上 下
10 / 35
第二章「ダオロスの光」

第二章「ダオロスの光」4

しおりを挟む
 深夜に近づきつつあった。
 優斗は賀茂の車の後部座席に乗り、奇妙なドライブをしていた。
 近場から、と言ったが、それも徒歩圏内ではなかった。
 どこへ、という質問にも、賀茂は、まあまあとしか答えなかった。
「さて」
 だいぶ街の中心部から離れてしまった。昔の街の中心部との間くらいだ。家々は建っているが、高い建物はない。海側にはこの地域でも大きな製鋼所の工場がある。
「僕が追加で仕入れた情報を」
 助手席のカバンから何かを取り出した。
「これを」
 後ろにいる優斗にぽいっと投げる。
「なんだこれ?」
 優斗は渡されたそれを見る。四センチ四方の小さいビニールで個包装された、何かの粉のようなものだ。
「薬?」
 軽く振る。粉は少し粗めで暗くてよく見えないが、白というよりは茶色に近い。
「いや、うん、よくわからない。粉であることはわかる。でもどうやら、『砂』と呼ばれているらしいね。あとは」
「あとは?」
「いや。うん、まあね、おまじないとは別に、どうやらこれが少数の人に渡っているらしい」
「何か危ない薬か?」
「どうだろうね。土みたいにも見えるけど。こちらの方が『おまじない』に近いのかもしれないね。とにかく、これを『飲んで』願い事を唱えるとその願い事をかなえてくれるらしい」
「なんだそれ」
「まあ僕もそう思うよ」
「あんたはどうやってそれを手に入れたんだ?」
「別件でね」
「あんたが探している方のか」
「そういうこと」
 ルームミラー越しに賀茂が頷いた。
「あっちのおまじないとは別なものだと思う。関連性は今のところ見当たらない」
「そうか」
「これもあまりよいものとは言えないね。正体はなんだろうな。詳しく見てみないと」
「淀みって言うやつか?」
「そんなところ。正しい流れを歪ませるものだ。まあ、こんな量じゃどうってこともないだろうけど」
「あんたが何を知っていて、何をしているのか、本当にわからない」
「わからない方がいいこともあるよ」
 最小限の情報は提供するが、その核心については言わない、この賀茂の態度が優斗はかなりもどかしかった。
 しかし、かなり自分の常識とはかけ離れた方向に話が進んでいることはひしひしと感じている。
「君の気持ちがまったくわからないわけでもないよ。自分が中心でないところで物語が進んでいるのが腑に落ちないってところだね」
「あ、ああ、まあ」
 賀茂の言う通りだ。賀茂と自分にどれだけの情報の差があるのか、底すらも見えていない。おそらく、一ノ瀬や月村は、賀茂側に属しているのだろう。ギリギリの周辺部でなんとかぶら下がっているのが優斗自身というわけだ。距離で言うなら、警察の方がまだ自分寄りの情報しか持っていないのではないのか。
「人生は時としてそういうものだよ。年を取れば段々諦めてくる。今はまだそうでしかいられない、という実感を味わっていくといい。そういうものが人間を成長させる」
 なんだか情報を隠している張本人の賀茂は楽しそうに言った。
「あんたがもっと教えてくれればいい」
「まあ、それはそれでリスクがあるからね。リスクというのは、僕に、じゃなくて、君に、だよ」
 あくまで優斗のため、と言いたいのだろう。それが余計に自分が隅っこに追いやられているという感覚を強くする。
「ああ、このあたりかな」
 信号で止まったところで、カバンから手の平大の何かを取り出している。それを右手においてじっと見ている。
「それは?」
 ガラスか何か、透明なものでできたレンズのようなものだった。
「『ニュートンリング』、近場の淀みを探している。『サーチライト』の近場版。よし、この辺りに止めておこう」
 賀茂はすでに営業を終えているケーキ店の駐車場に車を止めた。
