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第3章 エイレン城への道
夜のニス湖①
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夜の食事はとても豪華で、めずらしいものばかりが並べられていた。
大広間の机にワインや蜂蜜酒の間を埋めるように所狭しと並べられた料理の数々の中には、山ウズラの串焼きに、湖でとれるウナギのパテ、魚のローストというものや、ウサギのシチューもあった。
なかには変わった匂いの調味料がふんだんに使われて物があり、ちょっと鼻がまひしそうで苦手な物もあったけれど、好きなだけ、たくさん食べろとどんどん勧められて、ニゲルのお腹は今、はち切れんばかりにパンパンにふくれ、息を吸うのも苦しいような、そんな具合だ。
「ふう…食べすぎちゃった…」
鉄の燭台がぶら下がる広い空間は、がやがやとまだまだ沢山の人の声でにぎわい、お給仕する人の出入りも激しい。そんな食べ物の匂いで埋め尽くされた広間を出て、一人でひんやりとした静かな廊下を歩いていく。
すこし疲れてしまったのでサフィラスを広間に残したまま、食事の前に案内された自分の部屋に向かうためだ。
ニゲルの部屋はサフィラスの部屋の真向かいで、ここから離れた居館の2階部分にある。眼下に湖が広がる塔の中で、ここからはひたすら右に進んで、つき当りの高い塔をせまいらせん階段で上がっていく。
「…ちょっと外に出てみようかな…」
やっぱりちょっとまだ熱っぽいのだろうか。
ふわふわとして身体が火照っている気がする。
冷たい新鮮な空気が吸いたくなり、パレスに向かっていた足を反対方向に向ける。
(…なんだかあの湖が気になるなあ…)
気持ちのおもむくままに来た道を戻ってしばらく歩くと、さっきまで居た大広間のとなりにある大きな台所を抜けて外に出る。
外に出た途端、冷たい風が髪を揺らし、冷え冷えと冴えわたる空気はニゲルの吐息を白くさせた。
はぁっと吐いた息は、ぶるりとふるえた身体のそばで暗闇に吸い込まれるように消える。
目の前にはいたるところに松明が掲げられているが、城門やひときわ高く築かれた城壁に沿う天守のあたりをうろうろする兵士の人たちの姿を、はっきりとさせるほどの明かりではない。
小石を含んだ土の塊をふんだのか、足の裏に伝わる妙な感触とジャリ…っという音に我に返ると、ニゲルはふらふらと水際門まで歩いてきていることに気が付いた。
ゆるい階段を降りる足を止めると、白い息を吐きながら目の前の暗い湖面を見つめる。
静かなこの水の下にどんな竜がいるのだろう。
———いいか、ニゲル。サフィラスの師匠はな、偉大な大魔導師だったが、ドラゴンライダーでもあったのだ。…すごいだろう?
———言っておくが、竜騎手はドラゴンに選ばれた者しかなれない。それに、とても危険だ。人に決して害意がないとは言えない神霊だ。荒々しく凶暴で、我々がどうにかできる類のものではないのだ。お前も、勘違いをしてむやみに近づいてはいけないよ。
「ドラゴンライダー…」
サフィラスはあのあと、部屋に戻ったニゲルにそう言いに来た。先程のアラン様の言葉を鵜呑みにしてはならないと。竜は人が操れるものでもなければ、言う事を聞かせられるものでもない。
だから、生半可な気持ちで興味を持つのはやめなさいと。
分かっている。
けど、国一番の魔導師として特別なサフィラスと、そのサフィラスを育てた偉大な師匠、そのとなりに自分が立つのは、今のままではとても無理であると思えた。その場所に自分がふさわしくないと思えたのだ。
アラン様だって今のニゲルを見て、内心はどう思っているかは分からない。見たこともないお父さんの名前を言われ、そのお父さんのためにニゲルを歓迎してくれているけど、それは、サフィラスのおかげであり、知らないお父さんのおかげであり、それ以外のなんでもない。
その事実は、ニゲルの心に小さな波紋を起こした。
自分は特別でも何でもない。
そう言われた気がしたのだ。
結局は、サフィラスもお母さんやお父さんの為に、こうやって自分の面倒を見てくれているだけなのだ。それがなければ、なんの関係もなかった、会う事もなかった人。
たとえ自分が稀な力を発揮できる体質であっても、それだけだ。そういう子供を魔法士を育ててきたサフィラスはきっと沢山見てきたのだろう。別にすごくもなんともないのだ。サフィラスにとっての師匠のように自分は特別な存在でも何でもない。
たしかにこれまで、なにかをひたすら頑張ったり、努力という努力をしてきていない。
辛い事はそれなりにあったけれど、目的をもって自分の強い気持ちをなにかにかたむけたことなどなかった。
ただ毎日、帰ってこないお母さんに対して泣き言を言い、きょうだいに食べさせるものを捕って、一日一日をすごしていた。
ニゲルがそんな時間を過ごしていた間も、ここにいる沢山の騎士や城主のアラン様は、毎日努力に努力を重ねて、いまここにいるのだ。あのきたえられた身体を見れば、それが簡単に身に付いたものであるとは思えなかった。中には自分とそう変わらない少年兵もいたし、今日一日で、騎士の従者として後ろを追いかけるようにして付き添う若者も何人も見た。皆、自分とそう歳は変わらない。彼らはニゲルのように何もしてこなかった人間とは違う。
そしてその違いを、ここに来て初めて恥ずかしいと思った。まるで自分だけが浮いているような気がして。
きょうだいを守ると言っておきながら、何もしてこなかったのだ。
