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「侑利くんって………時々カッコいいね」
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ガバッ……と、飛び起きたのが気配で分かった。
俺は、少し前から目は覚めてて、じんわりと覚醒して来るのをまだ体は起こさずに感じてたとこだった。
昨晩、慶は、俺が風呂から出て来ても全く微動だにせず眠り込んでいた。
寝室は別にあるけど、慶をリビングのソファに1人で寝かせとくのも何故か忍びなく思えて、もう1枚タオルケットを持って来て、ソファ前の毛足の長いラグを敷いた床で俺も寝た。
根は、優しいんだ、俺も。
こんな、知らねぇ奴に付き合って、床で寝るんだからさ…。
で、今、目覚めたであろう慶が、飛び起きた。
「えっ、……え?」
…背後で動揺してるのが、ちょっと可笑しくて何となくそのまま寝たふりをする。
「…………」
無言だけど……きっと、困ってんだろうな。
しばらくすると、俺が腰の辺りにかけてたタオルケットが肩口まで引き上げられた。
こういう事をする奴なんだな、こいつは。
ますます、濡れ衣着せた奴を殴りたい気持ちになって来る。
俺を踏まないようにソファの横から降りた……気配だけど。
少し、遠ざかった感じ…………でも、また近付いて来た。
何やってんだ?
「あの……侑利くん……」
すごく遠慮がちに声を掛けられ、もそ、と動いてみる。
「侑利くん……ごめん……トイレ借りて良い?」
トイレ探してたのか…。
「ははっ…」
思わず笑ってしまった。
「…リビング出て左」
俺が言い終わるや否や、慶は小走りでリビングを出て行った。
面白ぇ奴。
俺は、その間に体を起こしカーテンを開けて伸びをする。
空は真っ青、すっげぇ天気良いじゃん。
流水音が聞こえて慶がリビングに戻って来た。
慶の顔を見たら、また少し可笑しくなってプッと吹き出した。
「…笑わないで下さいっ」
「はいはい」
適当にあしらって入れ替わりでトイレに行く。
やっぱ、起きて直ぐの生理現象は止められない。
トイレから戻ると、慶は、開けたカーテンから外の景色を眺めていた。
「景色、良いだろ?」
「…はい」
今日は澄み渡ってるから、遠くまで見えてすごく良い。
「俺も、ここからの景色、気に入ってんの」
まだ外を眺めてる慶をそのままにして、キッチンへ。
あー……俺の分のパン買っただけだった……何もねぇし…。
あんまり買い置きをしない性格だから……誰かが急に来た時とかに困る。
一応これでも一人暮らし歴がそこそこ長いから、料理は生活に困らない程度には出来る。
だけど、その日に作りたい物の食材を買うスタイルだから、余ってる以外に買い置きは無い。
「慶、こっち来な」
ダイニングテーブルに呼ぶ。
呼ばれるままに慶が近付いて来る。
何か……まぁ……別にイヤじゃない。
「どっち食う?」
自分用に2つ買ってたパンをテーブルに出す。
コロッケ的なのが挟んであるのと、フレンチトーストっぽいのの2つ。
何となく、辛い系と甘い系、みたいな感じ?
「…どっちでも大丈夫です、侑利くん、先選んで下さい」
もうちょっと……自分優先で良いのに。
「慶が好きな方取りな」
カフェオレを作りながら言う。
「…え………じゃあ、……こっち」
フレンチトーストを手に取ってる。
似合うよ、何か、それ。
「甘いの好きなの?…カフェオレも砂糖入れるんでしょ?」
ミルクも少し温めて、朝は熱いカフェオレ。
けっこう、マメだな、俺。
「辛いよりは甘い方が好きです……侑利くんは?」
出来上がったカフェオレをテーブルに持って行く。
「俺は、それなら辛い方が良いかな。甘いのは食べれなくは無いけど…そんな食べる機会が無い」
へぇ~、と頷きながら向かいの席に座る。
「じゃあ…これ、いただきます」
「どうぞ」
業とらしいやり取りをして、それぞれに袋を開ける。
「侑利くんは、1人暮らし長いんですか?」
「あー、高1から」
「高1?そんな歳から?」
「そう」
すげぇびっくりしてる。
色んな表情持ってんね。
「親がね、外国にいんの。向こうで飲食店やっててさ」
「外国っ?…すごーい」
「すごいか?」
「うん、すごい」
すごい、の意味が分かんねぇけど……
すごーい、っていう女子みたいな反応止めてくれ。
「俺は高校があったし一緒には行く気無かったから、一人暮らしって事になったの」
「へぇ~~……何か、すごい」
「すごくねぇよ、別に」
もぐもぐとフレンチトーストに噛み付きながらも、興味津々で聞いて来る。
「ずっとここに住んでるんですか?」
「あぁ、そう。だから、ここそんな新しくないんだよ?」
「でも…俺が住んでたアパートからしたら……お城みたいにキレイです」
こんな城ねぇよ。
「仕事場も割と近いし、住み慣れちゃって便利だからさ、ずっとここに居る」
「仕事…何やってるんですか?」
「あぁ、バーの店員」
「えっ、すごーーい」
出たよ。
「…お前、適当に言ってるだろ」
「そんな事無いですっ、ほんとにすごいと思ってるから言ってるんですっ」
「お前の『すごい』の定義が知りてぇわ」
「あっははは、定義って」
慶が笑う。
……何だよ……楽しそうにしやがって。
ずっと…笑ってりゃ良いのに。
「昨日、一緒に飯行った奴も一緒のとこで働いてんの。けっこうデカい店でさ、週末とか異常に忙しい」
「へぇ~」
すんげぇ感心してる。
「バーっつっても、カウンターの中でアルコール作ってる感じじゃなくてさ、料理もがっつりあるから運んだり注文取ったり、色々やっててけっこう大変」
「それは…忙しそう…」
「広いんだ、ほんとに。イベントとかよくやるしバンドが来てライブやる時もある」
「そんなとこで働いてるんですね……何か、想像つかない…」
まだまだ聞き足りない顔して俺を見てる。
