無い辛さと、どんなときにも飢え死にしないための方法を、繰り返し娘に教え込んでいた。だからマーレ自身も食べられる野草の知識が豊富だった。孤児院の子供たちは、幸運にも飢餓を経験したことがなかったが、マーレの薫陶を受け月に一度は野草料理を食べて知識を廃れさせないように努力を続けていた。
「随分と教育が行き届いているというか……。食べられる野草が多ければ、農民が冬を越すこともできそうですね」
「ええ、もし国中で深刻な食糧不足になるようなら、飢える前に知識を広められれば良いと思いますわ。それに商人への牽制にもなりますでしょう?」
「商人?」
「昨年まで不作に見舞われなかったのに、麦の流通が一気に減りましたでしょう? 大陸中で麦が不作とも聞きませんし。商人が買い占めているからですわ。もちろん多少は値上がりしますけれど、買い占めがなければ精々が倍くらいのものです。今の様に四倍もの値段にはなりません。実家は葡萄とワインの生産を主要産業としていますから、こういった作物のできと値段の相場というのは多少の知識があるのです」
エミリアは説明すると微笑む。政治的な話や、国同士の駆け引きなどの知識はないが、領地経営の知識は持ち合わせている。屋敷の采配は女主人の仕事であるし、王宮に出仕している夫を持てば、妻が代理で領地経営をするのだから、貴族女性としては必須の知識だ。
特に農業を主力産業としている家の出身だから、貿易などを主力としている家の出身よりも詳しいのだ。
だが家を継ぐ可能性がほぼ無かったネイサンに領地経営の知識は無い。身体を動かすことや剣を使うことが好きだったため、幼い頃から騎士になるための努力ばかりしてきたからだった。騎士団で出世し男爵位を得たとしても領地は無い。領地経営の知識はほぼ持ち合わせておらず、代わりに王宮での駆け引きや軍事的な知識に偏っている。
「孤児院でどのような食事をしているか、確認させてもらっても? もし領地でも問題なさそうであれば、できるだけ早く兄に連絡を入れたいと思います」
「もちろんです。では早速、院長宛に手紙を書きますね」
* * *
一月以上経った頃、新居に義兄嫁であるダルシーが訪ねてきた。
「エミリアのお陰で食料の確保に目処が立ったわ」
孤児院での野草食を食べた後、ネイサンは急ぎ領地に連絡をした。結果、ダルシーは王都に戻ってきて孤児院に慰問がてら野草食を食べたり、子供たちに教えを乞い、得た知識を領地で待つ夫であるファーナム侯爵に伝えた。未だ領地内の野草などは調査中だが、多分食料として有用だろうと連絡がきたのだ。
「ありがとう、最近はずっと暗い話しかなかったのに、少し展望が見えてきたわ。それとね孤児院の子供が何人か領地に来てくれることになったの。上手く行けば、例年よりも貧しい食事になるけれど、餓死者が出ることは避けられそうよ」
「上手く行きそうで何よりです、義姉上」
「今、子供たちに料理を教えた料理人を王都に呼べないか、人を使ってお願いしているところです。もし来てくれたら、もっと野草のことが判るかもしれません」
「もしその料理人が王都に来たら、連絡をくれるかしら。私もその料理人と会ってみたいわ」
「もちろんです。遠方で連絡を取るのも大変ですから、もう少し時間がかかると思います。ですが到着次第、ご連絡いたします」
ダルシーはエミリアによろしくお願いするわと言って帰宅する。侯爵は領地だがまだ社交の季節である。自宅には義親である前侯爵夫妻が待っているのだ。
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