 運転席から出たので優斗も車から出る。
 外に出て賀茂は『ニュートンリング』と呼んだものをじっと見ていた。
「確かにこの辺りなんだけど、ああ」
 賀茂が手に持っていたものをスーツのジャケットのポケットに入れる。
 左右に住宅が並ぶ道、今や電灯もあまりなく光が暗闇に吸い込まれているその先を眼鏡越しに見ている。
「当たりだ」
 その暗闇にぼうっと光るものが優斗には見えた。
「何が見える?」
 賀茂が聞く。
「あれは、人?」
 この距離だと棒が立っているようにも見えるが、道路の真ん中に棒があるのはおかしい。優斗が言ったように、いるとすれば人間だが、だとすると、電灯の反射ではない、自分自身が光っていないとおかしい。何か明かりになるものを持っているのだろうか。
「正解、君にも見えるようだ」
「見える?」
「来るよ」
 ぼんやりとした光が左右に大きく揺れた。
 優斗がそう思った瞬間には、光がはっきりとしてきた。発光しているそれは、急激に近づいているのだ。
「優斗君!」
 賀茂が叫んだが、その一瞬前には光は賀茂の横をすり抜けて、優斗の前にいた。一メートルもない距離になって、優斗はその姿が人間の、それも行方不明になっていた女子生徒であることを認識した。光のせいか顔つきは死んだように青白く、俯いてもいたが、確かに写真で見た彼女だった。
 彼女は右足を引きずっている。怪我をしたのだろうか。
「なっ」
 彼女は優斗の前で止まることもなく、そのまま突撃してきた。女子生徒とはいえ、全身の体重を乗せた勢いを上半身にまともに浴びて、優斗は後ろに弾き飛ばされる。足に力を入れていなかったせいで、身体が倒れて後頭部を道路に打ち付けそうになるが、なんとか頭を上げて肩で受け身を取った。背中全体に衝撃が広がる。
 視線を彼女へと向ける。
 彼女は立ったまま優斗を見下ろしている。
 彼女は全身が淡く光っている。光源がどこからなのかわからないが、小さくて弱い電球を身体中に張り巡らせているようだった。
「う、うう、ううう」
 うめき声は彼女のものだ。
「ま、待って、僕は、君を探しに」
 倒れながら優斗は右手を出す。
「うううう、うう」
 彼女は正気を失っていた。まともに話を聞いてくれるようにも見えない。立ち上がって、彼女を止めないといけない。
 身体を起こそうとしたところで、彼女が優斗に向かって倒れ込んでくる。右手を伸ばし、優斗の胸辺りを掴もうとする。
「ちっ」
 半身を捻ってそれをかわす。彼女の手が優斗がいた地面のコンクリートにねじ込み、鈍い音を上げた。尋常ではない力で地面を叩きつけたのだ。骨が折れたのではないだろうか。彼女の手を見ている余裕はない。
「ううううう」
 彼女はなおを声を上げている。
 ザリ、という音がした。
 彼女が地面を擦るようにその右手を滑らせながら優斗の脇腹に叩きつけた。
「ぐぅ」
 女子生徒の出せるような力ではなかった、過去の経験からでも、成人男性でもこれほどの力は難しいのではないかと思った。
 そのまま女子生徒が馬乗りの姿勢になる。
 かなりマズい状況になった、優斗は仰向けになったまま両肘をつけて胸と顔をガードする。劣勢であることは理解していたが、それでも彼女に対して反撃をするという思考にならなかった。
 なんとか状況を脱して彼女を押さえつけなければ、と考える。
「優斗君、よく耐えた」
 頭の上で声がした。
「後は任せて」
 優斗にマウントを取っている彼女の顔を賀茂が右手で抑える。ガッチリとホールドをしているわけではない、ただ、優しく乗せている、というレベルだ。
 彼女が賀茂の右手を払いのけようといくらか指が折れているだろう右手を振る。
 優斗が一撃でさえキツく感じた威力だ。
 しかし、賀茂の手はまったく動くことがなかった。
「僕を見なさい」