パン食べるの止まってるし。
「食いな」
「あ…」
忘れてただろ、完全に。
「そしたら、」
一口食べて、また喋る。
「今日も夜は仕事ですか?」
「あー、今、改装中でさ。けっこうでっかい改装で、1ヶ月休みなんだ」
「1ヶ月も?」
「まだ、始まったばっかでさぁ、先週までは工事に入るための片付けとか手伝いに行ってたんだけど、それも終わって今週から本格的に休み。まだ3週間もあんの」
「普段、忙しいのに……それなら、ゆっくり出来ますね」
確かに、ゆっくりは出来るだろうけど……正直持て余してる感あるよ。
長期休暇貰っても……そんなにする事ないしさ。
中頃に、都合の合った奴らで旅行の予約してるぐらいでさ。
「とりあえず、今日はさぁ……」
チラッと窓の外を見ると、慶もつられて同じ方を見る。
「すっげぇ天気良いし…どっか行くか」
そう言うと慶は、途端に嬉しそうな顔して……ほんと分かりやすい奴…
「早く食いな、準備して出るぞ」
俺は既に食べ終わったパンの袋をゴミ箱に入れ、カフェオレを飲み干して立ち上がる。
「はいっ」
勢いよく返事すると、慌てたようにフレンチトーストを詰め込んでる。
ほんとは……よく喋る奴なんだ。
よく笑うし…。
すぐ泣くけど…。
~~~~~~~~
「ちょっとーっ、侑利くんっ、見てっ」
はしゃぎ様に、ちょっと恥ずかしくなるわ……
思いっきり手招きされて、周りの視線も少し感じつつ呼ばれた方へ行く。
「お前、ずっと声デカいから。恥ずいわ」
「見て見てっ、イルカだよっ」
俺だってイルカぐらい知ってるし。
どこ行こう、ってなって、慶の希望で水族館に来たら……最初からテンション上がっちゃっててこの有様。
……平日だからそんなに混んで無いけど、遠足団体とか来てて……その子供たちに混ざってすんごい興奮してる…。
いちいち呼ばれるから、すげぇ恥ずかしいんですけど。
引率の先生にも笑われてるしさ…
「本物だよっ」
「だから声、デカいからっ」
「いや、だって、本物見たらテンション上がるでしょっ」
子供と同レベルだ…。
今まで俺に敬語だったくせに、もう完全に飛んでるし。
まぁ、それはむしろ飛んでくれて良いんだけど…。
「すごいね」
隣の遠足の子供に話しかけてる。
「僕、本物のイルカ初めて見たっ」
「俺もだよ」
え、初めてなの?
思わず、突っ込みそうになったけど…………止めた。
『家族は…居ません………俺は、ずっと1人です』
昨日、慶が言った言葉が頭を過った。
……水族館って、だいたい大人になるまでにどっかのタイミングで行くもんだろう。
1人だったから……初めてなのかも…。
もしそうだったらって思ったら……少しだけ胸の奥の方が痛くなる。
イルカショーも満喫して、今はクラゲのコーナー。
ライトを落とした薄暗い部屋。
でっかい水槽の中で、自分が放つ光だけでゆらゆらと水の中を漂っている。
慶は、さっきまでのやかましい程のテンションはどこ行ったって思うくらい、静かにクラゲを見つめてる。
「……何、考えてんのかな…」
「何も考えて無いんじゃね?」
ロマンチックのかけらもない答えを返すけど……慶に俺の言葉が届いてるのかは分からない。
黙ってでっかい水槽を見上げてる。
それぞれの個体が、ただただゆらゆらと何処へ行くでもなく流れに身を任せてる感じ。
「こんな暗い水の中で……寂しくないのかな…」
ボソッと呟く。
静かな部屋…。
「光ってるから、大丈夫なんじゃねーの?」
青白い光は……案外力強くて……その存在ははっきりと見える。
「そっか……………光ってるから……大丈夫だね……………俺は……ずっと真っ暗で……すごく怖い…………俺は……光れないな…」
クラゲの放つ光に照らされて青白いシルエットなってる慶の目に、水槽の揺れる水の流れが写って……また、その目に涙が溜まってんのが分かる。
「じゃあさぁ……光っても無いのに、お前の事見つけた俺って……すごくねぇ?」
「…え…?」
小さな声を発して慶がこっちを向いた。
「お前は光ってなくて、周りは真っ暗かも知んねぇけど………俺には、最初からお前見えてるよ?…………それもはっきり。……お前からは見えなくても、誰かがお前の事見えてたら溺れる事はねぇよ」
慶は、また泣いた。
こんなに泣く大人の男、知らねぇな。
「侑利くんって………時々カッコいいね」
「時々って何だよ」
頭を軽く小突く。
フフッと少し恥ずかしそうに笑いながら涙を拭いている慶を、ほんの少し愛おしいと思ってしまった。
緩くそんな事を考えてたら、遠足団体がなだれ込んで来て追いやられるようにクラゲブースを出た。
思いつきで来た水族館だったけど、思いの外楽しめた、っていうのが感想。
俺も、こういうとこ来るのかなり久々だったから気分転換にもなって良かった。
クラゲの後は、アシカショーも見れたしペンギンの餌やりも出来て、慶は大満足な様子。
時刻は夕方5時を過ぎたとこ。
俺の車の助手席に乗り込んだ慶は、名残惜しそうに水族館の建物の方を振り返る。
「また、来たら良いじゃん」
発進し辛くて、そう言ってやる。
「うん」
微笑んで、慶が頷いたのを合図に、俺は車を走らせた。
「連れて来てくれて、ありがとう」
かしこまって何だよ。
水族館くらい、いつでも連れて来てやるよ。
「どういたしまして」
お決まりの返答をして、フッと笑うと、慶も同じようにフニャッと笑う。
帰りの道中、今日のあれこれを2人で喋ってたけど………少しずつ慶の口数が減り……何か言いたい事を我慢してるように、俺を伺ってる事には既に気付いてる。
また、何か……気にしてる事があるんだろう。
「晩飯、どうしよっか」
買い物して帰っても7時過ぎには食べ始められるだろう。
何か、作っても良いけど……
「何か食いたいもんある?」
「…え、……特には…」
めっちゃテンション下がってんじゃん。
何だよ……ほんとこいつ、女より気分変わるの早ぇんじゃねーの?