(…おかあさん…ごめんなさい)
自分が恥ずかしいという気持ちをもつなんて、初めての事だった。
大広間の机にワインや蜂蜜酒の間を埋めるように所狭しと並べられた料理の数々の中には、山ウズラの串焼きに、湖でとれるウナギのパテ、魚のローストというものや、ウサギのシチューもあった。
なかには変わった匂いの調味料がふんだんに使われて物があり、ちょっと鼻がまひしそうで苦手な物もあったけれど、好きなだけ、たくさん食べろとどんどん勧められて、ニゲルのお腹は今、はち切れんばかりにパンパンにふくれ、息を吸うのも苦しいような、そんな具合だ。
「ふう…食べすぎちゃった…」
鉄の燭台がぶら下がる広い空間は、がやがやとまだまだ沢山の人の声でにぎわい、お給仕する人の出入りも激しい。そんな食べ物の匂いで埋め尽くされた広間を出て、一人でひんやりとした静かな廊下を歩いていく。
すこし疲れてしまったのでサフィラスを広間に残したまま、食事の前に案内された自分の部屋に向かうためだ。
ニゲルの部屋はサフィラスの部屋の真向かいで、ここから離れた居館の2階部分にある。眼下に湖が広がる塔の中で、ここからはひたすら右に進んで、つき当りの高い塔をせまいらせん階段で上がっていく。
「…ちょっと外に出てみようかな…」
やっぱりちょっとまだ熱っぽいのだろうか。
ふわふわとして身体が火照っている気がする。
冷たい新鮮な空気が吸いたくなり、パレスに向かっていた足を反対方向に向ける。
(…なんだかあの湖が気になるなあ…)
気持ちのおもむくままに来た道を戻ってしばらく歩くと、さっきまで居た大広間のとなりにある大きな台所を抜けて外に出る。
外に出た途端、冷たい風が髪を揺らし、冷え冷えと冴えわたる空気はニゲルの吐息を白くさせた。
はぁっと吐いた息は、ぶるりとふるえた身体のそばで暗闇に吸い込まれるように消える。
目の前にはいたるところに松明が掲げられているが、城門やひときわ高く築かれた城壁に沿う天守のあたりをうろうろする兵士の人たちの姿を、はっきりとさせるほどの明かりではない。
小石を含んだ土の塊をふんだのか、足の裏に伝わる妙な感触とジャリ…っという音に我に返ると、ニゲルはふらふらと水際門まで歩いてきていることに気が付いた。
ゆるい階段を降りる足を止めると、白い息を吐きながら目の前の暗い湖面を見つめる。
静かなこの水の下にどんな竜がいるのだろう。
———いいか、ニゲル。サフィラスの師匠はな、偉大な大魔導師だったが、ドラゴンライダーでもあったのだ。…すごいだろう?
———言っておくが、竜騎手はドラゴンに選ばれた者しかなれない。それに、とても危険だ。人に決して害意がないとは言えない神霊だ。荒々しく凶暴で、我々がどうにかできる類のものではないのだ。お前も、勘違いをしてむやみに近づいてはいけないよ。
「ドラゴンライダー…」
サフィラスはあのあと、部屋に戻ったニゲルにそう言いに来た。先程のアラン様の言葉を鵜呑みにしてはならないと。竜は人が操れるものでもなければ、言う事を聞かせられるものでもない。
だから、生半可な気持ちで興味を持つのはやめなさいと。
分かっている。
けど、国一番の魔導師として特別なサフィラスと、そのサフィラスを育てた偉大な師匠、そのとなりに自分が立つのは、今のままではとても無理であると思えた。その場所に自分がふさわしくないと思えたのだ。
アラン様だって今のニゲルを見て、内心はどう思っているかは分からない。見たこともないお父さんの名前を言われ、そのお父さんのためにニゲルを歓迎してくれているけど、それは、サフィラスのおかげであり、知らないお父さんのおかげであり、それ以外のなんでもない。
その事実は、ニゲルの心に小さな波紋を起こした。
自分は特別でも何でもない。
そう言われた気がしたのだ。
結局は、サフィラスもお母さんやお父さんの為に、こうやって自分の面倒を見てくれているだけなのだ。それがなければ、なんの関係もなかった、会う事もなかった人。
たとえ自分が稀な力を発揮できる体質であっても、それだけだ。そういう子供を魔法士を育ててきたサフィラスはきっと沢山見てきたのだろう。別にすごくもなんともないのだ。サフィラスにとっての師匠のように自分は特別な存在でも何でもない。
たしかにこれまで、なにかをひたすら頑張ったり、努力という努力をしてきていない。
辛い事はそれなりにあったけれど、目的をもって自分の強い気持ちをなにかにかたむけたことなどなかった。
ただ毎日、帰ってこないお母さんに対して泣き言を言い、きょうだいに食べさせるものを捕って、一日一日をすごしていた。
ニゲルがそんな時間を過ごしていた間も、ここにいる沢山の騎士や城主のアラン様は、毎日努力に努力を重ねて、いまここにいるのだ。あのきたえられた身体を見れば、それが簡単に身に付いたものであるとは思えなかった。中には自分とそう変わらない少年兵もいたし、今日一日で、騎士の従者として後ろを追いかけるようにして付き添う若者も何人も見た。皆、自分とそう歳は変わらない。彼らはニゲルのように何もしてこなかった人間とは違う。
そしてその違いを、ここに来て初めて恥ずかしいと思った。まるで自分だけが浮いているような気がして。
きょうだいを守ると言っておきながら、何もしてこなかったのだ。
(…おかあさん…ごめんなさい)
自分が恥ずかしいという気持ちをもつなんて、初めての事だった。
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