 賀茂の声を彼女は無視する。彼女は感情のない顔で優斗の胸辺りを見ていた。
「そうか」
 賀茂が彼女の顔に手を置いたまま、少ししゃがむ。
「これだね」
 優斗の胸ポケットに左手を入れて、中に入っていたものを抜き取る。賀茂が優斗に車の中で渡していた砂の入った小さいパッケージだ。
「あ、ああ、あああ」
 彼女がそれに視線を合わせる。
「別に薬物ってわけでもなさそうだけど」
 賀茂は落ち着いてそう言いながら、その袋を自分のポケットに仕舞った。
「ああ!」
 彼女が左手で賀茂のポケットのある辺りを殴りかかる。
「さすがに受けないよ」
 賀茂が彼女の左手首を掴んだ。
「優斗君、まず君はここから脱出して」
「ああ」
 地面に倒れて彼女の下敷きになっている優斗がずりずりと動いて抜け出す。彼女はもう優斗には興味がないようで、力も乗っていなかったので、努力をせずとも身体を動かすことができた。
「もう少ししっかりやるか」
 賀茂は眼鏡を外し、胸ポケットに入れて彼女を見た。
 優斗は賀茂が眼鏡を外すのを初めて見た。
「僕を見なさい。あ、優斗君はむしろ見ないでね」
 膝をついたままの彼女に賀茂がはっきりした声で言う。
「君は、ゆっくりと、立つ」
 賀茂が右手を徐々に上げるのに合わせるように彼女も立ち上がった。一ノ瀬が優斗にやったものみたいだ、と思いながら優斗も立ち上がった。脇腹が痛い。ただ肋骨が折れているまでの痛みではなかった。
「優斗君は後ろに」
 賀茂の指示で優斗は賀茂の少し後ろに立って彼女を見る。彼女はうつろな表情のまま、ぼんやりとして広げられた賀茂の右手の隙間から賀茂を見ている。
「これは、何?」
 賀茂がポケットから袋を取り出し、彼女の前に見せる。
「神様が……」
 賀茂の後ろにいる優斗になんとか聴き取れるくらいの弱々しい声だ。
「神様? それは誰? 名前を名乗った?」
「わからない。神様が、くれた」
「わからないんじゃ困るんだけど、うん、その神様は、『僕みたい』なやつじゃなかったかい? あるいは、『賀茂』と名乗らなかったかな?」
「違う、彼女が、神様、名前は、知らない」
「彼女? 女性かい?」
「うん」
「なるほど、まあ、外見がどうかはあまり問題にならないことが多いから留保していこう。それじゃあ、これはどう使う?」
「それを飲んで、お願い事をすると、叶うって、神様が」
「君は何を願ったの?」
「先輩が、好きだって」
「なるほど、そういうものなんだね」
 彼女は沈黙した。
「お願い、それを」
 意識が戻ってきているのか、彼女が賀茂に手を伸ばす。
「いや、それはできないよ。次の命の保証はない。それに君は願い事が叶ったんだろう? 今さら砂を手に入れてどうしようっていうんだ」
「お願い、戻して」
「戻す?」
「私の、大切な、アルフ」
「アルフ?」
 賀茂が首を傾げる。
「彼女が飼っていた犬の名前だ。交通事故で亡くなった」
 優斗が補足をする。
「なるほどなるほど、少し見えてきたね。でも、残念だね、たぶん、これに命を巻き戻すほどの力はない。いや、そんな力を持つものなんて、現存しているかどうかも怪しいんだよ」
 彼女はそれには返さなかった。
「お願い、もう一度、ちゃんと考えるから」
「悪いね。できないことはできないとしか言えない」
 あっさりと賀茂が彼女の言葉を切り捨てる。
「じゃあ次の質問、君は『何から』逃げようとしていたの?」
「天使が……」
「天使?」
 神様ときて今度は天使だ。
「天使が、私を精算しに来るから」
「どうして? 君は天使に会ったのかい?」
 彼女はこくんと頷いた。
「『呪い』がまとわりついているから、それを除去しないといけないって」
「除去? それならそうしてもらえばいいんじゃないの?」
「でも私は、すべて飲んでしまったから」
「飲んだのはこの砂のこと?」