「家帰って食う?何か作るわ」
別に外で食っても良いんだけど、帰宅して……ゆっくり話したいような気も、何となくしてて………
俺は一体どういう方向に向かってんだって、心の中で密かに自分に突っ込んだ。
「…あの………」
不意に慶が口を開いた。
引っかかってた事、話す気になったかな。
「今日も……泊まって良いの…?」
気にしてたのは、そこか。
「え…行くとこあんの?」
ふるふる、と首を振る。
そうだろうね、知ってるよ。
「でも…昨日も泊めてもらったのに……」
こいつの事だから、こんな事も本気で考えてるんだろう。
二十歳なんて、振り返ればまだ子供なんだから、もっと図々しくしてて良いのに。
「あのさぁ……金貯めてアパート探すんだろ?…とりあえず、決まるまで居れば?」
俺の言葉にちょっと戸惑ってるのが分かる。
そもそも、連れて帰ったのは俺だ。
何も状況が変わって無いのに、家も金も無い奴を放り出せないでしょ、普通は。
「それならっ……お金払う」
え………そう来たか。
「や、別に良い、」
「ダメッ」
凄い勢いで思いっきり被せて来たな。
「アパート決まるまでなんて…どれくらいかかるか分からないのに……タダで居させて貰うなんて、絶対ダメ」
ちゃんとしてる性格が、出てるぞ。
「お前が1人増えたくらいでさぁ、生活費も食費も大して変わりねぇよ?」
「でも、ダメッ!絶対ダメッ。受け取って貰わないと困るっ」
絶対引かない気だな、これ。
「分かったよ、じゃあ毎月払ってよ。…………金額はお前が決めて?」
「えっ、……」
予想外だったのか、動揺してる。
「じゃあ、それで決定ね」
「えっ…あぁ…うん」
俺が強引に終わらせた。
いつまでも引き摺りそうだったから。
…とりあえず、一緒に住む事が今決まった。
……何か……休みの間、退屈し無さそうだな、俺…。
「パスタでも作るわ、何でも食える?」
家の近所の大きなスーパーに来てる。
扱ってる食材が豊富で新鮮だから、平日でも客が多い。
俺の問いかけに「うん」と頷いて、やっぱり店内をキョロキョロ見渡しながらカートを押して付いて来てる。
まぁ、無難なとこでミートソースで良いか…などと考えて、食材をカートに置かれたカゴに入れて行く。
「そう言えばさぁ……慶は料理すんの?」
状況はどうであれ、アパートに1人で住んでたんだし……。
「え……しない」
……まぁ、ちょっとそんな気もしてたけど…。
「しねぇの?アパートで居た時は?」
「…大家さんにおすそ分けして貰ったりしてた」
「それだけじゃ足りねぇだろ?」
「でも、食パンとか買っといたら何日か大丈夫だし」
……マジでどんな生活してたんだよ……
どうせ、1日3食食って無いんだろうな。
細ぇし。
慶の薄い体をチラッと見る。
「まぁ、料理上手そうなイメージは無いわ」
ニヤッと笑って言うと、すげぇ悪い顔で睨まれる。
そんな顔もあんだね…。
そう言えば、アルコールも切れてた事を思い出して、酒コーナーへ。
赤ワインをカゴに入れる。
「ワイン?」
「あぁ、それは料理用」
「えっ、侑利くん、料理にワイン使うの?」
「使うよ、ダメなの?」
「料理にワイン使うのって、シェフだけだと思ってた」
「あっはは」
つい笑ってしまった。
「一般人にもワイン使う権利くれよ」
真面目に言ってんのがウケる。
単細胞なのかな、コイツ。
「お前は?酒飲めるの?」
「……分かんない……飲んだ事ない」
……そうだな…
二十歳だし……酒なんか飲んでる余裕も無かっただろうしな…
「じゃ、止めとけ」
「侑利くんの、ちょっと飲ませてよ、飲んでみたい」
「……ちょっとだけな」
初めての飲酒とか……俺、責任重大じゃん。
「久我さんっ」
飲む用のアルコール類も幾つか選んでたら……突然名前を呼ばれた。
「やっぱり、久我さんだっ」
「あぁ、どうも」
BIRTHによく来てくれるお客さんの1人だ。
来る時は大抵、男2人で来てて………この彼には前に1度指名された事がある。
「俺、友達とBIRTHによく行ってて、」
「分かりますよ」
「ほんとですか?」
「友達とよく来てくれてますよね」
指名して来るって事は、少なからず俺に興味があるんだろう。
でも、指名はその1度だけだったから、思ってたのと違ったのかも知れないけど。
その辺は分からない。
「ほんとに、覚えてくれてるんですねっ」
ぴょん、と飛び跳ねる感じ。
「前に指名させてもらった事もあって…」
「カシスオレンジですよね」
その時、あんまりお酒が得意じゃないけど何か飲みたい、って言ってたから、飲みやすいと思ってアルコール度低めのカシスオレンジを作った。
「はいっ、あの…覚えててくれてるなんて思って無かったから、びっくりです」
俺は、けっこう人の顔を覚えるタイプだ。
接客業をする上では役に立つかな、とは思う。
「あ…ごめんなさい、買い物の邪魔しちゃって」
俺の隣で大人しく待ってる慶をチラッと見ながらその彼が言うと、慶は、どうぞどうぞ、とジェスチャーしてる。
「俺、あっち見てるね」
「あぁ、後で行くわ」
「はぁい」
軽く会釈をして、慶は違うコーナーへ歩いて行った。
はぁい、って……
無意識なんだろうな、きっと。
子供か。
「モデルさんみたいな人ですね」
「え?」
歩いて行く慶を見ながら、お客の彼が言う。
確かに、モデル体型ではある。
背は俺より低いけど、小顔だからか慶単独だと背も高くてモデルみたいなバランスに見える。
「恋人ですか?」
おいおい……
結構、いきなりだな。
そこは、友達ですか?だろ、普通。
「や、友達」
友達、って言うのか……よく分からない関係だけどさ。
一緒に住む事になったけど、お互いよく知らないっていう……。
「良かったぁ……あんな人が恋人だったら、俺、撃沈ですよ~」
……それもあんまりよく分かんねぇけど……
…俺の事、狙ってんの?
