保健室 三年生

下野 みかも

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三年生 先生の秘密

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「梅雨の頃」
 今朝は、冬の寒い雨。 朝ご飯を食べ終えて、先生は、猫脚のソファで私を膝枕してくれている。 二人、色違いでお揃いの、モコモコのパジャマを着て。
「秘密はある?って、お話、したわね」
 髪を撫でながら、先生は言う。
 私は先生の腿の上で、首を縦に振る。
「うん」
「聞いてくれる? つまらない話」
 先生のお話で、つまんない事なんてひとつもない。 全部、知りたいから。
 私は、真上にある先生の顔を見て、目を合わせる。 先生のほっぺたに、指で触れる。
「どんなお話?」


「中学三年生の頃、家庭教師の先生がいたの。 近くの町の、医大の学生さん。 かわいい人だったわ。 髪が真っ直ぐで、目が大きくて」
 あなたみたいにね、と先生は私の目元を撫でる。 くすぐったい。
「私は先生が大好きで、勉強、とっても頑張ったの。 沢山、褒めてもらいたくて。 その頃には、私は女の人しか好きになれないって分かっていたから……」
 私の唇を、指先でなぞる。

「高校に合格したら、キスして下さいって、お願いして。 先生のびっくりしたお顔、覚えてるわ。 私だって、心臓が破裂しそうに、緊張したのよ。 そんなお願い、誰にもした事がないもの」
 とん、とん、と唇を軽く、ノックする。

「無事に、合格して。 私の部屋で、初めてキスしたの。 私も先生も初めてで、へたくそだった。 お互いの鼻が、当たって。 だけど、とっても嬉しかった」
 私のほっぺたを、ふにふに触る。

「高校に入ってからも、お願いして、家庭教師を続けて貰ったの。 会いたかったから」
 耳たぶを、軽く、摘まれる。
「時々、先生のおうちに遊びに行って。 学校のこと、おしゃれのこと、お喋りしたわ」
 先生は、目を細める。 思い出してる。 すてきな、昔のことを。

「大好きだったの? 私みたいに」
「ふふ。 そうよ。 恋する乙女ね」

「先生、苦労なさって医大に入って。 私より六歳、上で。 大学の寮で、一人暮らしで。 私は先生が大好きで大好きで、いつも一緒にいたかった。 先生は、自分のお勉強も、アルバイトの家庭教師も、とっても頑張っていらしたわ」
「すごいね。 先生の、先生。 お医者さんになったの?」
「ううん。 なれなかったの。 先生、亡くなったから」

「えっ」
 私は、先生の目を見る。 先生も、私を見ている。 長いまつ毛に、涙の粒が、絡んでる。

「アルバイトの……  私の家、家庭教師に来て下さった日の帰りに」
「そうなんだ……」
「その日にね。 私、先生に、ひどい我儘を言ったの。 今でも、忘れられない。 自分の言ってしまった事。 そして、先生のばら色のほっぺたを、引っ叩いたのよ」

「ほんとに、本当に、大好きだったのよ」
 先生の涙が、私の顔に落ちてくる。 涙は、あったかい。 先生は、続ける。
「その日から、ずうっと、死にたいと思ってたの」
 ずうっと。 先生の先生がいなくなってしまってから、ずうっと……。
「……」
「ね。 つまらないでしょう。 私が、誰にも言わなかった事。 つまらない、秘密よ」
 先生は、傍にあったティッシュで涙を拭く。 もう一枚取って、私の涙も拭いてくれる。
「つまるとか、つまらないとかじゃない」
「嫌いになった?」
 むりやり、ほほ笑む。 私の髪を撫でながら。
「ならないよ!」
 私は、おっきな声になってしまう。

 おりえちゃんは、置いていかれちゃったんだ。 大好きな、先生に。

「先生が……かわいそうだよ。 今も……毎日、つらい?」
 下からもう一度、先生のほっぺたに触れる。 白くてさらさらの、きれいなほっぺた。 お肉のついてない、大人のほっぺた。 先生は、私の手にやさしく触れる。
「それがね。 最近はもう、つらくない日の方が多いのよ。 あなたが」
 私?
「先生大好き、大好きって言ってくれるから」


────


「前に、どうして付き合ってくれたのって、聞いたわね」
 先生は、私をお膝に乗せる。 向かい合わせになるように。
「うん」
「体育館の壇上から、きらきら、きらきら光って見えたのよ。 あなたが。 本当よ」
 何だか照れくさくて、唇が、とんがる。
「きらきら光ってる子が、私が挨拶してる間、ずうっとこちらを見て。 お口、ぽかんとして。 ふふ。 なんて可愛いのかしらって思ったわ」
 とんがった唇を、つままれる。
「こんな子が、私の事を好きだって言ってくれたら。 大好きになってくれたら。 そうしたら、あの時の先生の気持ちが、分かるかなって思ったの」
 唇を、ぷにゅぷにゅ捏ねられる。

「自分を好きだって言ってくれるひとを置いて、死ぬ人の気持ちが」

 私は、先生の首に腕を回す。 先生はやさしく微笑んで、その腕を外してしまう。
「死んじゃいやだ……」
「ばかね。 生きてますよ」
「先生、死んじゃいやだよ」
「死ぬ予定、当分先になったわ。 こんなに私を愛してくれて、一生懸命、全身で好きって伝えようとする子を置いて、死ねないから」
 先生は、私のほっぺたに手をやる。 かなしそうに、笑う。
「気持ち、とうとう、分からなかったわ。 どうして、置いていかれてしまったのかしらね。」
 先生は、続ける。
「私……  あの先生に、ひどい事をしたわ。 先生だって、大人になって、素敵な人と巡り合って、幸せになっていたでしょうに。 私なんかと出会わなければ」
「そんなこと……」
 言わないで。 そんな悲しいこと、言わないで。

 私はもう一回、先生の首に腕を回す。 今度は、もう外されないように、両手の指をがっちり組む。
「あのね。 おりえちゃんの先生が、勇気を出したご褒美に、かわいいおりえちゃんにキスしてくれたから…」
「うん?」
「だから、おりえちゃんはその後、ちゃんと女の子が好きになれたのかなって……。 私のこと、好きになれたのかなって……思ったよ」
「夕陽。」
「私は先生の先生のこと、知らないけど。 昔のおりえちゃんのことも、知らない。 でも。 今、私のこと、大好きでしょ。 一緒に暮らして、一緒におばあちゃんに、なるでしょ。 今と……これからが、大切でしょ」
 先生、前に、そう言ったじゃん。 今が大切だって。 今一緒だから、がんばれたんだよ。 これから一緒だって知ってるから、がんばれたの。
 私は先生の唇に、キスをする。
「先生のこと、大好きだよ。 夕陽は、ずーっと大好き。 わがまま言っても、いいよ。 泣いてもいいし。 秘密も、つくろ。 あ、だってさ……」
「だって、なぁに?」
 先生は、かわいく、首をかしげる。 ほんとう……好き!
「だって、今二人がこうしてるのだってさ、秘密じゃん……」
 先生は、ふふっと笑う。 いつもの、大人の笑顔。
「そうよね。 当たり前になってしまって、忘れてたわ。 私たちがこうして、くっ付いて、キスをしてるのも。 それも、秘密よね」
 そう言って、私に頬擦りをする。 先生のほっぺたはまた、涙で濡れていた。
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