最後の魔導師

蓮生

文字の大きさ
上 下
46 / 93
第2章 旅立ち

別れの時①

しおりを挟む
 
 翌朝、まだ静かな夜明けの時間をけたたましく扉を叩く音でやぶったのは、彼だった。

「おい!ニゲル!起きろ!!」

 話し合いでの寝不足も吹っ飛ぶほどびっくりして、寝台の上でニゲルは飛び起きた。
 ドンドンドンドンと何度も激しく打ち付ける音に、何事かとあわてて扉を開く。

「どうしたの」

 一階の階段を駆け上がって廊下を走ったのか、マーロンが切羽詰せっぱつまった様子で、はあはあと息を切らして立っていた。

シャツや手が血まみれだ。

「マーロン、血が……」

「…ちがう、これは付いただけ!俺のじゃない!!サフィラスが大変なんだ!」

「え?…まさか」

「すごい怪我なんだ!」

「なにがあったの!?」

「さっきフラフラと一人で帰ってきたと思ったら、ニゲルを呼んでるんだ!早く!」

「…っ!」

 マーロンが廊下を走る、その後ろをニゲルもついて行く。

 一体何が起きたのか。昨晩食卓で話した時は、ケガするような何か危険な事がこれからあるなんて、そんなそぶりは全くなかったではないか。

 今帰宅したということは、あの話し合いの後、真夜中に出かけたというのか。

「連れてきたよ!」
バン!とマーロンが目的の部屋の扉を開くと、ニゲルの目に、寝台に力なく腰掛こしかけて頭やどうに血のにじ包帯ほうたいを沢山巻きつけたサフィラスが飛び込んできた。そのかたわらにはウエンさんと、スマルさんの姿もある。


 まるで、戦地から帰ってきたボロボロの兵士のようなさま。

 全身泥まみれ、満身創痍まんしんそういだ。

 左脚も刃物で切られたのか、あのきれいな青い下衣がももからひざにかけてパックリと割れ、その周りが赤い血でれ、青い生地を黒っぽい色に染めていた。
 あまりの変わり様で、信じられないものをみた気持ちになって夢ではないかと足の力が抜けていく。

「あぁ……!あぁ……なんで…」
 ニゲルは自らの導師にふらふらと近寄って、さまよう手を、震えながらのばした。そして、次の瞬間、サフィラスの足元にがくりと膝をついていた。

「なんでこんなひどいけがを!」
 目の前の恐ろしい見た目の傷からは、じわじわと血がにじみ広がっているのがわかる。見ているこっちまで血の気が引いて倒れそうになる。

「…私は大丈夫だ。心配するな」
 サフィラスは、れて血のにじんだ唇で小さくつぶやいた。しゃべるのも億劫おっくうそうだ。
 綺麗な髪も泥だらけで、ほおや爪にも泥が付いている。上衣もあちらこちら引っ掻いて破れたようなあとや、草の汁が付いたのか、血がこびりついたのか、綺麗だった青い色がくすんで汚くなっている。処置のためにき出しにされた胴をおおう白い包帯は、後ろから前に向かって血のシミが広がっており、背中側は包帯が真っ赤になっていた。

 とても、まともに歩けるようには見えない。

(…こわい…)

 慄く身体を抑えようと力を入れても、手や足がガクガク震えてしまう。

 命を狙われるということは、幾度いくどもこんな苦痛に耐えるという事なのだ。明日は我が身だと、否が応いやがおうでも突き付けられている気がした。
 

「夜中、まさか昨日あの後…出かけた訳じゃないよね…?どういうこと!?どこに行ってたんだよ!」

「……洞穴に、行かなければと思ってね」

 気怠けだるげな回答に、やっぱりと両手をにぎりしめていた。

「…なんで!あいつが来るのに!何で誰にも言わずに行くんだ!!」

「…けれど、お母さんからの預かり物だけでも、早く取りに行かなければと思ってね。しかしまあ、待ち伏せされるなんて、してやられたよ。全く」
 サフィラスのなんともないと言わんばかりの平気そうな顔に、次第に腹が立ってくる。

「僕はサフィラスが怪我をしてまであの袋の中身やお金が大事とは思ってない!もう無茶はやめて…」

 自分達の荷物のせいでこんな大怪我をして死ぬ目にあったのかと思うとゾッとする。あんなもの、捨てたって良いのだ。誰かが傷ついたりするくらいなら。

「…あぁ。わかってるよ。そんなに悲しまないでおくれ」

 ニゲルは泣くまいとわななくくちびるをみしめてうつむいた。
 くやしくて、頭に来て、無力な手を白くなるほどにぎり、爪を立てた。

 これも全て自分が非力だからだ。

 足手まといだから。
 だからニゲルには何も言わずにすべて自分で処理してしまうのだ。
 こんな事では命がいくつあっても、足りはしない。
 早々にサフィラスは死んでしまう。そんな気がして平気ではいられない。