「あ、俺、小田切 光(おだぎり ひかる)って言います!」
「あぁ、久我侑利です」
「あはは、知ってます」
楽しそうに笑う。
店で話す時もこんな感じで、いつも笑ってる印象。
「何歳ですか?」
「21歳、大学3年です」
「分かりました、覚えときますね」
「はいっ」と大きく頷く。
「また、BIRTH行ったら話しかけても良いですか?」
……話しかけても良いですか…って……慶にも言われた事あるな…。
コインランドリーで。
アイツは……死ぬ事を考えてた、と言った。
もう、生きるのを止めようと思ったって。
もう…その考えは消えたんだろうか。
「もちろん、どうぞ」
BIRTHで働いてると、かなり高確率で男から告白をされる。
お客の比率は半々くらいなのに、告白される率は男の方が高い。
俺が、男ウケするのかよく分かんねぇけど。
この、光という男のような可愛いタイプの男子には、俺は高校時代から何故か人気だ。
「BIRTHいつからですか?」
「工事が順調に行けば、来月頭です。リニューアルのイベントやるんで、是非」
「絶対行きますっ!……あ、長々引き止めてごめんなさいっ。友達…どっか行っちゃいましたね」
さっき慶が歩いて行ってた方を見る。
何となく俺も。
慶の姿は目の届く範囲には見えない。
「今日はオフの久我さんが見れてラッキーでしたっ、友達に自慢しますっ」
「…や、そんな自慢にならないと思いますけど…」
はは、と笑ってみせる。
店では制服を着てるから私服の俺は珍しいかも知れないけど、俺にしてみたら今日の格好は完全に普段着だから、これを自慢されるとちょっと複雑だ。
「じゃあ、そろそろ失礼します。新しい店で待ってますね」
軽くお辞儀をして行こうとしたけど…
「あ、あのっ、久我さんっ」
呼び止められた。
「え、はい」
もう一度向き直る。
「あの……け、…携帯教えてもらえませんか…」
さっきまでとは打って変わって、今度は恥ずかしそうに言う。
耳まで真っ赤になってて、こっちまで何か恥ずかしくなって来る。
「あ、一応、決まりで教えられない事になってて……すみません」
店のルール。
お客と電話番号を交換しない事。
俺は、忠実に守ってる。
……あやふやにすると、めんどくさそうってのが本音。
多分、他のスタッフも意外と守ってると思う。
モテ男の天馬でさえも、誰にも教えてないらしいから。
「あの…じゃあ、……」
そう言って鞄から、学生らしくノートを取り出し端の方を破った。
「俺が一方的に渡しますっ」
その紙を渡される。
小田切 光という彼の名前と、電話番号が書いてあった。
「すみません……図々しいですね、俺…」
随分大胆な行動に出た割には、泣きそうになってるし…。
「いえ、大丈夫ですよ。じゃあ、番号貰っときます」
こういう仕事柄、こんな事もよくある。
貰ってもかける事は無いんだけど……相手はお客さんだし、押し返す訳にもいかないし…。
「じゃ」と軽く手を上げて、その場を後にした。
貰った紙は、とりあえず鞄に入れて、慶の姿を探す。
……居ない。
その辺に居ると思ったけど……居ない。
あの見た目だから、居たら絶対目に付くと思うけど……
電話してみようと一瞬思ったけど、よく考えてみたら慶の携帯教えて貰ってないしっ!
自力で探すしか無いのかよ……
カートを押しながら、デカいスーパーの通路を順番に探す。
迷子放送とかイヤだからな、マジで。
何本目かの通路で……生活用品を見てる慶を発見した。
「おいっ」
「あ、侑利くん、話終わったの?」
呑気か。
めっちゃ探したわ。
「お前、こんな遠くに勝手に来んなよっ」
「え、だって、侑利くん、なかなか来ないから」
……まぁ、それはそうだけど……
「ねぇ、侑利くん、俺、これ買っといた方が良いよね?」
風呂で使うボディータオル。
あー……確かにな、…って、さっきの勝手に移動すんな的な話はもう終わったのか?
俺、もしかして、こいつのペースに巻き込まれてるとか?
「銭湯ではどうしてたの?」
「普通のタオル使ってた。あれ、泡立たないんだよ~」
とか言いながら、あれこれ商品の謳い文句を見比べて選んでる。
文句も言わず待ってやる俺も、相当優しいな。
「よし、これにするっ」
そう言って、慶はオレンジの泡立ちの良さそうなボディータオルに決めた。
「これは、別会計ね。俺が買うからっ」
「…どうせ、居候代払うんだし、そこに入ってるって事にすりゃ良いじゃん」
「ううん、良いの、これは早速今日から使うから」
答えになってないような気もするけど、もういいわ、好きにしな。
レジは、すんげぇ混んでてちょっと怯んだけど……何となく一番短そうな列を見付けて、そこへ並ぶ。
「こんなに並ぶんだね」
圧倒されたように言う慶に、俺から話を振る。
「あのさぁ、携帯番号教えて貰って良い?」
「え…」
慶が少し驚いた顔をする。
「いや、さっきみたいな時も電話すりゃすぐ居場所分かるしさ。とりあえず一緒に住むんだし、連絡取る事あるじゃん、絶対」
少し沈黙。
レジの忙しない音と声が耳につく。
「あー、ごめん、俺、携帯持ってない」
…………あ…。
……そっちね。
「連絡とかどうしてたの?」
「…別に、連絡取りたい人居なかったから…」
俺………気付かない内に、慶を傷つけるタイプかも知れねぇな…。
慶も、バツが悪そうな顔してる。
今時、この時代に、二十歳で携帯持ってない奴が居るなんて……って思うけど……
慶は、どんな人生を生きて来たんだろう。
「…今日からは……必要じゃねぇ?」
だってさ……一緒に住むんだし。
「でも、高いから無理…」
さっきまで呑気で元気だったのに、しょんぼりしてしまった。
山の天気みたいに良く変わる感情。
「いらっしゃいませ」
それから、あんまり喋らず、レジの順番が来た。
ボディータオル1つを買う慶を、先に行かせてやる。
先にサッカー台へ行き、何か言いたそうな顔して、俺が清算終わるのを待ってる。
店を出ると、外はけっこう暗くなってて、秋が来てんだなぁとかしみじみ思う。
「慶、開けて」
慶にドアを開けてもらい、後部座席に買い物袋を置く。
飲み物類をけっこう買ったから、袋は2個分になった。
「侑利くん」
助手席へ乗り込んですぐ、黙ってた慶が口を開いた。
「ん?」
シートベルトを締めながら緩く返事する。
「バイト頑張って携帯買うから……そしたら、教える」
何か言いたそうな顔してると思ってたけど……
言いたい事はこれだったのか、と思ったら………何だか、果てしなく愛おしく思えてしまった。
コイツ……何なんだよ…マジで。
「分かった」
俺の返事にホッとしたように視線を逸らすと、急いでシートベルトを締める。
カチ、とベルト完了の音が聞こえたと同時に発進した。
俺は、少し前から目は覚めてて、じんわりと覚醒して来るのをまだ体は起こさずに感じてたとこだった。
昨晩、慶は、俺が風呂から出て来ても全く微動だにせず眠り込んでいた。
寝室は別にあるけど、慶をリビングのソファに1人で寝かせとくのも何故か忍びなく思えて、もう1枚タオルケットを持って来て、ソファ前の毛足の長いラグを敷いた床で俺も寝た。
根は、優しいんだ、俺も。
こんな、知らねぇ奴に付き合って、床で寝るんだからさ…。
で、今、目覚めたであろう慶が、飛び起きた。
「えっ、……え?」
…背後で動揺してるのが、ちょっと可笑しくて何となくそのまま寝たふりをする。
「…………」
無言だけど……きっと、困ってんだろうな。
しばらくすると、俺が腰の辺りにかけてたタオルケットが肩口まで引き上げられた。
こういう事をする奴なんだな、こいつは。
ますます、濡れ衣着せた奴を殴りたい気持ちになって来る。
俺を踏まないようにソファの横から降りた……気配だけど。
少し、遠ざかった感じ…………でも、また近付いて来た。
何やってんだ?
