最後の魔導師

蓮生

文字の大きさ
上 下
81 / 93
第3章 エイレン城への道

夜のニス湖⑤ 魔導師と城主

しおりを挟む

「ニゲルッ!どこだ!!返事をしろッ!!」

 ゆるく結んでいたひもの結び目が、細身だがしっかりとした背中で揺れるたびに、解けた髪の毛の束がすらりと伸びた鼻梁びりょうやほおをかすめていた。けれどサフィラスはそんなことなど構いもせずに、一心不乱いっしんふらんに髪を振り乱し叫んでいた。
(なんてばかなことをッ!)
 アランと城の兵士が集まり、沢山の松明で照らされる水辺に立ち、サフィラスは声の限り呼び続けている。
 身を切るような水の冷たさに浸かった足が、想像するのも恐ろしい予感を駆り立てていた。

 攻撃を止めて天守から駆け下り、水際門まで息せき切って来たサフィラスは、緊迫きんぱくした表情のアランから、脱ぎすてられた靴と服を渡され、嗚呼ああ…と何かを乞うようななげきを、震える声でつぶやいた。

 
 
***
 その場にいた皆が異変に気付いたのは、もてなしを受けるサフィラスを残し、ニゲルが部屋に戻ってしばらくした時の事である。

 城主であり一級の騎士でもあるアレンの向かいで笑いながらワインを飲んでいたサフィラスの顔は、そのわずかな異変を察知さっちした途端とたん、誰が見てもわかるほどに一瞬で凍り付いた。
 その手に持つ杯が固い石の床に滑り落ちた音が、カンカンカン…と騒がしかった広間に広がり、それに気づいた多くの者が城主の旧来きゅうらいの友であるサフィラスをいぶかしげに振り返った。
 当然、目の前の彼の異様な白いおもてと、小さく震える唇、くう彷徨さまよう指先をみて、アランも言葉がすぐには出なかった。それほど突然の事であった。

 ほんのわずかな静寂せいじゃくがながれ、そしてガタンと座っていた椅子から急に立ち上がった魔導師を皆が見つめる中、彼は床に倒れた椅子になど目もくれずに大広間の湖に面した窓まで大股で近づくと、遮光しゃこう布を勢いよく手ではね、くらやみの広がる外に目を走らせた。
 そして数人が同じようにしておそるおそる他の窓に近づいて外をのぞき込んだ瞬間、場違いな形相ぎょうそうでアランを振り返り、脅迫きょうはくめいた態度ですごんだ。
「天守の使用許可をッ!!」

 ——なにをいっているのか…。
 半ばあきれ気味で、ほろ酔い気分の顔を赤らめた騎士たちが、魔導師に困惑の視線を寄越した次の瞬間、しかし彼が目を見開いて叫んだ言葉に、その場の全員が息をのんだのだった。


「湖を見てください!!竜ですッッ!!!」


 その時すでに、カチカチカチ…と器同士が机の上でぶつかり合ってかなでる小さな音はあちらこちらで始まっていた。

 床が、ゆれている。



 飛び出る様に大広間を後にしたアランとサフィラスは、何が起きているのか…湖の全容を確認すべく、城内で最も高い建物である天守へ真っ先に向かった。
 そこにはすでに状況を知らせる伝令でんれい役はおらず、見張りの歩哨ほしょうが10名ほど集まっており、息をのんだ緊張した表情で湖を見つめている。

 地震か?

 そんな空気が流れていたが、サフィラスだけは大きな気配をすでに感じ取っていた。

 (なにをするつもりなんだ…)
 得体のしれぬ大きな不安が押し寄せようとしていたこの時、大地を揺らすような、かなり大きな、強いうなり声が湖の方から聞こえた。
 いや、実際に建物の足場は振動しんどうし、細かく揺れていた。
 
 動揺どうようを走らせ互いに顔を見合わせる見張り達の間で、サフィラスだけは、何が起こるのか、全神経を耳や目、指の先まで集中させていた。

 そして大勢の期待を裏切る様に、大きな湖面からはザアァ―ッという水の流れと謎の激しいしぶきが聞こえ、今度は湖の上空から巨大な咆哮ほうこうが辺り一帯にとどろいた。
 ハッと、声に吊られる様にして湖の中ほどを振り返ったサフィラスは、今も止まない声の発生場所を定めると暗闇を見つめて息をのんだ。

「何が起こったんだ!?おいッ、何が見える!?」
 アランは一点を凝視ぎょうししているサフィラスに怒鳴どなる様に声をかけたが、かれがそれに答えることはなかった。
 正確に言えば、サフィラスの耳にはそんな言葉は聞こえていなかった。
 
 かれが見ていたのは、湖の、その冷たく暗い水の中に、ニゲルのイウラの腕輪があって、ここからでもはっきりとわかるほど、赤い光を放って水面を照らし、必死に持ち主の命をつなぎとめている…ただそれだけだった。



 どう考えても、ニゲルが水の中に沈んでいることは明らかであった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

かつて聖女は悪女と呼ばれていた

楪巴 (ゆずりは)
児童書・童話
「別に計算していたわけではないのよ」 この聖女、悪女よりもタチが悪い!? 悪魔の力で聖女に成り代わった悪女は、思い知ることになる。聖女がいかに優秀であったのかを――!! 聖女が華麗にざまぁします♪ ※ エブリスタさんの妄コン『変身』にて、大賞をいただきました……!!✨ ※ 悪女視点と聖女視点があります。 ※ 表紙絵は親友の朝美智晴さまに描いていただきました♪

理想の王妃様

青空一夏
児童書・童話
公爵令嬢イライザはフィリップ第一王子とうまれたときから婚約している。 王子は幼いときから、面倒なことはイザベルにやらせていた。 王になっても、それは変わらず‥‥側妃とわがまま遊び放題! で、そんな二人がどーなったか? ざまぁ?ありです。 お気楽にお読みください。

悪女の死んだ国

神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。 悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか......... 2話完結 1/14に2話の内容を増やしました

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

処理中です...