 「スマル、あれをニゲルに」
 サフィラスがスマルさんに目配せをすると、スマルさんは、あの、お母さんが残した箱に入っていた茶色い袋をニゲルにと、差し出してきた。

「なんとかこれだけは守れた。他の物はすまない…」

 渡された袋には焦げたような跡がいくつか見える。それに、かなり薄汚れていた。
「いいんだ!そんなこと!!初めから大した物なんてない家だから。サフィラスが無事ならそれで十分だよ…ありがとう…」

 ぎゅっと袋を抱きしめると、やはり火薬の匂いがした。

「こんな荷物のために、ごめんなさい…!けが、すごく酷いよ…しばらく動かないほうが良いね」

 手当てをしていたスマルさんを見上げると、頷いている。
「そうね、背中がちょっとひどいから、服を着るとすれて血がにじんでしまうし、綺麗にしておかないとんでしまうかもしれないわ」
「僕、手伝う。何かできる事があるならやり方教えて」

「あら、ありがとう。じゃあ、包帯をかえるときに手伝ってくれる?」
「うん、まかせて。頭の傷は大丈夫なの?」
「…そうね、ザックリと切れているんだけど、切り傷の断面が綺麗だから、こっちはきっと治りは早いわ」
「…はぁ…すごい血で本当にびっくりした…本当に治るの?」
 ニゲルは未だに震える指を胸の前でにぎりこんだ。心臓がとまりそうなほど驚いたのだ。

「サフィラスは大丈夫よ!こんな事で負けたりしないのよ。早く治るように栄養のつくものを作らなきゃね」
 スマルさんはニゲルをげんき付けようとしているのか、笑顔を向けてくる。
「僕に出来る事は何でもやるよ」
「そう、ありがとう」

「サフィラス…行くのは…このけがじゃあ、すぐには無理だね…」
 こんなケガをしたら、長旅はきっと身体に堪えるんじゃないだろうか。そんな思いがよぎる。

「そうだな…この怪我だから今日は動けない。だが、時間もない。2日後の夜にしよう、いいね?」

 ニゲルは神妙しんみょうにうなずくと、そばにいたウエンさんを見上げた。

「あ、あの、この袋の中には、おっきなマントが入っていたんだ。僕たちは使えないから、どうしようかと思っていて。2人が大きくなるまでこの荷物はここに置いていきます…ウエンさん、えっと、お金も沢山は入ってないけど、アーラとマリウスにお金が必要な時、使ってください」

 ウエンさんはニゲルが押し付けた袋をキョトンとして見下ろすと、ふっと笑みを浮かべる。

「…なにいってんだ。お母さんがニゲル達に残したんだぞ?私がもらえるわけないだろう。お母さんにしかられるぞ。なんであげたんだってね」
「…あ、そうかな…。それなら、マントはもう少しみんなの身体が大きくなるまでとっとくかな…。じゃあ、お金だけでも…。これからの事もあるし…」

 ーーーその頃に、自分が生きているかはわからないな。
 そう、思ったのはぐっと胸の内にしまう。


「おにいちゃん」

 はっとして、部屋の扉を振り返ると、アーラとマリウスが扉のかげからのぞいている。

「あ…」
 しまった。
 今の話を聞かれただろうか。

「にいちゃん…サフィラスさんどうしたんだよ…すっごい血が……」

 マリウスは状況を察したのだろう、サフィラスを見て、真っ青な顔をしている。
「洞穴の家?まさか、そこでやられたの…?」

「…うん」

 ニゲルの答えに、マリウスは扉から一歩、二歩と、後ずさった。とたん、逃げるかのようにダッと走って廊下に消えて行く。
アーラもそれを見て、後を追うように消えた。

「ウエン、驚かせたみたいだ…すまないが2人を見てきてくれ」
「ああ」
 ウエンさんがすぐにでも追いかけて行こうとしたその腕を、ニゲルはパッと取った。
「…いや、まって。僕がいくよ」

 ニゲルは2人に話さなければならない。昨日の話。自分が決めた事を。

「…大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」

 ちゃんと言おう。そして、たとえ2人とけんかになっても、きっと最後には分かってもらえる事を心の中で祈った。



 そのニゲルを、大人たちの後ろでじっとマーロンが見つめていることに、誰も気づいてはいないのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

かつて聖女は悪女と呼ばれていた

楪巴 (ゆずりは)
児童書・童話
「別に計算していたわけではないのよ」 この聖女、悪女よりもタチが悪い!? 悪魔の力で聖女に成り代わった悪女は、思い知ることになる。聖女がいかに優秀であったのかを――!! 聖女が華麗にざまぁします♪ ※ エブリスタさんの妄コン『変身』にて、大賞をいただきました……!!✨ ※ 悪女視点と聖女視点があります。 ※ 表紙絵は親友の朝美智晴さまに描いていただきました♪

理想の王妃様

青空一夏
児童書・童話
公爵令嬢イライザはフィリップ第一王子とうまれたときから婚約している。 王子は幼いときから、面倒なことはイザベルにやらせていた。 王になっても、それは変わらず‥‥側妃とわがまま遊び放題! で、そんな二人がどーなったか? ざまぁ?ありです。 お気楽にお読みください。

悪女の死んだ国

神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。 悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか......... 2話完結 1/14に2話の内容を増やしました

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

処理中です...