「あの……侑利くん……」
すごく遠慮がちに声を掛けられ、もそ、と動いてみる。
「侑利くん……ごめん……トイレ借りて良い?」
トイレ探してたのか…。
「ははっ…」
思わず笑ってしまった。
「…リビング出て左」
俺が言い終わるや否や、慶は小走りでリビングを出て行った。
面白ぇ奴。
俺は、その間に体を起こしカーテンを開けて伸びをする。
空は真っ青、すっげぇ天気良いじゃん。
流水音が聞こえて慶がリビングに戻って来た。
慶の顔を見たら、また少し可笑しくなってプッと吹き出した。
「…笑わないで下さいっ」
「はいはい」
適当にあしらって入れ替わりでトイレに行く。
やっぱ、起きて直ぐの生理現象は止められない。
トイレから戻ると、慶は、開けたカーテンから外の景色を眺めていた。
「景色、良いだろ?」
「…はい」
今日は澄み渡ってるから、遠くまで見えてすごく良い。
「俺も、ここからの景色、気に入ってんの」
まだ外を眺めてる慶をそのままにして、キッチンへ。
あー……俺の分のパン買っただけだった……何もねぇし…。
あんまり買い置きをしない性格だから……誰かが急に来た時とかに困る。
一応これでも一人暮らし歴がそこそこ長いから、料理は生活に困らない程度には出来る。
だけど、その日に作りたい物の食材を買うスタイルだから、余ってる以外に買い置きは無い。
「慶、こっち来な」
ダイニングテーブルに呼ぶ。
呼ばれるままに慶が近付いて来る。
何か……まぁ……別にイヤじゃない。
「どっち食う?」
自分用に2つ買ってたパンをテーブルに出す。
コロッケ的なのが挟んであるのと、フレンチトーストっぽいのの2つ。
何となく、辛い系と甘い系、みたいな感じ?
「…どっちでも大丈夫です、侑利くん、先選んで下さい」
もうちょっと……自分優先で良いのに。
「慶が好きな方取りな」
カフェオレを作りながら言う。
「…え………じゃあ、……こっち」
フレンチトーストを手に取ってる。
似合うよ、何か、それ。
「甘いの好きなの?…カフェオレも砂糖入れるんでしょ?」
ミルクも少し温めて、朝は熱いカフェオレ。
けっこう、マメだな、俺。
「辛いよりは甘い方が好きです……侑利くんは?」
出来上がったカフェオレをテーブルに持って行く。
「俺は、それなら辛い方が良いかな。甘いのは食べれなくは無いけど…そんな食べる機会が無い」
へぇ~、と頷きながら向かいの席に座る。
「じゃあ…これ、いただきます」
「どうぞ」
業とらしいやり取りをして、それぞれに袋を開ける。
「侑利くんは、1人暮らし長いんですか?」
「あー、高1から」
「高1?そんな歳から?」
「そう」
すげぇびっくりしてる。
色んな表情持ってんね。
「親がね、外国にいんの。向こうで飲食店やっててさ」
「外国っ?…すごーい」
「すごいか?」
「うん、すごい」
すごい、の意味が分かんねぇけど……
すごーい、っていう女子みたいな反応止めてくれ。
「俺は高校があったし一緒には行く気無かったから、一人暮らしって事になったの」
「へぇ~~……何か、すごい」
「すごくねぇよ、別に」
もぐもぐとフレンチトーストに噛み付きながらも、興味津々で聞いて来る。
「ずっとここに住んでるんですか?」
「あぁ、そう。だから、ここそんな新しくないんだよ?」
「でも…俺が住んでたアパートからしたら……お城みたいにキレイです」
こんな城ねぇよ。
「仕事場も割と近いし、住み慣れちゃって便利だからさ、ずっとここに居る」
「仕事…何やってるんですか?」
「あぁ、バーの店員」
「えっ、すごーーい」
出たよ。
「…お前、適当に言ってるだろ」
「そんな事無いですっ、ほんとにすごいと思ってるから言ってるんですっ」
「お前の『すごい』の定義が知りてぇわ」
「あっははは、定義って」
慶が笑う。
……何だよ……楽しそうにしやがって。
ずっと…笑ってりゃ良いのに。
「昨日、一緒に飯行った奴も一緒のとこで働いてんの。けっこうデカい店でさ、週末とか異常に忙しい」
「へぇ~」
すんげぇ感心してる。
「バーっつっても、カウンターの中でアルコール作ってる感じじゃなくてさ、料理もがっつりあるから運んだり注文取ったり、色々やっててけっこう大変」
「それは…忙しそう…」
「広いんだ、ほんとに。イベントとかよくやるしバンドが来てライブやる時もある」
「そんなとこで働いてるんですね……何か、想像つかない…」
まだまだ聞き足りない顔して俺を見てる。
パン食べるの止まってるし。
「食いな」
「あ…」
忘れてただろ、完全に。
「そしたら、」
一口食べて、また喋る。
「今日も夜は仕事ですか?」
「あー、今、改装中でさ。けっこうでっかい改装で、1ヶ月休みなんだ」
「1ヶ月も?」
「まだ、始まったばっかでさぁ、先週までは工事に入るための片付けとか手伝いに行ってたんだけど、それも終わって今週から本格的に休み。まだ3週間もあんの」
「普段、忙しいのに……それなら、ゆっくり出来ますね」
確かに、ゆっくりは出来るだろうけど……正直持て余してる感あるよ。
長期休暇貰っても……そんなにする事ないしさ。
中頃に、都合の合った奴らで旅行の予約してるぐらいでさ。