「そう、私は人間が取り込んでいい『呪い』の上限を超えてしまっている、だから、彼女が言ったの、『すべてを引き剥がしたら、そこには何も残らない』って」
「つまり、死ぬということ?」
「私はそう思ったから」
「そうかそうか、じゃあ、その『天使』というのはどんな姿をしていたのかわかるかい?」
 女子生徒は力なく横に振った。
「姿は見えなかった。声だけしか聞こえなかった。たぶん、女の子」
「彼女は自分のことを『天使』と言った?」
「言わなかった」
「じゃあどうして?」
「おまじない、呪われると『天使が精算をしに来る』ってみんなが言っていたから」
「精算、ねえ、穏やかじゃないな」
「それは聞いたことがなかった」
 優斗が数日を思い出しながら言った。
「ううう、ごめんなさい、ごめんさい」
 彼女は顔と賀茂の手の隙間に手を入れて、顔を覆う。
「ごめんなさい、ごめんなさい、アルフ」
 彼女は死んだ犬のことを呟いている。
「ああ、もう、限界かな」
 賀茂が右手を彼女の顔から離す。彼女は完全に自由になったが、反撃をするつもりはないようだった。賀茂は眼鏡をかけ直して優斗を見る。
「優斗君、申し訳ないけど、助手席のカバンを持ってきてもらえないかな」
「あ、ああ」
 少し戻って車からカバンを取ってきて、それを渡した。賀茂は受け取ったカバンを開き、何かを取り出す。
「これかな」
 賀茂が取り出したのは大きめのペンダントだった。中央に青い石がはめられている。宝石に詳しくない優斗が、それがどんなものなのかは判別できない。
「今度はこれを見て」
 ペンダントを彼女の顔の前に持っていく。賀茂はペンダントに近いチェーンを持っているから、本体がゆらゆらと揺れている。
「気を抜いて、落ち着いて、この宝石を見つめる」
 彼女は言われた通りにペンダントを見ている。
「君にかけられた『呪い』の質がどうであれ、君が君を取り戻すにはこれで十分だ。たぶん、剥がされても死なない、程度にはなると思う。天使の標的にならないかもしれない」
 賀茂は呪いがこれで緩和されるようなことを言った。
「ただ、まあ、ね、ちょっと代償を払ってもらうよ」
 賀茂がそう言って、ペンダントを持っている右手を振りかぶって、勢いよく彼女の頬を引っぱたいた。彼女は叩かれた方向にぐらりと身体を曲げて、支えていた足がもつれてバランスを崩してしまい、地面に膝をついた。
 手加減はしているとは思うが、手にペンダントを持っている分、かなり痛そうだった。これが賀茂が言う『代償』なら仕方のない範疇なのかもしれない。賀茂の弁に拠れば、彼女に残っている『呪い』は多少は減るみたいなことを言っていたから、結果的にそれくらいは受け入れるべきなのだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

スイミングスクールは学校じゃないので勃起してもセーフ

九拾七
青春
今から20年前、性に目覚めた少年の体験記。 行為はありません。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

通り道のお仕置き

おしり丸
青春
お尻真っ赤

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

スカートの中、…見たいの?

サドラ
大衆娯楽
どうしてこうなったのかは、説明を省かせていただきます。文脈とかも適当です。官能の表現に身を委ねました。 「僕」と「彼女」が二人っきりでいる。僕の指は彼女をなぞり始め…

新しい自分(女体化しても生きていく)

雪城朝香
ファンタジー
明日から大学生となる節目に突如女性になってしまった少年の話です♪♪ 男では絶対にありえない痛みから始まり、最後には・・・。

処理中です...