「とりあえず、今日はさぁ……」
チラッと窓の外を見ると、慶もつられて同じ方を見る。
「すっげぇ天気良いし…どっか行くか」
そう言うと慶は、途端に嬉しそうな顔して……ほんと分かりやすい奴…
「早く食いな、準備して出るぞ」
俺は既に食べ終わったパンの袋をゴミ箱に入れ、カフェオレを飲み干して立ち上がる。
「はいっ」
勢いよく返事すると、慌てたようにフレンチトーストを詰め込んでる。
ほんとは……よく喋る奴なんだ。
よく笑うし…。
すぐ泣くけど…。
~~~~~~~~
「ちょっとーっ、侑利くんっ、見てっ」
はしゃぎ様に、ちょっと恥ずかしくなるわ……
思いっきり手招きされて、周りの視線も少し感じつつ呼ばれた方へ行く。
「お前、ずっと声デカいから。恥ずいわ」
「見て見てっ、イルカだよっ」
俺だってイルカぐらい知ってるし。
どこ行こう、ってなって、慶の希望で水族館に来たら……最初からテンション上がっちゃっててこの有様。
……平日だからそんなに混んで無いけど、遠足団体とか来てて……その子供たちに混ざってすんごい興奮してる…。
いちいち呼ばれるから、すげぇ恥ずかしいんですけど。
引率の先生にも笑われてるしさ…
「本物だよっ」
「だから声、デカいからっ」
「いや、だって、本物見たらテンション上がるでしょっ」
子供と同レベルだ…。
今まで俺に敬語だったくせに、もう完全に飛んでるし。
まぁ、それはむしろ飛んでくれて良いんだけど…。
「すごいね」
隣の遠足の子供に話しかけてる。
「僕、本物のイルカ初めて見たっ」
「俺もだよ」
え、初めてなの?
思わず、突っ込みそうになったけど…………止めた。
『家族は…居ません………俺は、ずっと1人です』
昨日、慶が言った言葉が頭を過った。
……水族館って、だいたい大人になるまでにどっかのタイミングで行くもんだろう。
1人だったから……初めてなのかも…。
もしそうだったらって思ったら……少しだけ胸の奥の方が痛くなる。
イルカショーも満喫して、今はクラゲのコーナー。
ライトを落とした薄暗い部屋。
でっかい水槽の中で、自分が放つ光だけでゆらゆらと水の中を漂っている。
慶は、さっきまでのやかましい程のテンションはどこ行ったって思うくらい、静かにクラゲを見つめてる。
「……何、考えてんのかな…」
「何も考えて無いんじゃね?」
ロマンチックのかけらもない答えを返すけど……慶に俺の言葉が届いてるのかは分からない。
黙ってでっかい水槽を見上げてる。
それぞれの個体が、ただただゆらゆらと何処へ行くでもなく流れに身を任せてる感じ。
「こんな暗い水の中で……寂しくないのかな…」
ボソッと呟く。
静かな部屋…。
「光ってるから、大丈夫なんじゃねーの?」
青白い光は……案外力強くて……その存在ははっきりと見える。
「そっか……………光ってるから……大丈夫だね……………俺は……ずっと真っ暗で……すごく怖い…………俺は……光れないな…」
クラゲの放つ光に照らされて青白いシルエットなってる慶の目に、水槽の揺れる水の流れが写って……また、その目に涙が溜まってんのが分かる。
「じゃあさぁ……光っても無いのに、お前の事見つけた俺って……すごくねぇ?」
「…え…?」
小さな声を発して慶がこっちを向いた。
「お前は光ってなくて、周りは真っ暗かも知んねぇけど………俺には、最初からお前見えてるよ?…………それもはっきり。……お前からは見えなくても、誰かがお前の事見えてたら溺れる事はねぇよ」
慶は、また泣いた。
こんなに泣く大人の男、知らねぇな。
「侑利くんって………時々カッコいいね」
「時々って何だよ」
頭を軽く小突く。
フフッと少し恥ずかしそうに笑いながら涙を拭いている慶を、ほんの少し愛おしいと思ってしまった。
緩くそんな事を考えてたら、遠足団体がなだれ込んで来て追いやられるようにクラゲブースを出た。
思いつきで来た水族館だったけど、思いの外楽しめた、っていうのが感想。
俺も、こういうとこ来るのかなり久々だったから気分転換にもなって良かった。
クラゲの後は、アシカショーも見れたしペンギンの餌やりも出来て、慶は大満足な様子。
時刻は夕方5時を過ぎたとこ。
俺の車の助手席に乗り込んだ慶は、名残惜しそうに水族館の建物の方を振り返る。
「また、来たら良いじゃん」
発進し辛くて、そう言ってやる。
「うん」
微笑んで、慶が頷いたのを合図に、俺は車を走らせた。
「連れて来てくれて、ありがとう」
かしこまって何だよ。
水族館くらい、いつでも連れて来てやるよ。
「どういたしまして」
お決まりの返答をして、フッと笑うと、慶も同じようにフニャッと笑う。
帰りの道中、今日のあれこれを2人で喋ってたけど………少しずつ慶の口数が減り……何か言いたい事を我慢してるように、俺を伺ってる事には既に気付いてる。
また、何か……気にしてる事があるんだろう。
「晩飯、どうしよっか」
買い物して帰っても7時過ぎには食べ始められるだろう。
何か、作っても良いけど……
「何か食いたいもんある?」
「…え、……特には…」
めっちゃテンション下がってんじゃん。
何だよ……ほんとこいつ、女より気分変わるの早ぇんじゃねーの?
「家帰って食う?何か作るわ」
別に外で食っても良いんだけど、帰宅して……ゆっくり話したいような気も、何となくしてて………
俺は一体どういう方向に向かってんだって、心の中で密かに自分に突っ込んだ。
「…あの………」
不意に慶が口を開いた。
引っかかってた事、話す気になったかな。
「今日も……泊まって良いの…?」
気にしてたのは、そこか。
「え…行くとこあんの?」
ふるふる、と首を振る。
そうだろうね、知ってるよ。
「でも…昨日も泊めてもらったのに……」
こいつの事だから、こんな事も本気で考えてるんだろう。
二十歳なんて、振り返ればまだ子供なんだから、もっと図々しくしてて良いのに。
「あのさぁ……金貯めてアパート探すんだろ?…とりあえず、決まるまで居れば?」
俺の言葉にちょっと戸惑ってるのが分かる。
そもそも、連れて帰ったのは俺だ。
何も状況が変わって無いのに、家も金も無い奴を放り出せないでしょ、普通は。
「それならっ……お金払う」
え………そう来たか。
「や、別に良い、」
「ダメッ」
凄い勢いで思いっきり被せて来たな。
「アパート決まるまでなんて…どれくらいかかるか分からないのに……タダで居させて貰うなんて、絶対ダメ」
ちゃんとしてる性格が、出てるぞ。
「お前が1人増えたくらいでさぁ、生活費も食費も大して変わりねぇよ?」
「でも、ダメッ!絶対ダメッ。受け取って貰わないと困るっ」
絶対引かない気だな、これ。
「分かったよ、じゃあ毎月払ってよ。…………金額はお前が決めて?」
「えっ、……」
予想外だったのか、動揺してる。
「じゃあ、それで決定ね」
「えっ…あぁ…うん」
俺が強引に終わらせた。
いつまでも引き摺りそうだったから。
…とりあえず、一緒に住む事が今決まった。
……何か……休みの間、退屈し無さそうだな、俺…。
「パスタでも作るわ、何でも食える?」
家の近所の大きなスーパーに来てる。
扱ってる食材が豊富で新鮮だから、平日でも客が多い。
俺の問いかけに「うん」と頷いて、やっぱり店内をキョロキョロ見渡しながらカートを押して付いて来てる。
まぁ、無難なとこでミートソースで良いか…などと考えて、食材をカートに置かれたカゴに入れて行く。
「そう言えばさぁ……慶は料理すんの?」
状況はどうであれ、アパートに1人で住んでたんだし……。
「え……しない」
……まぁ、ちょっとそんな気もしてたけど…。
「しねぇの?アパートで居た時は?」
「…大家さんにおすそ分けして貰ったりしてた」
「それだけじゃ足りねぇだろ?」
「でも、食パンとか買っといたら何日か大丈夫だし」
……マジでどんな生活してたんだよ……
どうせ、1日3食食って無いんだろうな。
細ぇし。
慶の薄い体をチラッと見る。
「まぁ、料理上手そうなイメージは無いわ」
ニヤッと笑って言うと、すげぇ悪い顔で睨まれる。
そんな顔もあんだね…。
そう言えば、アルコールも切れてた事を思い出して、酒コーナーへ。
赤ワインをカゴに入れる。
「ワイン?」
「あぁ、それは料理用」
「えっ、侑利くん、料理にワイン使うの?」
「使うよ、ダメなの?」
「料理にワイン使うのって、シェフだけだと思ってた」
「あっはは」
つい笑ってしまった。
「一般人にもワイン使う権利くれよ」
真面目に言ってんのがウケる。
単細胞なのかな、コイツ。
「お前は?酒飲めるの?」
「……分かんない……飲んだ事ない」
……そうだな…
二十歳だし……酒なんか飲んでる余裕も無かっただろうしな…
「じゃ、止めとけ」
「侑利くんの、ちょっと飲ませてよ、飲んでみたい」
「……ちょっとだけな」
初めての飲酒とか……俺、責任重大じゃん。
「久我さんっ」
飲む用のアルコール類も幾つか選んでたら……突然名前を呼ばれた。
「やっぱり、久我さんだっ」
「あぁ、どうも」
BIRTHによく来てくれるお客さんの1人だ。
来る時は大抵、男2人で来てて………この彼には前に1度指名された事がある。
「俺、友達とBIRTHによく行ってて、」
「分かりますよ」
「ほんとですか?」
「友達とよく来てくれてますよね」
指名して来るって事は、少なからず俺に興味があるんだろう。
でも、指名はその1度だけだったから、思ってたのと違ったのかも知れないけど。
その辺は分からない。
「ほんとに、覚えてくれてるんですねっ」
ぴょん、と飛び跳ねる感じ。
「前に指名させてもらった事もあって…」
「カシスオレンジですよね」
その時、あんまりお酒が得意じゃないけど何か飲みたい、って言ってたから、飲みやすいと思ってアルコール度低めのカシスオレンジを作った。
「はいっ、あの…覚えててくれてるなんて思って無かったから、びっくりです」
俺は、けっこう人の顔を覚えるタイプだ。
接客業をする上では役に立つかな、とは思う。
「あ…ごめんなさい、買い物の邪魔しちゃって」
俺の隣で大人しく待ってる慶をチラッと見ながらその彼が言うと、慶は、どうぞどうぞ、とジェスチャーしてる。
「俺、あっち見てるね」
「あぁ、後で行くわ」
「はぁい」
軽く会釈をして、慶は違うコーナーへ歩いて行った。
はぁい、って……
無意識なんだろうな、きっと。
子供か。
「モデルさんみたいな人ですね」
「え?」
歩いて行く慶を見ながら、お客の彼が言う。
確かに、モデル体型ではある。
背は俺より低いけど、小顔だからか慶単独だと背も高くてモデルみたいなバランスに見える。
「恋人ですか?」
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結構、いきなりだな。
そこは、友達ですか?だろ、普通。
「や、友達」
友達、って言うのか……よく分からない関係だけどさ。
一緒に住む事になったけど、お互いよく知らないっていう……。
「良かったぁ……あんな人が恋人だったら、俺、撃沈ですよ~」
……それもあんまりよく分かんねぇけど……
…俺の事、狙ってんの?
「あ、俺、小田切 光(おだぎり ひかる)って言います!」
「あぁ、久我侑利です」
「あはは、知ってます」
楽しそうに笑う。
店で話す時もこんな感じで、いつも笑ってる印象。
「何歳ですか?」
「21歳、大学3年です」
「分かりました、覚えときますね」
「はいっ」と大きく頷く。
「また、BIRTH行ったら話しかけても良いですか?」
……話しかけても良いですか…って……慶にも言われた事あるな…。
コインランドリーで。
アイツは……死ぬ事を考えてた、と言った。
もう、生きるのを止めようと思ったって。
もう…その考えは消えたんだろうか。
「もちろん、どうぞ」
BIRTHで働いてると、かなり高確率で男から告白をされる。
お客の比率は半々くらいなのに、告白される率は男の方が高い。
俺が、男ウケするのかよく分かんねぇけど。
この、光という男のような可愛いタイプの男子には、俺は高校時代から何故か人気だ。
「BIRTHいつからですか?」
「工事が順調に行けば、来月頭です。リニューアルのイベントやるんで、是非」
「絶対行きますっ!……あ、長々引き止めてごめんなさいっ。友達…どっか行っちゃいましたね」
さっき慶が歩いて行ってた方を見る。
何となく俺も。
慶の姿は目の届く範囲には見えない。
「今日はオフの久我さんが見れてラッキーでしたっ、友達に自慢しますっ」
「…や、そんな自慢にならないと思いますけど…」
はは、と笑ってみせる。
店では制服を着てるから私服の俺は珍しいかも知れないけど、俺にしてみたら今日の格好は完全に普段着だから、これを自慢されるとちょっと複雑だ。
「じゃあ、そろそろ失礼します。新しい店で待ってますね」
軽くお辞儀をして行こうとしたけど…
「あ、あのっ、久我さんっ」
呼び止められた。
「え、はい」
もう一度向き直る。
「あの……け、…携帯教えてもらえませんか…」
さっきまでとは打って変わって、今度は恥ずかしそうに言う。
耳まで真っ赤になってて、こっちまで何か恥ずかしくなって来る。
「あ、一応、決まりで教えられない事になってて……すみません」
店のルール。
お客と電話番号を交換しない事。
俺は、忠実に守ってる。
……あやふやにすると、めんどくさそうってのが本音。
多分、他のスタッフも意外と守ってると思う。
モテ男の天馬でさえも、誰にも教えてないらしいから。
「あの…じゃあ、……」
そう言って鞄から、学生らしくノートを取り出し端の方を破った。
「俺が一方的に渡しますっ」
その紙を渡される。
小田切 光という彼の名前と、電話番号が書いてあった。
「すみません……図々しいですね、俺…」
随分大胆な行動に出た割には、泣きそうになってるし…。
「いえ、大丈夫ですよ。じゃあ、番号貰っときます」
こういう仕事柄、こんな事もよくある。
貰ってもかける事は無いんだけど……相手はお客さんだし、押し返す訳にもいかないし…。
「じゃ」と軽く手を上げて、その場を後にした。
貰った紙は、とりあえず鞄に入れて、慶の姿を探す。
……居ない。
その辺に居ると思ったけど……居ない。
あの見た目だから、居たら絶対目に付くと思うけど……
電話してみようと一瞬思ったけど、よく考えてみたら慶の携帯教えて貰ってないしっ!
自力で探すしか無いのかよ……
カートを押しながら、デカいスーパーの通路を順番に探す。
迷子放送とかイヤだからな、マジで。
何本目かの通路で……生活用品を見てる慶を発見した。
「おいっ」
「あ、侑利くん、話終わったの?」
呑気か。
めっちゃ探したわ。
「お前、こんな遠くに勝手に来んなよっ」
「え、だって、侑利くん、なかなか来ないから」
……まぁ、それはそうだけど……
「ねぇ、侑利くん、俺、これ買っといた方が良いよね?」
風呂で使うボディータオル。
あー……確かにな、…って、さっきの勝手に移動すんな的な話はもう終わったのか?
俺、もしかして、こいつのペースに巻き込まれてるとか?
「銭湯ではどうしてたの?」
「普通のタオル使ってた。あれ、泡立たないんだよ~」
とか言いながら、あれこれ商品の謳い文句を見比べて選んでる。
文句も言わず待ってやる俺も、相当優しいな。
「よし、これにするっ」
そう言って、慶はオレンジの泡立ちの良さそうなボディータオルに決めた。
「これは、別会計ね。俺が買うからっ」
「…どうせ、居候代払うんだし、そこに入ってるって事にすりゃ良いじゃん」
「ううん、良いの、これは早速今日から使うから」
答えになってないような気もするけど、もういいわ、好きにしな。
レジは、すんげぇ混んでてちょっと怯んだけど……何となく一番短そうな列を見付けて、そこへ並ぶ。
「こんなに並ぶんだね」
圧倒されたように言う慶に、俺から話を振る。
「あのさぁ、携帯番号教えて貰って良い?」
「え…」
慶が少し驚いた顔をする。
「いや、さっきみたいな時も電話すりゃすぐ居場所分かるしさ。とりあえず一緒に住むんだし、連絡取る事あるじゃん、絶対」
少し沈黙。
レジの忙しない音と声が耳につく。
「あー、ごめん、俺、携帯持ってない」
…………あ…。
……そっちね。
「連絡とかどうしてたの?」
「…別に、連絡取りたい人居なかったから…」
俺………気付かない内に、慶を傷つけるタイプかも知れねぇな…。
慶も、バツが悪そうな顔してる。
今時、この時代に、二十歳で携帯持ってない奴が居るなんて……って思うけど……
慶は、どんな人生を生きて来たんだろう。
「…今日からは……必要じゃねぇ?」
だってさ……一緒に住むんだし。
「でも、高いから無理…」
さっきまで呑気で元気だったのに、しょんぼりしてしまった。
山の天気みたいに良く変わる感情。
「いらっしゃいませ」
それから、あんまり喋らず、レジの順番が来た。
ボディータオル1つを買う慶を、先に行かせてやる。
先にサッカー台へ行き、何か言いたそうな顔して、俺が清算終わるのを待ってる。
店を出ると、外はけっこう暗くなってて、秋が来てんだなぁとかしみじみ思う。
「慶、開けて」
慶にドアを開けてもらい、後部座席に買い物袋を置く。
飲み物類をけっこう買ったから、袋は2個分になった。
「侑利くん」
助手席へ乗り込んですぐ、黙ってた慶が口を開いた。
「ん?」
シートベルトを締めながら緩く返事する。
「バイト頑張って携帯買うから……そしたら、教える」
何か言いたそうな顔してると思ってたけど……
言いたい事はこれだったのか、と思ったら………何だか、果てしなく愛おしく思えてしまった。
コイツ……何なんだよ…マジで。
「分かった」
俺の返事にホッとしたように視線を逸らすと、急いでシートベルトを締める。
カチ、とベルト完了の音が聞こえたと同時に発進した。
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